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しきから聞いた話 160 仕舞いの供養

「仕舞いの供養」


 里からなだらかに上る山道の、二つ目の辻に小祠がある。

 そこから先には、畑も果樹も無い。里の人がその先へ行くのは、奥の沢で魚を獲るのと、山人に何かしら用事があるときだけだった。

 今は、山にも、里にも、住む人はいない。それでも、町へ出た里人から年に数回、里と山の祖霊祀りを頼まれていた。

 盆に訪れると、夕刻にはよく人魂が飛んだ。なんだか喜ばれているようで、悪い気はしない。しかし今回は、昼過ぎて間もない時分だったので、じいじいと降りそそぐセミの声のほか、気配は何もしなかった。

 里と山を分ける小祠への道を、花を持って上っていくと、意外な光景が目に映った。

 小祠を囲むようにして、鮮やかな赤い着物の人形が、数十も並べられている。大きさはさまざまだが、大きなもので一尺くらい、小さなものは片手におさまるくらいか。近付いていくと、その人形達がみな、異様であることが知れた。

 頭をもがれたもの。手足を失ったもの。胴が、半分ほどもちぎれたもの。
 まともなものは、ひとつとして無い。

 年に数回はこの小祠を訪れるが、こんな光景に出くわすのは初めてのことだ。何がどうしてこうなったのか。いったい、この人形達を放っておいてよいものか。そんなことを考えながら、まずは持ってきた花を、花立てに活けることにする。金属製の筒がネジで台座に固定されているから、くるくると外して、すぐそばの小川で洗う。
 新しい水をたっぷりと汲んで戻って来ると、小祠の脇に、ひとがしゃがみ込んでいた。

 ねずみ色の汚れた単衣に、ほどけかけた帯の、女。
 老女、というほどではないが、年配と見える。

 手には、人形を持っている。
 赤い着物。六、七寸ほどの大きさ。左の肩口から胴の真ん中あたりまで、着物ごと切り裂かれている。

 あぁ、この女は、生きた者ではないな、と思ったとき

「あの、」

 女はしゃがんだまま、首をこちらに向け、虚ろな目を上げた。

「この子達も、供養してもらえませんか」

 黄泉路にいるはずのおまえが、なぜここにいるのか、と尋ねると、女はゆっくりと人形達を見回してから、またこちらを見上げた。

「いつも、してくれてますよね」

 問いへの答えではない。ならば。

 供養はいつも、里の者からの依頼で来ている。
 おまえが言うのとは少し違うと思うが、おまえはどこの者か。

「里からのお頼みは、もう要らぬ。山の血は、絶えたぞ」

 ざっ、と、つむじ風が立ち上がり、小祠を取り巻いてがたがたと鳴った。

「里から捨てられたもの達が、山人ぞ。知らぬで供養しておったのか」

 女の姿が崩れてゆく。昼日中の明るいはずの山道で、そこだけが暗い影になっている。

 里の者達が、何を山人と呼んでいたのかは知っている。
 だからこそ、供養を引き受けてもいる。
 最後の山人が死んだのは、もう、百年も前のことだ。

「里の供養は、もう要らぬ。山の血など、もう、」

 しまいまで言わず、気配が消えた。
 見回すと小祠の周りにあるのは、ぼろぼろに色の抜けた、古い古い人形ばかりだった。
 これまで来たとき、こんなものは無かったはずだが、と思いながら、さらに近付いていくと、小祠そのものが種明かしをしてくれた。

「おっしゃる通り、最後の山人が死んで丁度、百年経つのです。これまで山人達の魂は、里人の供養に縛られて、里人の、捨てたものへの罪悪感に縛られて、捨てられても消えない血の縛りに捕らわれて来ました。もう、ほどいてあげて下さい」

 承知した。
 誰からの、ではなく、ここにあり続け、里と山を見続けた、小祠からの依頼として、供養を引き受けよう。

 やるべきことを終えると、陽はもうずいぶんと西に傾いていた。

 それじゃ、帰るよ、と声をかけると

「ありがとう」

 と、小祠の中から聞こえた声は、あの女のようにも思えた。

 見回すと、古い古い人形達は、跡形もなく消え去っていた。

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