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しきから聞いた話 137 スイートピー

「スイートピー」

 知人の月命日に参るのに、花を買って行こうと店に立ち寄った。

 明るい店内には、春の花がとりどりに飾られ、甘い香りが、ふわりと鼻をくすぐる。
 店先の仏花だけでは味気ない。少し足してもらおうかと見回して、若い、少女のような店員と目が合った。

「はい、何でしょう」

 微笑みながら近付いてくる。
 春らしい花を何か少し、仏花に合わせてほしいと言うと、軽くうなずきながら、奥のガラス張りのショーケースを開け、にこりと小首をかしげた。

「この、チューリップですとか、ストックも、春らしくてかわいいですよ」

 悪くはないが、いまひとつのような。さりとて、こちらも花にくわしいわけではない。どうしよう、と思って見る先に、ふわふわと淡いピンク色の、スイートピーが目に入った。

 それは、と言いかけたところで、視線の行き先に気付いた店員が、眉を寄せ、少し困ったような顔になった。
 さっとカレンダーに目を走らせ、次に時計を見る。

「あの、これは、いつもこのくらいの時間にいらっしゃる方が、お求めになるかなぁと思って」

 正直な物言いだ。予約だと言ってしまえば、事足りるのに。

「あ、でも、大丈夫です。仏花とご一緒でしたら。何本くらい入れましょうか」

 いや、いいよ。どうしても、というのではない。やっぱりチューリップにしようか、と話していると、店の入り口の扉が開いた。

「あっ、いらっしゃいませ」

店員の顔が、ぱっと輝く。

「いま、うわさをしていたところです。あ、そこ、気を付けて」

 ゆっくりとした足取りで入ってきたのは、真っ白な髪を後ろで上品にまとめた、小柄な老婦人だった。どうやら、目があまり良くないらしい。杖をつき、狭い歩幅で、足元を探るようにしながら進んでくる。

「うわさ、してたの。何かしら。うふふ」

 耳に心地良い、穏やかな声音だ。

「今日は、高橋さんにと思って、スイートピーを忘れずに入れておきました。こないだは丁度、売れちゃってたでしょう」
「あら、嬉しいわ。いただいていきます。あ、ごめんなさい、こちらの方が、お先でしょ」

 老婦人が、こちらに会釈を寄越す。目は、ずいぶんと悪いのかもしれない。目線が合わない。

「高橋さん、スイートピー全部持って行かれますか」
「ずいぶんあるの」
「いえ、2束だけです。でも、もしよかったら、こちらの方にも少し、と思って」
「まあ、もちろんよ。うちの分なら、またいただきに来てもいいのよ」

 老婦人は常連で、スイートピーが好きなのだろうか。
 祖母と孫娘のような語らいを、横から何とはなしに見ていると、店員の手が忙しくなったあたりで、老婦人がこちらに向けて、問わず語りを始めた。

「スイートピー、いい香りでしょう。私、目がこんなだから、この香りがとっても嬉しいの。主人が亡くなったとき、お棺の中をスイートピーでいっぱいにしてあげたのよ。だからね、いつもね、それを思い出すの」

 老婦人は、遠くに何かを探すような顔になった。

 しばらくそうしている老婦人を見ていると、やがて腰のあたりから下に、淡いピンクの薄もやのようなものが動き始め、見る間にぼんやりと半透明の形を成した。

 四、五歳くらいの背丈の、子供の姿に見える。
 老婦人が右手で持つ杖に、両の手を添えるようにしている。

 花の精、のようなものか。
 老婦人を慕う、温かな想いが伝わってくる。

「すみません、お待たせしました」

 店員が、こちらに仏花を、老婦人にスイートピーの束を差し出す。

「ありがとう」

 代金を払った老婦人が、来たときと同じように、ゆっくり、ゆっくりと帰っていく。
 けれど帰り道は、花の精が供となり、いたわりながら付き添っていく。

 甘い香りは、こちらの手元にも、優しくふわりと残っていた。

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