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『青春』とはなんや....

青春とはなんなのか....

教室で女子と二人きりになってイチャイチャすることなのか?

白い球を汗をかきながら追いかける事なのか?

社会人になると、機械的な労働が増えて心が枯れていくわけです。資本主義の奴隷として働いている皆さんも漏れなくの例に入るでしょう。

もちろん僕も資本主義の奴隷として、心が枯れそうになることがあるのです。

そうなると過去の高校時代の思い出が「青春」で、「現在は青春ではない心が枯れた状態」という考えに至るのが普通でしょう。

しかし、ひょんな事でサミュエル・ウルマンの「青春」という詩に出会って、考えが変えられました。

長いですが「青春」という詩の引用になります  

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、 心のもち方を言う。 薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、 たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。 青春とは人生の深い泉の清新さを言う。
青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。 ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。 年を重ねただけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いる。 歳月は皮膚にしわを増すが、 熱情は、失えば心はしぼむ。 苦悶や・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、 脅威に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、 人生への興味の歓喜がある。 君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。 人から神から美・希望・喜び・勇気・力の 霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、 悲嘆の氷に閉ざされるとき、 20歳であろうと人は老いる。 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 80歳であろうと人は青春にして已む。」
サミュエル・ウルマン 「青春」  

青春とは、「人生の或る期間を言うのではなく、 心のもち方を言う」のです。あくまで時期の問題ではないと。

青春とは「たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。 青春とは人生の深い泉の清新さ」のことなのです。

だから、「20歳の青年よりも60歳の人に青春がある」わけなのです。

「未知への探究心」や「人生への興味」、「脅威に魅かれる心」が人の胸にはあり、それが青春につながっていくわけです。

なるほどな。と思うわけです。

青春とはいつでも持つことができるのか。それは「心の持ち方」の問題なのか。と思わされるわけです。

特に以下のフレーズには、心を動かされるものがあります。

「霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、 悲嘆の氷に閉ざされるとき、 20歳であろうと人は老いる。 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 80歳であろうと人は青春にして已む。」

確かに社会人になって「諦め」みたいなものから「皮肉」めいた生き方になってしまうことがあります。それが、「精神が皮肉の雪」に覆われてしまうというのは、とてもよく分かります。

そして、「頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 80歳であろうと人は青春」することができるという圧巻のラストで、心が震わされるのです。

本当に良い詩だと思うわけです。

この詩、松下電器創業者の松下幸之助も愛読していたらしいです。


    

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