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鬼滅の刃 最終回について ① 禰豆子が人を喰わない理由

鬼滅の刃最終回までネタバレしますのでご注意ください!!!
(12/6日9:09分*追加*しました)

こんにちは!!!!
ついに鬼滅の刃23巻発売されましたね!!!!!!

みなさんはもうお読みになったでしょうか。

ぼくはジャンプ+で先に最終回まで読んでいたんですが、やっぱり何度読んでも泣きますし、おまけページと週刊には載せきれなかった追加ページ、絵の訂正、台詞の修正などとにかく泣きながら読みました。

あと吾峠先生のあとがきとカバー折り返しでもぼろぼろ泣いてしまいましたよ…。

本当にすごい漫画でした。あとで吾峠先生にファンレターでも書こうと思います。
集英社に送ればいいのかな…。

今回は最終回205話についてまとめていきたいと思います。
原作に関する細かい説明は省きます。

(はじめは炭彦と善照について書いています。タイトル「禰豆子が人を喰わない理由」については最後の方になります)




個人的に衝撃だったのは最終回に縁壱とうたが現代に転生していたことです。

週刊の方で読んだときは、縁壱とうたが現代に登場していなかったので縁壱は炭十郎に生まれ変わったんだと思い込んでいました。鬼と戦った人たちは転生または子孫や鬼殺隊の集合写真含めみんな最終回に登場しているので。
以前書いた「炭十郎は縁壱の生まれ変わり説」は崩壊しました。これについては後日改めて考察をやり直したいと思います。

でも縁壱とうたが幸せそうで良かったです本当に。

さて最終回は炭彦がカナタに「嘘過ぎてびっくり」される場面からスタートします。
実は善照も燈子に「嘘小説なんか読んで」と罵られる場面から始まっているので「炭彦」と「善照」に「嘘」という共通事項が浮かび上がります。
このふたりの「嘘」は「鬼と戦った人たちの話」の“記憶を呼び起こす”場面で「嘘」という言葉が使われています。
炭彦の場合、「寝ること」によって過去の記憶を呼び起こし、善照は「善逸伝を読むこと」によって鬼のいた頃のことを知ります。

なぜふたりは「嘘」と表現されなければならないのでしょうか。

以前のnoteで「炭治郎と善逸は同一人物である」(要約しすぎて語弊がありますが)と考察したように、「ふたりが同じ体験をする」ことは物語の上でとても重要です。

炭彦についてですが、桃寿郎に「きみはスポーツをやるべきだ」と言われても「寝る時間が減るから」と断っています。炭彦は高い身体能力を持っているので桃寿郎がスポーツを薦めるのは当然とも言えます。

炭彦の祖先、炭吉は縁壱の「鬼の始祖を倒して平和な世界にする」という想いを繋ぐために「ヒノカミ神楽」と「耳飾り」を継承してきました。
炭治郎も記憶の遺伝(寝る)によって炭吉の想いを思い出し、その想いを繋ぎました。
竈門家は炭吉に始まり、「平和な世界を繋ぐこと(想い)」が脈々と受け継がれています。

なので炭彦にとって
「寝る」とはイコール「記憶を呼び覚ますこと(繋ぐ)」ことであり、スポーツ(勝ち負け)よりも「寝る(過去を知る)」ことを炭彦は優先しています。
炭彦も炭治郎の「繋ぐ」という想いを濃く受け継いでいるのだと思います。
桃寿郎の誘いをやんわりと断る雰囲気はカナヲの性格を受け継いでいるのかもしれません。炭治郎は頭が堅いのでこんなにやんわりと断れないと思います(個人的な偏見です)

そして善照について。
善逸は男性に対しては厳しく、燈子が「アンタお父さんにそっくりね」と言っている事から善逸の性格はかなり濃く善照に受け継がれています。
善逸の性格としては「疑い深い」という一面もあります。
しかし燈子に「嘘小説」と言われても善照が「善逸伝」の内容を疑うことはなく、涙を流しながら感動しています。


そして善照の「善逸伝を読む」という動作は「過去を知る」という行為です。

つまり炭彦の「寝る(過去を知る)」と善照の「読む(過去を知る)」は同じ行為として描かれています。これは「ふたりの感覚が共通である」ことを示唆していると思います。
ふたりはスポーツよりも、テストの点数よりも、「過去を知る」ことを優先しており、「過去を知る」のは「鬼のいない平和な世界を繋ぐ」という“想いを知る”ことに繋がっていきます。

