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世界の全てを恨む人生から、普通の幸せを噛みしめる人生へ〜その③

■社会復帰

その後、短期派遣やアルバイトをしながら社会復帰を目指していきました。
さすがに広告代理店のような無茶な働き方はできないと考えていたので、残業が少ない事務職へのキャリアチェンジを考えました。最初は地元で探していましたが、なかなか良い求人が見つからず・・・。そこでまた思い切って上京。アルバイトをしながら仕事を探し、ようやく事務のお仕事を手にすることができました。

しかし、新しい職場はなんとブラック企業・・・
更にはお局さんがおり、私はいつのまにやら嫌がらせを受けるようになりました。幸い営業の方々とは人間関係が良好でしたが、社長の気分で半年で上司が6人も変わる(みんなクビ)になったり、数多くのコンプライアンス違反を目の当たりにし、転職を決意。その後、運良く外資系企業の事務職へ転職することができました。しかし、その新しい環境でも苦難が続くとも知らずに・・・

■働くのは辛いよ

英語もしゃべれないのに次はうっかり外資系へ転職してしまいました。転職エージェントからは「英語にアレルギーが無ければOK」と言われていたので、安心して入ったものの、実際は結構英語を使う環境でした。もう毎日が冷や汗ダラダラ(笑)電話が英語でかかってこようものなら、英語が話せる人へバトンタッチ・・・かなり情けない状態です。その他にも、その会社は怖いお局様が多数在籍し、気に入らない社員を次々といじめて退職に追いやるブラッキーな環境でした・・・

自分の経歴に負い目がある私は、それでも耐えに耐えました・・・
心が折れて何人もの同僚たちが会社を去っていく中で、3年以上も耐えたのです。
そんな生活を続けていた私ですが、だんだんと限界が近づいてきます。その頃、監査対応で業務もいよいよ忙しくなり、23時半まで会社にいるような毎日でした。その状況は私に手術前の環境を思い出させるものでした。

しかし、この頃の私は以前の私とは少し違っていました。手術の件があってから、「我慢のし過ぎは良くない」「変なプライドは身を滅ぼす」ということを身をもって理解していたのです。

3年数ヶ月経過したとき、私は退職を決意しました。

そして私は再びキャリアチェンジをすることとなります。

次に目指すキャリアは「人事」。
そして私は運良くその仕事に就くことができました。

何故人事に興味をもったかというと・・・

自分の人生に本音で向き合うことなく働いてきたが故に、私自身が人生で迷走してしまっていることや、社会人生活の中で組織の問題を目の当たりにすることが多く、組織も個人も生きやすい世の中となる一助となることができたらと感じたことがきっかけです。

■キャリアチェンジ

キャリアチェンジ前に、私は産業カウンセラーやキャリアコンサルタントの資格を取得していました。その後運良く知人の紹介などもあり、私は人事のキャリアをスタートさせることができました。そのような機会を与えてくださった方々には本当に感謝をしています。

幸いにして現在も人事のお仕事をさせていただいておりますが、それまでにまたしてもいろいろなことがあり、私は完全にジョブホッパーとなってしまいました(笑)「我慢は美徳」という概念がなくなってしまったようです(汗)これまで親の機嫌を伺い、周りの評価を気にし、変なプライドの鎧に身を包んで生きてきた私は、最終的には大手術をすることになりました。そして何より、今までの生き方は精神的に幸せを感じることができないと気づいてしまったから、もう過度の我慢はしません(笑)

ジョブホッパーを勧めるわけではありませんが、自分の力だけではどうしようもない環境や状況ってあると思っています。その時に過度の我慢によって、自分の幸せや健康が大きく害されてしまったとしたら、それは本当に良いのでしょうか。私はそうは思いません。

人生は有限です。

だからこそ環境を変えることも良いと思っています。
そして自分の人生や気持ちときちんと向き合うことが大切だと感じています。

現在の日本では、転職歴が多いことがまだまだ認められない世の中です。一応人事をやっているので、学歴や職歴で足切りするほうが合理的だという判断も理解はできます。でも、学歴がなく、転職歴が多いというだけで本当にその人はダメな方なのでしょうか?私は必ずしもそんなことはないと思っています。
これからは、その人の出してきた結果や能力を見つめることができる世の中に少しずつでも変化させていくことができたら・・・そんなふうに思います。

もっと寛容で自由な世の中へ。
もちろん自由になるためには能力やスキル、責任、自立が伴うでしょう。そのようなことも含め、多様な生き方が認められるような時代を迎えてほしいと思いますし、私自身もそのような方々の一助となればと思っています。

そして今の私は変な見栄やプライドにとらわれることも少なくなりました。以前切望したお金持ちでもないし人に称賛される職業ではないけれど、ご飯を食べることができ、布団で眠ることができる普通の暮らしで幸せを感じることができています。

それは、自分自身が多様性を認め、少しずつ心が自由になっているからかもしれません。完全に過去の呪縛から解放されたわけではないけれど、今後は更に自由に、心軽やかに生きることができたらと思います。

おしまい。


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