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空手部から学んだ人生の生き方。

どうも、電脳海賊です
今回は自分の実談をお話するんですが今書いてみても令和の時代には

完全にアウトな内容ですね

それでも自分はこの経験をベースに社会に出て強く生きて来れたと思うので参考になる方は参考にして頂きたいと思いキーボードを打ちます。

近年『体罰』に関する報道多いですね
本当に日本は弱体化したみたいで情けなく思います。

パワハラ、モラハラ、何でもハラスメントで済まそうとするのが自分的には無理な感じです。

自分は高校の時に所属してた部活は空手部でした
そこでの経験と感想と結果を今回は書きますね

コレは着色無しの全部事実です
多分、自分の先輩や後輩とかも見る事になると思いますが、きっと気持ちは自分と同じだと思います。

自分の行ってた高校の空手部は当時県内屈指の強さで本当に空手の名門校でした。

・寸止め空手
・スポーツ空手

なんか言われてますが実際にはボコボコに当てるし骨も簡単に折れる
歯も無くなるし、鼻も折れますよ。

そんな空手部の練習は今の時代では完全にアウトな内容です。

まず朝練が無い日の(試合前は朝練がある)朝は先輩方が部室に来るまでに必ず1年は部室に毎日行き掃除や当番制でその日の仕事をします。

そして先輩が来たら1年生は全力で先輩の用事や機嫌取りを積極的に執り行います。

なぜ、そんな怠い事を自発的に行うかは後に分かります

3年→神
2年→人間
1年→ゴミ

本気でこんな図式で1年生の1年間は本当に毎日地獄でしたね。

そして1限目授業が始まりますが日々の練習の疲れで昼まで眠り授業なんてまともに受けません(私学の強豪クラブなので黙認される)

そして昼休み当時の空手部には
『先輩を見かけたら如何なる時も全力で挨拶』なるものがありました。

自分達1年が先輩に使える単語は【押忍】のみです

口答えなど許されず先輩が一番正しいってのを徹底的に叩き込まれます

校内で、食堂で、普段の生活で・・・如何なる時も先輩に遭遇したら全力で【押忍!】です。

昼休みの部室にはその日の『当番』が二人常駐して先輩の小間使いやマッサージを行います。

そして放課後の地獄の練習が始まります
この為に学校に行ってたと言っても過言では無いですね。

【県内最強校】の練習です
そりゃ普通じゃ無い

自分や仲間の道着はいつも血塗れでした

1年生の時は『醤油を痛いと思わず食べれる日は来るのかな?』と思うくらいいつも口が切れていたし

寝る時にいつも身体中が痛くて『いつか普通に仰向けで眠れる日が来るのかな?』と本気で思う位いつも身体中を損傷していました。

【練習】だけでも想像を絶する内容で1年生の内は技術より主に体力や根性を鍛えられるんです。

まぁ、根性一択だった様な気もしますが・・・

そして練習だけなら先輩方に歯向かう姿勢も生み出せたでしょうが空手部には1年の牙を徹底的に折る仕組みが有りました。

まぁ練習の時点で超強い先輩方に歯向かう牙なんて殆ど折れてるので超ダメ押しなシステムなんですが・・

空手部の伝統はいくつもあってその中でも強烈な伝統に

・声出し
・シバキ

がありました。

声出しは声出しを行うまでの前菜に色々なバージョンがあって

一例ですがいきなり裏山に連れて行かれて、1年生どうし二人一組にさせられます

そしてオンブ状態で100歩ずつ険しい山道を登らさせられるんです
無論途中で落としたら100歩後退してまたやり直し。

それも鬼の様な先輩の激や蹴りを受けながらです。

そうやってとにかく体力や精神力を極限まで削られます
そして本当にギリギリの状態で山の上にある誰も人が来ない場所に到着します。

自分達1年は疲労困憊で息するのがやっとの状態ですが
無論、給水などあるわけがありません(本当に危ないですよね)

そこで先輩の一人が【円になって目を瞑れ】と言います
自分達の選択肢は『押忍』しか有りません

そして声出しが始まり
一人が全力で『押忍!』と叫ぶと周りの1年が続いて『押忍!』と叫ぶ

そのリードの長さは先輩次第なんですが大抵叫んでる間に何人かは気絶します。先輩の罵詈雑言の中、頭が真っ白になり気絶寸前の状態で全力で『押忍!』という単語を叫び続けるんです

それだけならまだマシでその全力で叫んでる間にも先輩のビンタやミゾオチへの突きや蹴りが容赦無く飛んで来ます

隣で腹を殴られた同僚が嗚咽を上げて吐いている
対面側で誰かが倒れた音がする
眼を瞑ってるので確認の仕様が無いのと他者の事を想ってる余裕などありません。

しかし全員のリードが終わらない限り声出しは終わらない

暗闇の中でいつ殴られるか分からない恐怖と体力や精神力の極限状態で人は洗脳されて行きます。

【先輩に逆らったら殺される】

1時間ほど(だったと思います)で声出しは終了
永遠とも思える1時間です

その時自分達1年生は喉が潰れて声がもうまともに出ません

山を自力で降りる気力も無い
それでも先輩が動き出したら付いて行き、先輩の言葉に全力で声にならない押忍を言う自分達に対して先輩からの一言は

【お前ら明日からもっと気合入れろよ!】

先輩方も皆通って来た生き地獄、県内最強になるのは技術では無くまずは心構えでした。

そんな地獄の日々を1年も送ると自分達の『基準』が良い意味で壊れて来ます。自分達の『当たり前』が他校では『超凄い』事になっていました。

実際に県内他校との練習試合は圧倒的に話にならないレベルの差があって、他校と戦った時に初めて自分達は本当に強いという自覚と自信が出て地獄の日々が報われる瞬間です

当時県内最強校と言われてたのは3校で

一つは自分の神◯学園
一つは村◯工業
一つは尼◯西高校

どの高校が一番になるかは本当に当日まで分からない程実力は均衡していました。

そして時は流れ
厳しく、強く、優しかった(?)先輩方も卒業し
気づけば自分は主将となり部を率いていました。

そして鬼強い後輩達も入って来て(後の部の全国最高記録を出す)そのチームを統率するという貴重な経験や
自身のライバル達との戦い

県大会で個人優勝したり
西日本で個人3位になったり
全国に出て初めて感じる壁や挑戦

空手部での経験は後の人生を生きる為の大切な事が全て入ってた様な気がします。そして3年やり切った自分の部屋には沢山の賞状やトロフィーや盾が飾られていました

空手部に入って無かったらどうなっていたのか?
きっとゴミみたいな青春時代を送っていたと思います。

理不尽にシバかれた日々も今や先輩方との大きな絆となっています。

自分はあの高校に行き、あの部活に入り

あの先輩方と
あの後輩達
あの部室と
あの体育館
あの道着と
あの帯

そして何よりも

あの仲間達と一緒に青春時代を駆け抜けて本当に良かった
今でも心からそう想えます。

皆さんは命を賭けて戦った事はありますか?

自分の人生では何度もありますがやはりあの『空手部』の記憶に勝るモンは無いですね。

何でも良いんです
全力で生きて、全力で戦ってみましょう

きっと未来はその努力に必ずついて来ますから。

今回はここ迄です
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Bon Voyage!

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