ぴーきち

宗教二世的世界観 考え事をまとめております

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最近の記事

宗教2世的世界観

私はなにも知らない子供の頃からそういった教えや価値観の中で生活していたが、外から見る自分の家の異様さに耐えられず学ぶこともやめてしまった 神様のことや霊(たましい)のことを学ぶのは、あっているのか間違っているのかはさておいて、面白く感じていたし、一緒に様々な活動をしたお兄さんお姉さん、おじさんおばさんのことはとても懐かしく思う、 否応なしに自分の人生の大切な一部になっているのだ それがいいのか悪いのかではなく、なかったことにはしたくない 自分の人生の輝かしい一部を変に脚

    • 聖書は人生のヒント?

      今やりたいことがない、なんのために生きているのかわからない、そんなことを思って不貞腐れている若者がどっさりいる テレビを見ればやれ不労所得だ、やれ転職活動だ、洗脳も甚だしい お金を稼ぐことはもちろん生活するために必要だ でももう一つ意味を見出して欲しい、お金だけでなく自分の成長につながるということ 社会は理不尽でおかしなことばかりで嫌になる どれだけ自分でがんばったとおもっても納得する評価がされるとも限らないし相応の賃金がもらえる保障もない そんな中でどんどん心を消費

      • きもい布教活動

        まず一つとして世間からどのように見えているのかを理解すべきだろう むやみやたらにやればわかる、というような語り口で近づけばその人との関係性はそこで終わりだろう 普通の人と正常に関わって生きることをやめる気なのか? そういったことがもたらすリスクの大きさをまったくわかっていない、というか感覚が麻痺してしまっていて理解できない人は残念な人だとでも思っているのではないか 自分達が世の中から残念な人と思われているなんて少しも思っていないのだろう ならどうするか、まずは実生活をまっとう

        • 現代の宗教観

          私の身の回りの小さな世界の物差しで言うと宗教は心の弱い人がするもの、と言う認識が強いように感じる もちろんそうではない、またはそれが全てではない しかし嫌われているのは間違いない なぜそこまでして宗教について敏感に嫌悪感が働くのか 若い世代が理解できないまたは興味がないのは神様との距離が遠いからだと思う 年齢を重ねるにつれて必ずくるのは死だ 死に近づくということは自然と神様、仏様に近くこと そうすると今まで理解できなかった非現実的な話が急に真実味を帯びてくるように感じ

        宗教2世的世界観

          理想郷

          理想郷の話を聞いたがその世界に喜怒哀楽ははたしてあるのか 道場にいて思うのが道場の人間の喜怒哀楽のなさ みんなニコニコして優しくてまるで人間味のない 私はとても気持ち悪く感じていた 今となればその考えは極端だったと思うが実際あの場だけでなくすべての人が組み手になった時そんな世の中になるのではないか 一見争いもなく天国のような世界に感じるがそれは天国であって人間の世界ではないと思う 神様が人間に与えた一つの喜怒哀楽、それは人間の象徴なはずだ 喜怒哀楽があるから楽しいこと

          神様と人間との関係性

          最後の砦として頼るのは間違いではない 最後の砦が神様であるのはどうかお願いしますと天を仰ぐのがそうであるように神様もそういう役目を持っているからだと思う まだできることがあるのにそればかりに頼るのは神様の意に背く行為ではないだろうか 最後に頼るものがあることを広く知らせるために生きるのはあまりに人生を放棄している 必要な人には手は差し伸べられるし差し伸べられなければそういうことなのだろう 輪廻転生をいうならすべての人が報われるなんてことは起こらない 前世で罪を犯せ

          神様と人間との関係性

          宗教二世が思うこと

          自分のため他人のため神様のため 辛い時迷っている時寂しい時頼るかもしれない 少しでも軽くなったりいい気持ちになれるかもしれない なれたとする いろいろなしがらみから解放されて気持ち良くなる その先は? 自分みたいな人にも教えてあげたい 救ってあげたい 神様の考えだとかはその時は考えない ただ事実として自分にとっていいことが起こっていると解釈する そんないいこと辞める理由があるのか 人としてどうあるのが正解なのかはもちろん人それぞれの正解があるし答えなんてないと思う

          宗教二世が思うこと