愛欲よ

大学四年生秋、急にセッ○スを経験してみたくなった。それには一応理由があって、私は就活時期から様子がおかしくなっており、藁をも掴む思いでセッ○スを掴もうとしていた。就活での「自分がないのに自分をアピールする」ということが心底辛くて、精神的に参っていた。なんとか就活を終わらせたものの、そのナーバスさに悪い意味で変化はなく、鬱屈とした気持ちで残り短い大学生活を過ごしていた。いつも通り虚な表情でTwitterを必要以上にチェックしていると、とある投稿が目に飛び込んだ。
「鬱の人もセッ○スすると元気になる」
そうなの!?
私は当時それを経験したことがなかったので一段と興味を示した。今思うとかなり乱暴な情報だ。しかし情報処理能力が低下した私は、鵜呑みにしてセッ○スを掴みに行った。
その週末の街コンに一人で参戦したのだ。
震える手で街コンサイトの応募ボタンを押した。
周囲の友達は敢えて誘わなかった。私は陰険な大学生で友達も陰険な大学生だった。恋人がいないのは当然、経験がないのも当然、誘われもしないのに「合コンとかダサいよね」といい、液晶越しの男に金を注いでいるコミュニティに属していた。
バレたら大いに軽蔑と嘲笑をぶつけられると思ったので街コンのことは周りに言わなかった。その時は軽薄な男女交流イベントを蔑むプライドよりも、「セッ○ス」というポケモンだと「げんきのかけら」のような一発復活アイテムを手に入れたい気持ちが強かった。
金曜夜に街コンに参戦した。その街コンは基本二人参加だったため、一人で来ている私に対して男性側から疑問を投げられることもあったが「あーん、友達が急に参加できなくなってえ…」と返答した。私は場合によっては自分のために嘘をつく人間である。しかし欠員の罪悪感はあったので、なるべく快活にトークを回した。そこで、複数人とラインIDを交換し、その日は帰宅した。
そして、その中で一番早くラインしてくれて、一番早くデートに誘ってくれた男性と、その翌週にはデートし、即日告白してくれたので、即日OKした。
その日にセッ○スに至ると思ったが、普通に帰宅できた。偏見だが街コンで出会った女に、初デートで即告白する男は全員不届き者だと思ったが、そうではなかった。そしてその翌週のデートでキスをした。しかしセッ○スはしなかった。次のデートでもしなかった。交際して1ヶ月半くらいして、二人で長野県の白川郷へ旅行に行った際にやっとセッ○スをした。かなり回り道に感じだが、いい回り道だった。

ここから先はしょうもない話になるので申し訳ないのだが、結果的にいうと
〜セッ○スではなく愛が人を救う〜
ということである。
案外セッ○スに至るまでは時間がかかった。お互いの恥じらいとか尊重への気持ちとかなんかそんな感じだった気がする。
交際してくれた男性は非常に愛情深く面倒見のいい人であった。愛情を素直に言葉にし、冷静に話し合いをしてくれ、電話やラインなどのコミュニケーションをマメに行ってくれた。
セッ○スが動機だったが、とても誠実な交際をさせてもらえた。
私は就活ナーバスに限らず、メンタルが弱くすぐウジウジするタイプだったが、その男性と付き合ってから、愛情を随分与えられ、心が潤いぐんぐんと根の太いメンタルになった気がする。
誰かに愛されている・大事にされている自覚というのは人を強くするなと思った。

しかし、その男性とは遠距離などなんやかんやあって別れてしまった。ただ愛情を素直に伝えることや、信用して欲しかったら自分から心を開くことなど、人として大事なことを教わった気がする。その後、別の男性と交際するも、以前の面倒見のいい男性に甘やかされたことから図に乗り、その男性に過度に甘えたところ、「幼児退行がきつい」と言われた。恋人だからといって無制限に甘えてはいけないことをその時猛省した。

健全に「愛された・大事にされた」経験があると人間強くなるなと思う。根っこに栄養が満ち足りて、人として安定する気がする。一度愛されたから次も愛されるかもと挑戦できるし、愛される幸せも知っているから大事な人を大事にしようと思える。ただ私は未熟なので、「だいちゅき」などと言って、「幼児退行がつらい」と他者を困らせてしまったこともあり、より人間らしい愛し方を理解していきたいと思う。
セッ○スは愛のおまけである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?