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6月27日(日)何Cho目?

私ことSaturday nite sober、昨夜は何を振り返る間もなく熟睡し、目覚めてからは何を振り返る間もなく労働に勤しみ漸くにして改めて振り返れば、例によってくだらないノイズのみであったり。

あるジャズミュージシャンの即興演奏を聴きながら、「らしいね!」とか言って達してしまう人/「こいつ、また手癖に逃げてやがる」とわかったふうを宣う楽器さわったことない人。

自分は、どちらにも同意しない。らしくはあっても即最高と言えないし、手癖であっても即逃げているとは断定できないから。

手癖はフィジカルの問題だと決めつけていたことを反省しつつ言うんですが、考えてみれば考え方の癖、感じ方の癖、欲し方の癖などなど、無くて七癖いろんな癖があるんであり。自分はそれを怠惰の証ではなく、鍛錬の賜物(☆1)と理解している。

「相変わらずね」「またかよ?」などのフレーズが、誉め言葉なのか罵倒なのか判断し難い場面は多い。このように、ほとんど全ての言葉は、面倒くさい日本語の話(☆2)をするまでもなく両義的だ。

そんなこんなで、一気に全てを超越するようなインプロヴィゼーションは無理でも、微妙にズレながら繰り返す「ちょっと違う」、「更にもうちょっと違う」自分への投機を地道にやっていきたい夏です。

お退屈様でした。


☆1)怠惰の証ではなく、鍛錬の賜物:

努力に対するリスペクトて、前世紀の徹夜自慢のように恥ずかしい面があったりします。しかし自分は、「ほたら何かえ」の一言からいかようにも語りを展開できる天才的噺家の芸を見聞しているし、時代によって手癖が変わっていったジャズの巨人を知っているし、「雨が降っている」で始めれば何でも書けると思っている。少なくとも、その程度には手癖(または口癖)の力を信じている。


☆2)面倒くさい日本語の話:

日本語に限った話ではないが、例えばよくあるプロトタイプ論。持ち手が付いているプラスチック製のカップを「コップ」と呼ぶ人はいるが、「グラス」と呼ぶ人はあまりいない。同様に、ガラス製のワイングラスやシャンパングラスを「グラス」と呼ぶ人は多いだろうけど、「コップ」と呼ぶ人は、まあ珍しいでしょう。じゃあ、ガラス製のタンブラーやデュラレックスタイプの器を何と呼ぶか。大まかには、コップ派、グラス派、どっちでもええやん派に分かれると思われる。

「いや、そうじゃなくて、グラスてのはね、英語のglassから来ているつまりはガラス器全般を指すワードなんだから、そこはマテリアルの問題であって形状は関係ない」

といった語源厨的解説も、日本語のグラス/コップ問題を解決する上で何の助けにもならない。

「サイゼリヤでグラスワインをオーダーしたら、このようなプラスチック製の器でサーブしてくれたんだけど、これはグラスじゃないの?」

現実には、プロトタイプ的なコップと、プロトタイプ的なグラスの間に、グラス的なコップやコップ的なグラスが無限のグラデーションを描いているだけであったり。




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