見出し画像

世界の全てを恨む人生から、普通の幸せを噛みしめる人生へ〜その②

周りに羨ましがられたい一心で選んだ職業は広告代理店でした。
一見華やかそうに見える業界ですが、実際に入ってみるとかなり泥臭い仕事が多い業界です。残業は100時間超、クライアントファーストが行き過ぎた業界でもあり、お客様の要求のために費やす工数はかなりのものだったと思います。
私も実際に社会人として未熟でしたし、スキルもないプライドだけが高い扱いづらい社員だったと思います。実力もないのに「成功したい、周りに認められたい」その一心で仕事をしていましたが、周りにわからないことを聞けないことが邪魔をし、仕事の状況は日に日に悪化。心はストレスフル。身体も長時間残業で疲れ切っていました。

辛い・・・

心の底からそう思う毎日でした。

そんな中、会社の健康診断がありました。
いつもどおり何ともないだろう、、、と思っていたら、思いがけず「要精密検査」の結果が来てしまったのです。

どうせちょっとひっかかっただけだろう、と思っていた私は、特に何も心配することもなく二次検査を受けました。引っかかった箇所は「肺」。
そして二次検査の結果、何と大学病院での検査を言い渡されました。

医師から言われた言葉は「結核の疑い」

結核だとしたら大変なので、さすがの私も驚き、すぐに大学病院へ。
そしてさらなる検査を受けた結果、思いもよらぬ病気で入院することになりました。

病名は「非結核性抗酸菌症」

そのとき私も初めて聞いた病名ですが、一言で言うと「感染らない結核」のようなものだそう。しかし、決定的に違うのは、薬での治療が困難な感染症である、ということでした。

さらに私に追い打ちをかけたことが、私の感染した菌が、一番致死率が高い菌だったこと。

薬だけでは治療は難しく、2週間の薬物治療での入院後、結局肺の一部を摘出する手術を受けることになりました。
でも私の前の患者さんたちは手術しても皆亡くなってしまった、と医師が言っていました。

それを聞いて、普通は絶望するでしょう。
でも私はとても疲れていたので、入院や手術によって、心の底から

「やっと休むことができる・・・!」

と思っていました。
休むための免罪符が手に入り、正直安堵していました。
今振り返ると、本当におかしな心境でした。
自分の疲れにも、自分の痛みにも気づくことができない。
本当は毎日微熱があり、倦怠感が全身を蝕んでいて起き上がることもしんどかったはずなのに。


■手術からの生還

手術は幸いにして無事に終了。経過も順調で約2週間の入院の後、私は退院しました。当時は都内で一人暮らしをしていましたが、さすがに術後一人暮らしをするのも親に心配されるので、しばらくしばらく実家に戻ることに。会社は一旦休職することにしました。

久々に実家で暮らした私ですが、それはそれで焦りの毎日でした・・・。何もすることがないとマイナスのことばかり考えてひたすら焦る日々。また、過去に自分がしてきた行いに対し罪悪感が次から次へと押し寄せてきて、それはそれで辛くなっている自分がいました。

「何故こんなことになってしまったのだろう」「何が悪かったのだろう」「自分の人生は終わったな・・・」そんなことばかり考えて過ごす日々。また、一緒に働いていた同期を羨み、妬み、どうしようもない気持ちが湧き出て、苦しいとしか言いようがない時間。親のこともすごく恨んでいました。「こうなったのは親のせいだ」と。

挙げ句の果てには「世界の全てが恨めしい」とまで(笑)

この頃の私は、自分の過去を振り返ることが多くなっていました。振り返っては恨み、また、自分の行いに対する罪悪感に苛まされる。当時は心理学の本も数多く読みました。なんせ時間はたっぷりあります・・・この苦しい気持ちをどうにかしたい一心でした。でもこの時間は、これまで私が目を背けてきた自分自身の過去や気持ちに対して向き合う時間だったように今では思います。見たくもない気持ちや感情と向き合い、苦しみ、もがき続けました。半年から1年位はそのような状態だったと思います。

その間に会社は結局退職。

そして手術から約1年ほど経った頃から、社会復帰を考えるようになりました。
この頃には、今までの自分のどうしようもないプライドやどす黒い感情、過去も少しずつ受け入れられるようになっていたように思います。それも含めて「自分」なんだ、と。

その頃から過度な承認欲求が少しずつ剥がれ落ちてきて、他者評価で作り上げられた自分ではなく、本当の自分と向き合い、認め、自分らしく生きることを考えられるようになってきたのかもしれません。

https://note.com/careefit/n/n04d37adb0763

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?