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ボードリヤールから秋分素麺まで

Happy Autumnnal Equinox!

雨が降っている。野生化した沢蟹が、うっかり隣家の生活排水を浴びてしまい、とまどっている。
土曜の夜の振り返り関連雑記。かなりの間UPしてなかったが、秋分の日前夜なので、「あちゃー! やってしまいました」予防のやること確認と併せ次の作戦を考えるといったルーティンにとどまらず、かなり長いスパンで振り返ってみた。
その関連雑記ということで「サタデーナイトフィーバー」若干のスペシャルバージョンです。

今、就職したとたん会社の先輩から
「とにかく、まずはボードリヤール読め!」
などと言われる新人コピーライター氏は(たぶん)いないと思うけど、私が社会人デビューを果たした1990年代には、いかにもありがちな話だったんであり。ともかく私が社会人として最初に関わった仕事は、上手くやれたかどうかは別として、いわゆる《記号的消費》を促す手伝いだった。
《記号的消費》とは何か? 説明するといくらでも面倒くさくできるけど、
リンク先動画中の宮台先生によると

〈機能的には必ずしも買い替える必要はないが、今までの木目調はダサい。これからは森英恵の蝶がプリントされたものが良いんだ!……みたいにして行われる消費。そして、その価値基準はあっという間に陳腐化する〉

といったもの。

『宮台真司氏 最終講義』と題されたこの動画、『最終な訳ねーだろ!』 とご本人は仰ってますが、要するに『東京都立大学退任記念講演』です。
これをつい何度も繰り返し視聴してしまったりする訳ですが、何でかというと、自分が職業人というか社会人デビューしてから_あるいはそれ以前から_令和の現在までをざっと振り返る際の環境動画的にも有効だから。と、何か持って回った言い方なってもたけど、宮台先生は世代的に、私の師匠連よりちょい下であり、師匠たちが答えてくれなかった私の疑問に対して、何の忖度たらもなしでわかりやすく答えてくれる存在だからです。

消費社会の限界が露わになってくるのと並行して、コミュニティが壊れていく様子が可視化された歴史を改めて振り返り、やはり引っ掛かったのは、〈法界隈/掟界隈〉という言葉。まあ、言葉が引っ掛かろうが引っ掛かるまいが、このあたりの行ったり来たり、適材適所のルール運用が、令和六年現在まったくうまくいってないことだけは確かなようです。私的に言うなら〈公正公平〉であることと、〈誠実〉であることの間に矛盾が生じた場合どうするか?_余談ですが、Camino SinceroというMagical Mottoに込めたのは、どーしよーもない時は〈誠実〉であることの方を優先しようという思いでもありました_。
宮台先生は、令和の今では既に完全に失われてしまったものだが、かつて確かに当たり前にあったもの_風習からアートから、広い意味で人間の産出物_を適時例示してくれる訳ですが_余談が過ぎるとまた何言うとんかわからんんなんので詳しくは触れないが、令和六年現在の昭和歌謡曲再評価の流れは、例えば、七代目立川談志師匠が、三橋美智也などのいわゆる《ふるさと歌謡》がお好きだったことやなんかともパラレルで視野に収める必要があると思います_。

リンク先動画から少し離れますが、もう一つ、昨今割と真剣に考えてしまうこと。
即ち、失われた後、つまりンじゅうねん後になって初めて指摘されるんであろう〈令和六年現在の当たり前の豊かさ〉とは何か? ということ。

あと、振り返りの過程で、唐突にクリアに再生された場面。
師匠連の一人が何か仰っている。
「ンな背中向けてペロッと舌出すみたいたコピーばっかり書いとったらアカンど!」

Happy Autumnnal Equinox!



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