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初任給10万の修行、2回のうつから逆転!自分で掴んだ幸せな人生 その①

挫折日記第2回目の登場は横山史(よこやまふみ)さん。
気づけば8業種11社、うつ病2回。

それでも今、自分の人生の生き方を発見し、世界でただ1人の「モデレーター」として活躍する彼女の人生はいかにして作られたのか?

■2階の教室の窓から飛び降り、そして引きこもりの子ども時代

北海道北見市の出身で子どもの頃は両親の仕事の都合で引っ越してばかり。

そのため転校を何回も余儀なくされていました。

それでも目立ちたがり屋の性格でしたので、新しい環境でもリーダーシップを取っていたり活発な子ども時代を過ごしていました。

ただ机に座っているのは苦手で、小学校3年生の頃は外で遊んだりスポーツばかりしてました。

そんな中、小学校5年生の頃また転校。ここでいじめに遭ったんです。
小学校高学年ってちょうど男女を意識する時期ですよね。

それまで私は田舎町で男女関係なく遊ぶタイプだったので、いつも通り「遊びに行こうぜー!」みたいなノリで誘われた男子と一緒に映画に行こうとしたら、ちょうどそのクラスのリーダー格の女子が好きだった男子みたいで。

なぜか次の日から、クラスの女子全員から無視されるハメに・・・。

そんな毎日を過ごしていると、なんか卑屈になっちゃって。こそこそ話が聞こえると「どうせ私の悪口を言っているんだ」とか。思春期特有の人付き合いの難しさを痛感しました。

それでも負けず嫌いの性格もあって、その後スポーツに打ち込んでいたエネルギーを勉強にシフト。最終的には北海道模試で6位になるほど勉強に打ち込みました。いじめられるけど勉強で挽回してやる!って。

ただ、机に座っているのが苦手なのに一心不乱に勉強に打ち込んでいたら頭痛や肩こりが発生するようになって。中学入るくらいからでしょうか、身体に不調が出るようになりました。ストレスだったのかもしれません。

そして中学生になると次第にファッションも気にするように。

とにかく制服が着たくなかった(笑)
だから先生に「なぜ制服を着なければならないのか?私服じゃダメなのか?」と問いかけたんですが、誰もちゃんと答えてくれない。

落ち着きがない私は徐々に授業にも耐えられなくなり・・・。

そしてついにある日突然2階の教室の窓から飛び降りて教室を飛び出してしまいました(笑)まあ、そこからはいわゆる引きこもり。髪を染めてみたり、親に反抗したり、一通り荒れましたね。
典型的な中2病(笑)

でも、そういった状況でも建築士になるという夢があったんです。小1くらいの時に大好きな親戚のおじさんから「建築士はいいよー」って昔から言われて。建築士に興味を持つようになっていたんです。

両親からも「家はいいぞー」とか「将来家を建ててねー」なんて言われるうちに興味を持ち、それが目標になった形ですね。あとは、文集などに将来の夢に「建築士」って書くとなんか格好良くて(笑)

中3くらいになり少し落ち着くと、自分でも将来は建築士になって家を建てなきゃって思うようになりました。荒れた時期もありましたけれど、何とか内申点ぎりぎりで進学校に入学することが出来ました。

■オカン誕生

高校では中学時代とは打って変わって順調な学校生活でした。
その中で偶然オーストラリアに留学するチャンスがあって。留学では今まで想像出来なかった経験をしたり様々な人たちに出会ったりして、今までの価値観が大きく変わりました!
「何て日本はちっぽけなんだ」「日本の感覚は狭い」って。
留学後は私の中にあった枠が取り払われて自由に物事を考えることが出来るようになったんです!
そこから友達と漫才コンビをやってクラスをまとめたり、校則違反のルーズソックス履いて先生に追いかけられたり、もう本当に自分がやりたいことをやるようになりました(笑)

その後、北海道で住宅建築がしっかり勉強できる国立の工業大学に進学したのですが、ここの環境がまた私を変えました。
男性100人に対して女性10人といった、まるで男子校のような大学で、ほとんどの生徒が寮や大学の周りに住んでいて、しかもみんなお金がない(笑)
一緒に暮らしていた彼氏との家には毎日のように軽音部の仲間や後輩が押し掛け、ドアを開けるなり「オカン、今日のご飯何〜?」と。
「今日は焼きそばでいい〜?」とか言いながら作るのが常でしたが、19歳で「オカン」って(笑)

今振り返るとここで「オカン」として人生が始まったように思います。
そういえば母も祖母もそんな気質でしたので、遺伝でしょうか(笑)

■3食おにぎり生活、そして1回目のうつ

大学の研究室の教授の紹介で、就職したのは秋田の設計事務所。
当時は就職も超氷河期でしたので、学部から設計事務所に入ることは稀なことでした。同期からは羨望の目で見られましたが、実は初任給なんと10万円!!
家賃4万円と、車の維持費やガソリン代もかかる。留年した彼に仕送りもしていたので、食費は毎月1万円。3食おにぎりとパックのお味噌汁だけで生活していました。

仕事は朝7時から夜中の2時まで働く激務な生活。
本を出版したり、国の仕事もやるような有名な建築家の事務所なのに、スタッフは私と先輩だけ。だから仕事も半端ない量で。
もちろん設計やプランニングは先生のお仕事でしたから、新人の私は「こんなこともわからないのか!」と毎日厳しい指導をいただきながら、ひたすら工事図面を書いたり、構造計算など裏の仕事を行っていました。

慣れない土地での暮らしの中、1日中パソコン(図面)と向き合う日々。誰も教えてくれず、自分で学ぶしかない。友達と飲みに行くこともなく、ご飯はおにぎり。次第に気が滅入るように・・・。
そのうちミスやコミュニケーションロスも増え、「大学で何を学んで来たんだ」「あの教授の研究室だからもっと使えると思ってたのに」と先生から言われるようになり、だんだん自分を責めるようになっていました。

憧れていた世界だったので、余計に上手く行かないことが苦しくて。

そしてついに人生最初のうつ。もう何も考えられなくなって、気がついたら倒れてました。

その後、母から電話があり「もういっぱい頑張ったんだから、北海道へ帰ってきなさい」と言われ、1年半の修行も終了。地元のハウスメーカーに転職しました。
秋田の1年半で10kgほど痩せましたね(笑)

今思うと正直性格に合わなかったんだと思います。この私が誰ともしゃべらず、1日中ずっと机に座ってるんですから!

今思うと正直性格に合わなかったんだと思います。この私が誰ともしゃべらず、1日中ずっと机に座ってるんですから!


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