マガジンのカバー画像

シューマンの愛と音楽 

6
運営しているクリエイター

記事一覧

コンサート無事終了しました

コンサート無事終了しました

出演者の平川さん中川さん石田さんをはじめ、関わってくださった方々がいなければ実現できなかった昨日のコンサート、無事に終えることができました。

50席用意していましたが、当日券の方が意外といらっしゃったので合計47人の方に来て頂き、シューマンの作品のみのマニアックコンサートとしては、もう感謝しかありません。

大変ありがたいことで、生徒さんが多かったですが、生徒さんのご友人や、お顔をお見かけしたこ

もっとみる
クララに対する深い嘆き《幻想曲ハ長調》作品17

クララに対する深い嘆き《幻想曲ハ長調》作品17

前回の続きです。

ライプチヒでの作曲家・評論家としての地位を投げ打ってまで、他の土地で活動を始めるという無謀ともいえる冒険を実行に移すとは思っていなかったヴィークの予想を裏切り、1838年の10月になると、シューマンはクララより一足先にウィーンへ旅立ちました。驚いたヴィークは、クララに『どんなことがあろうとシューマンとは結婚させない。』と言い渡しました。

ウィーンで新たに音楽評論雑誌を発行しよ

もっとみる
クララの言葉から想像が広がった『子供の情景』とクララへの想いが込められた『クライスレリアーナ』

クララの言葉から想像が広がった『子供の情景』とクララへの想いが込められた『クライスレリアーナ』

前回の続きです。

その後、当初の計画とは違って、シューマンは直接ヴィークあてに、クララとの結婚を申し込む手紙を送りましたが、シューマンが思っていた反応ではなく、無視された上に、話し合いの機会をもったものの拒絶されてしまいました。そればかりか、またもやクララはヴィークによって7ヶ月にも及ぶ長い演奏旅行へと連れ出されることになったのです。

再び離れ離れとなってしまった二人ですが、頻繁に手紙が交わさ

もっとみる
結婚への想いが込められた《ダヴィッド同盟舞曲集》作品6

結婚への想いが込められた《ダヴィッド同盟舞曲集》作品6

前回の続きです。

クララに捧げた《ピアノ・ソナタ第1番》をクララの演奏によってその「叫びへのこだま」を聞いたシューマンは、その夜すぐに手紙を書きました。

封筒の表にそう書かれた手紙が花束とともにクララに届けられました。

翌日クララの書いた返事は

こうして二人はお互いに結婚を誓い合ったのでした。
そしてここから1839年末までに二人が交わした手紙は275通にも及びます。

この時のクララから

もっとみる
君に対するただひとつの心の叫びです シューマン《ピアノソナタ第1番》

君に対するただひとつの心の叫びです シューマン《ピアノソナタ第1番》

前回の続き

楽譜を初めて出版した1831年、シューマンは、彼の創作に次いで重要な功績となった音楽評論活動の口火を切り、当時のドイツではほとんど知られていなかったフレデリック・ショパンの天才を見抜いて評論文を書き、これによってショパンの名はドイツ国内で広く知られるようになりました。

そして1833年頃には、シューマンは作曲においても評論においても次第にその頭角を現してきていました。またこの頃、次

もっとみる
シューマン《アベッグ変奏曲》

シューマン《アベッグ変奏曲》

幼い頃から文学だけでなく、ピアノでも才能を発揮していたシューマンですが、ピアニストを志そうと、母親から許可を得て決心したのが1830年20歳頃です。
しかし1830年〜1832年頃にかけて、その晩学の遅れを取り返そうと機械を使った無理な訓練によって指の麻痺が残ってしまい、ピアニストになることを諦めなければなりませんでした。

絶望の中にありながらも作曲に専念し、クララと結婚するまでの10年間にシュ

もっとみる