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君の瞳に全力で応えると決めた夜 ❨藍色の話①❩【ショートショート/P1グランプリ】

帰りに立ち寄ったカフェで、1杯だけ飲んだ珈琲のせいなのか。
今夜はどうにも眠れない。冴えたままの頭で、数時間前の君の瞳を思い出す。

進学のために実家を出てから、この春でもう3年め。北海道での暮らしにも、今やすっかり馴染んでいる。大学3年といっても理系の僕は大学院進学も見据えているから、今とほぼ変わらない生活が少なくてもあと2年、もしかすると4年続くことになる。
毎月の仕送りは決して多くはないから、極力自炊をして食費を抑え、服や靴は実家から持ってきた物だけ。部屋は狭く家具家電も最少限だが、それでも僕は今のこの生活が、実はわりと気に入っている。

自分の‘城’と大学を行き来するだけの日々が1年を過ぎた頃のこと。元々人づき合いが極端に苦手な僕は、入学以来ほぼ誰ともまともに会話をしていない有様だった。それでもある時、さすがにそろそろバイトでもと思い立つ。やや重い腰を上げてサイトを覗くと、目に留まったのが家庭教師の募集広告。接客は絶対に無理だけど、1対1の家庭教師なら自分にも出来るかもしれない。そもそも登録制だから、無理な案件は引き受けなければいい。そう考えながら必要事項を入力して送信、電話での本人確認後、本登録となった。

そのあと何度か、メールや電話で紹介案件が届いたが、どれも気乗りしない内容ばかり。「活発な生徒さんと明るいご両親」「面白く指導してくれるお兄さんみたいな人希望」。そんなの、自分には到底無理だ。適当な理由をつけては断り続け、気付けば登録から1年が経っていた。

そして今から1週間ほど前、あの紹介メールが届く。
「あまり喋らないが、こちらの話はきちんと聞いている。やればきっと伸びる生徒さん」。
住所も通いやすい場所で、希望指導日時も合っている。この案件を受けないとしたら、僕は何の為に教師登録をしたのか。

そこからは流れるように事が運んだ。本部での研修と保護者への電話挨拶。そして遂には今日、初めての指導日を迎えるに至ったのだ。
予め聞いて想像していた以上に、その子は殆ど喋らなかった。これは僕とどっこいどっこいだなと、思わず苦笑してしまう。だけどバイトとは言え僕は仕事で今ここにいる。前日のシミュレーション通り、自分に出来る精一杯の指導をして、初回の90分間を終えた。

帰り際、保護者の方から「今日はありがとうざいました。来週もまたよろしくお願いします。」と言われた時、本来なら自分がそう言うべきではなかったかと思ったのに、焦って「あ、はい。」としか言えなかった。
そしてあの子は、やっぱり何も言わなかったが、ただ僕をじっと見つめていた。その瞳は、ちょっとびっくりするほどに真っ直ぐで綺麗で、何て言うかとても可愛かった。

だから今夜、僕はまだ眠れそうにない。
1週間後また君に会えるのが、心から楽しみになってしまったのだから。

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以上、[ピリカ☆グランプリ]参加作品でした。

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