*追加*
善逸は「信じたい人を信じた」という一面もあるので善照が「ひいおじいちゃんを信じたいから善逸伝を信じた」とも捉えられるかもしれません。
それと、「善逸は疑い深い」と書きましたが善逸が疑うのは「人間っぽくない人」でしたね。
炭治郎と初めて会ったときは雀の言っている事がわかるなんて俺を騙そうとしている、と言ってますし岩柱の修行で「お前はなんで言われたことをすぐ信じるの?」と言うのは「あのオッサン(悲鳴嶼)が異常」だと思っていたからです。(善逸が普通ではあり得ない事を疑うのはある意味正常ですよね…)
ですが「善逸伝」の善逸も「人間っぽくない人」として書かれているはずなので善照が善逸伝を疑ってもおかしくないのですが、
善照も炭彦と同じように「過去を知る」ことによって「繋いでいく」という気持ちがあったのだと思います。


「善逸伝」を誰が書いたかについては明らかになっていません。
ですがおそらく善逸が書いたのではないか、と思っています。
先ほども書いたように、「炭治郎と善逸は同一人物(行為も同じに描かれている)」ので炭治郎が「記憶の遺伝(寝る)」によって「鬼のいない平和な世界を繋ぐ」という想いを継承しようとしていたように、善逸も子孫に繋いでいこうとしたはずです。その方法のひとつとして「書物を残す」ことを選択したのではないでしょうか。

そして善逸は「戦うこと」をものすごく嫌っていました。
善逸は「書物を残すこと」によって鬼に抗い、鬼のいない平和な世界を繋いでいこうとしたのかもしれません。
「ペンは剣より強し」ということわざもありますし、とても善逸らしいと思います。
(追加おわり)

「嘘」は炭彦と善照を繋ぐキーワードだと個人的には解釈しています。

それと嘘についてもうひとつ。

炭治郎は嘘がつけません。炭彦が炭治郎の性格を強く受け継いでいるとしたら、「嘘をつく」のはかなり不自然です。
(炭彦が炭治郎と真逆の性格が描かれる(嘘がつけないのに嘘をついている)というのと善照が善逸と真逆の部分が描かれている(疑い深いのに疑わない)のも共通事項です)
胡蝶しのぶが「鬼は嘘ばかり言う」というように、鬼滅の刃では「嘘をつく奴は鬼」として描かれています。

そしてカナタの「寝汚い(いぎたない)」という言葉、珠世が似たようなことを言っているんですよね。
21巻で珠世は鬼舞辻無惨に対して「生き汚い男」と罵っています。
ここで炭彦と鬼舞辻無惨の関連性が提示されています。
もしかしたら炭彦の細胞の中には鬼舞辻無惨が濃く残っているのかもしれません。

炭治郎の玄孫世代まで残っているなんてまさに無惨は「生き汚い男」です。

そして(ここは妄想ですが)炭彦が無惨に対抗するために必要なのが「睡眠」なのではないか、ということです。

禰豆子が鬼になってしまったあと、2年間眠り続けた理由がここではっきりした気がしました。

竈門家は「寝る(過去を知る)」ことによって「平和な世界を繋ぐこと」(想い)を思い出す、という特殊な能力があったのかもしれません。

だから炭彦は無惨に“抗うため”に「寝汚い」と罵られるくらい眠らないといけないのではないか、と個人的には思っています。

禰豆子は最初に義勇によって気絶(寝る)させられていますし、その後2年間眠り続けている間、無惨に抗った結果、人を喰わなくても平気になったのではないか、と思っています。

無限夢列車編でも「他人の夢に入るということは非常に危険である 夢はその持ち主の意識が強いので共鳴して影響を受ける場合がある(略)故に魘夢は人の夢に入らない」と説明されているように、鬼滅の刃において「夢」はその人の心に大きな影響を与えます。
魘夢でさえ夢の中に入らないということは「持ち主の意識が強い“夢”は“鬼”にも大きく影響する」ということです。
この夢(意識)の力によって「鬼」の力を抑え込むということはあり得るかもしれません。

最終回でようやく禰豆子の謎が少しだけ解けた気がして嬉しいですね…。ですが禰豆子についてはまだまだ謎が多いです。


炭彦と善照についてもまた発見があったら書きたいと思います。

妄想が混じりましたがいかがだったでしょうか。

…読んでいると吾峠先生の「物語の緻密さ」に驚くばかりです。凄すぎて涙出てきます(泣)
何度読んでも新しい発見がありますし、鬼滅の刃は本当に素晴らしくて凄い作品だと改めて感じます。

次は「カナタ」と「燈子」と「青葉」について書きたいなと思っています。

鬼滅の刃は本当に凄いですね。

読んでいただきありがとうございました。

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