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続・はすに構えたもう一人の自分が、やることなすことにイチャモンつけてくる。

前回の記事で、「もう一人の自分がいるのは普通か? そうでもないか?」という話を書いた。

で、もう一人の自分がいるという状況について皆様にお伺いしたくて、ツイッターにて投票を募った。

投票してくださった方のおおむね4人に3人が「もう一人の自分がいる」と答え、残りの4人に1人が「いない」と答えた。

……これパーセンテージしか出ないんだ……度数は出ないんだ……
まあいいか……

今回のサンプルはもちろん「私のnote記事やtwitterのつぶやきをご覧になって投票してくださった方」だけなので、偏りとか有意差とか当然のようにあると思いますが(計算してないけど。問いが1問しかない場合の計算の仕方わからん)、確実に言えるのは

「はすに構えてイチャモンつけてくるもう一人の自分が自分の中に存在する人」と「存在しない人」の両方がサンプル内に見られた

という事実であり、おそらく母集団においても両方の人が存在するであろうということだ。
ただ、その割合に関してはコメントしない。そもそも割合が知りたかったわけではそれほどないし。

世の中に「私と似たような感覚を持つ人」と「そうでない人」の両方が存在する、ということだけわかれば万々歳なのだ。

twitterで蛇足として締めを入れようとしたら、文字数が足らなくなったので、この場で入れようと思う。

「いる」勢の皆様:いることにより人生が苦痛でないとしたらそれほど素晴らしいことはないし、いることにより人生が苦痛なのだとしたらその解消法を私と一緒に探していこう、と言いたい。

「いない」勢の皆様:いないことにより人生が苦痛でないとしたらそれほど素晴らしいことはないが、いる勢の中で攻撃的な人に攻撃されないように・されても軽傷で済ませられるように、ゆめゆめ油断めさるな。

自分が人と違うことで勇気がわいてくる時もあれば、人が自分と同じことで安心を抱くこともあるのだな、と思った。

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