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しきから聞いた話 185 竹の春秋

「竹の春秋」


 旧市街の奥、山を背にした竹藪に囲まれるようにして、その家はあった。

 以前はもっとひらけた雰囲気だったのだが、竹藪を手入れするのがたいへんで、家人があまり気にかけないたちでもあり、家より竹が目立つようになってしまった。近所のひとが気安く筍掘りに来たりして、喜ばれるから余計そのままになる。そのうち裏山の狸やら穴熊までが来るようになり、人やら何やらの寄合所のようになってしまった。

 家には老夫婦と、その孫が住んでいた。
 働き盛りの息子夫婦は、仕事の都合で遠方に暮らしている。孫は体が弱く、祖父母ならば日中も目を離さずにいられるからと、こちらに残った。母親が二週に一度は帰ってくるから、辛抱もできるのだろう。そしてこの孫、来年に小学校に上がる翔太という男の子には、一緒に育った姉のような存在があった。

 ゴールデンレトリバー。名をモモという。
 たいへん賢く、穏やかな性質のモモは、この冬の終わりに仔犬を産んだ。出産は3度目で、モモの性質と容姿の美しさのゆえに、仔犬はいつも、あっという間にもらい手が決まった。だが今回、いちばん小さく生まれたオスだけは、翔太がどうしても自分で育てると言い張って、家に残すことになった。

 翔太にとってモモは姉。となれば、その子、ジロと名付けられた仔犬は、甥ということになろうか。
 しかし翔太とジロは、まるで兄弟のように仲良く、片時も離れずに過ごすようになった。自然、モモはふたりを共に、子供のようにあやしつける。
 老夫婦はそんな孫と仔犬の様子に目を細め、先日、端午の節句には、ジロのためにも小さくとも立派な、鯉のぼりを立ててやったほどだった。

 その仲良し兄弟が共に、この一週間ほど、外へほとんど出なくなり、めっきり食欲も落ちてしまったのだという。
 連絡が来たのは昨夜のことで、医者には診せたのかと訊くと、翔太の祖母が溜め息まじりに答えた。

「翔太もジロも、診てもらいましたとも。特に翔太はほら、ちょっとしたことでも高い熱を出すでしょう。でも今度のはね、そういうのじゃないみたいなんですよ」

 原因がわかるものなら、すでに対処しているだろう。わからないから、こちらに話が来る。心配そうな声の祖母を、明日には行くからとなだめたのが夕刻、日暮れの頃合いだった。

 その夜は、満月だった。
 暑くもなく、寒くもない。さらりとした風の吹き通る、皐月の宵。縁側を開け放って、静かに冴えた月光浴に身を浸していると、目の端に細い影が立ち、すっすっすっと近寄ってきた。

 見ると、痩せた、あごに白く長いひげを伸ばした、仙人のような老人が立っていた。
 どことなく、気品のある面差しだ。
 悪意のあるものとは思えない。無言で見つめていると、二間ほどまでをすべるように近付いて、止まった。
 にこり、と笑う。

「大事ない 大事ない」

 それだけ言うと、蒼い月の光の中に、すうっと消えた。

 何だろうとは思ったが、やはり悪いものとも思えない。それに、不思議な清涼感が胸に残った。これはきっと、明日のことだろうなと感じて、それ以上は考えるのをやめた。

 約束の午前中に訪ねて行くと、老夫婦は待ちかねたように出迎えてくれた。ふたりとも、同じように眉間にしわを寄せている。

「今すぐ死ぬの生きるのってんじゃないのは、わかっているんだけどね、翔太だけじゃなく、ジロまで弱っているみたいでね」

 祖父が先に立って、居間へ入っていく。

「今朝も、ちょっと外へ出て、すぐ戻ってきて、ご飯もずいぶん残したんですよ」

 祖母は後ろについて、早く診てくれと追い立てるように急かす。

 居間に入ると、庭に面した大きな掃き出し窓から、レースのカーテン越しに柔らかな陽が射している。その窓の横にテレビが置かれ、すぐ前には大きなゴールデンレトリバーのモモが、伏せていた。すらりと首を上げた姿は、スフィンクスを想起させる美しさだ。

「いらして下さったんですね。お祖父さんもお祖母さんも、心配しすぎなんだから」

 モモのすぐ横では、翔太とジロが、抱き合うようにして寝ていた。
 その様子だけでは、とても具合が悪いようには見えない。きわめて平和な光景だ。

 近付いていくと背後で、老夫婦が「お茶を淹れてきます」と言って出て行った。

「いつもああやってふたりで、仲良しはいいんですけどね、心配事があると、ふたりでどんどん、悪い方へ悪い方へと考えてしまうんです」

 モモは、ひとならば苦笑しただろうか。
 おまえはわかっているんだね、と訊くと、この賢い犬はあっさりとこう答えた。

「竹藪の、竹の葉が黄色く枯れたのが心配で、気になって仕方ないだけなんです。今朝もふたりで見に行って、すぐに溜め息をつきながら帰ってきました。この子達も、お祖父さん達といっしょ。仲良しはいいけれど、同じように心配事を膨らまして、大きくしてしまうんですよ」

 モモから聞いたところによると、こんな話だった。

 始まりは、春に咲いたチューリップを、ジロがとても気に入ったことだという。
 冬の終わりに生まれたジロは、初めて見た赤や黄や白の花をとても気に入り、毎日、周囲を走り回っていた。しかしチューリップは10日間ほどですべて散った。花は咲いて、散る。生まれたものは、いつか死ぬ。それだけならばジロは、大事なことを知ったというだけでよかったのだが、失う、ということへの想い、恐れが、強すぎたらしい。不安感が大きく残ってしまった。
 それに共鳴、同調してしまったのが、翔太だ。
 春になれば、次から次へと花が咲く。咲けば、散る。そのたびにジロは悲しみ、恐れ、その不安が翔太へ響く。小さな積み重ねが膨らんで、はじけたのが竹藪だった。

「翔太は、春過ぎに竹が葉を枯らすのが自然だということを、知らないんです。お祖父さん達から、葉は秋になると紅葉して落ちると教えられているから、秋でもないのに葉を落としている竹は、もう死んでしまうんだと思ったようです。この子達にとって、竹藪は大事な遊び場、自分達の国なんです。国が亡びるって心配しているみたい」

 モモは、私は犬ですからね、翔太に説明はできないんです、ジロはまだ理解できないし、と言った。なるほど、おっしゃる通りか。

「あの、どうでしょうか」

 振り向くと、老夫婦が戻っていた。
 ふたりはそれぞれ両手に盆を持ち、祖父は茶、祖母は菓子を乗せている。仲良しで、同調し、響き合うふたり。

 さて、何から説明をして、どこから手を付けようか。

 モモの話を聞いていて、昨夜の仙人のような老人は、まず間違いなく、竹の精霊だと感じられた。翔太とジロは、あの老人に遊んでもらっていたのかもしれない。「大事ない」とは、翔太も、ジロも、竹藪も、ということか。

 竹は春に筍を産み、その成長に精力を使って、疲れた葉を落とす。竹の秋、と言われる自然な現象だ。そして秋には成長した若竹と共に、また爽やかに青々とした葉を茂らせる。竹の春、である。

 春と秋が、逆になってもいいのだ。
 それぞれが違っていていいのだ。
 そのあたりをまず、老夫婦に話してやらねばなるまい。

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