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#123話の雑感 前菜

先に言っておくとぼくは完全に猫派。だから寮母が許せない。
『チェンソーマン』の感想。ストレートに書いたのでかなり偏見が入っていて不快にさせると思います。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のネタバレもしているので読んだことがない人は読んでからお越しください。


#123話  前菜 感想



チェンソーマンは最悪の方向に突出していて心をえぐられてつらい。最悪な気分になった。落下の悪魔が登場してるからわざと読者の心が落下することを狙って描いてるんだろうなとは思いますが本当に最悪。

最悪だと思ったポイントを5つ書き出しました。


まず猫(クラムボン)が殺されたことがまじで最悪。アサが命を掛けて助けた、そしてお母さんが犠牲になってまで助けた猫を寮母は殺した。
アサにどんな過去があってどんな気持ちで生きてきたのかアサの背景をなんにも知らないクセに“間違ってる”という見当違いも甚だしい糞な言い訳で猫を殺すとか頭も心も全部狂ってる。そもそも猫を殺すという行為こそ間違ってるはずなのに自分のしたことを罪とも思わないどころかアサを責めるなんてどうやったらそんな思考回路になるのか意味不明すぎて恐怖。猫の命奪ってアサを傷つけて、それでも何にも反省せずに生きている寮母が許せないし寮母を川に沈めて同じ目に遭わせてやりたいとすら思う。こういう人ほど罪悪感皆無で落下の悪魔が現れても落下せずに生き残るんだろうな本当に最悪。

ふたつめは落下の悪魔の能力が最悪。心に傷を持つ者が真っ先に死ぬなんて酷すぎる。傷付いてる上にそういう人だけ選別されて殺されるなんて。ぼくらが生きてるリアルだって真面目で優しい人ほど傷つけられて病んだり、攻撃できない弱い人(ぼくも含む)が理不尽という暴力に日々さらされているわけだけどそういうのに気付かないふりして生きているのにまざまざと見せつけられて心がえぐられた。しかも空に落ちたその先は恐らく地獄だし、前菜って言われてるから悪魔に咀嚼されるんだろうけどそんな最期酷すぎる。

みっつめは宮沢賢治をものすごく意識して物語が構成されているところ。ぼくはあまり好きじゃないので詳しくないけど宮沢賢治はベジタリアンで肉を食べなかったっていうのは知ってた。コケピーが登場したとき“食べるためなら命を奪って良いか?”という問いはあったが、コケピーが死んでしまってそのテーマが薄れかけたところで今回再びぶり返してきた。悪魔は人間を食べる。人間はニワトリを食べる。人間がニワトリを食べるという罪を肯定することは、悪魔が人間を食べるという罪を肯定することと同じだ。そして“食べるため”という名目でニワトリの命を奪うことを罪としないなら、“間違ってる”という名目でクラムボンを殺した寮母にも罪はないことになる。結局俺ら全員、命を補食するという時点で寮母と悪魔と同じなんです。これものすごいオブラートに包んでるけどそういう現実に嫌でも向き合わされる回。精神ズタズタ。これが前菜だから恐ろしい。

よっつめ、東日本大震災と原発が示唆されていること。宮沢賢治がちりばめられているのは読者の意識を東北に向けるというひとつの狙いもあると思う。きっとアサの出身地も東北。偶然だか知らんが123話は3月15日の更新で日付も近い。何が言いたいかというと、結局弱者が犠牲になるって話です。
原発は安全といいながら福島に建設された。そしてその電力は東京に供給されている。東京で使うものをわざわざ福島に作ったのは結局原発が危険だからだ。本当に安全なら東京湾にでも作ればいい。でも本当は危険だから権力を持った強い奴らは原発を田舎の福島に追いやった。土地の広さの問題???知らねーーよ!!!!福島に大きな津波が来ることは古い資料からも明確なことだったのにその場所に原発を建てたわけです。そうやって強い悪魔は安全な場所にいながら電力だけ消費している。死を経験していない強い悪魔のことを読者は何も知らない。そういうカオも知らない強い権力者に弱者は“食いモノ”にされている。これは第二次世界大戦もそう。皮肉が効きすぎて頭おかしくなる。

いつつめ、心の落下と地獄を掛けているところ。小さい頃から「悪いことをすると地獄に落ちる」と刷り込まれている人は多いと思う。今回アサの過去が描かれたが、アサは悪いことをしていないのに落下の悪魔に地獄に落とされようとしている。それからこの123話は宮沢賢治のやまなし、注文の多い料理店、銀河鉄道の夜がモチーフになっていて、ぼくは個人的に銀河鉄道の夜でカムパネルラは地獄(石炭袋)に落ちたと読んでいるんですが、カムパネルラみたいに罪悪感の強い良心的な人間ほど“自分は悪いことをした”と考えてしまうのは明らかで、
(省略しますが)宮沢賢治も罪悪感を抱えて生きていてかなり宗教に傾倒していた。
最近ニュースで霊感商法ナントカカントカって報道されてますが、“地獄”という概念を信じているのは良心的な人ほど多いのだと思う。悪いヤツほど“地獄”は存在しないと信じている。そうでなければ教祖が信者の人生壊すほどの悪事を働けるわけないじゃないですか。
今回の123話において、ぼくがいいたいのは地獄が存在するかしないかという話じゃなくて、
罪悪感っていうのは地獄に落ちるような苦しみと同じなんじゃないかってこと。アサみたいに天使のような良い子ほど地獄のような苦しみを日々感じて生きていて、
悪いヤツは地獄なんて知らないし、罪悪感も知らない。
結局リアルだってこの123話のような世界なんだ、って改めて考えて本当に心が落下した。

良心的な読者が「結局悪いヤツが得してる」って悪いヤツの側に行かないことを願う。


みなさんはどんなふうに心が落下しましたか。



123話感想は後でもう一個更新します。たぶん、、。

続く。




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