聖書は人生のヒント?

今やりたいことがない、なんのために生きているのかわからない、そんなことを思って不貞腐れている若者がどっさりいる

テレビを見ればやれ不労所得だ、やれ転職活動だ、洗脳も甚だしい

お金を稼ぐことはもちろん生活するために必要だ
でももう一つ意味を見出して欲しい、お金だけでなく自分の成長につながるということ

社会は理不尽でおかしなことばかりで嫌になる
どれだけ自分でがんばったとおもっても納得する評価がされるとも限らないし相応の賃金がもらえる保障もない

そんな中でどんどん心を消費して倒れてしまう
こんな大変なこと一生続くのか、違う

何もできない若造だから大変なのだ
ここで自分を叱る人間を避けると大変なことになる
何もできない老害ができあがる

上司の評価を一つ一つ気にする必要なんてない
気にすべきは自分がどうすればもっといい仕事ができるのか

そのヒントをだけをしっかりと聞くこと見抜くこと盗むこと

それ以外はなにも気にすべきではないのだ
とはいっても仕事を円滑にこなすうえでは周りの人間とのコミュニケーションも必要となる
そこでまた心労して、、ここまででもう大変すぎて嫌になるが

人とのコミュニケーションで気をつけるべきは自分を偽らないこと

何が一番疲れるかというと気を遣うことだ
使わないのではなく使う部分を変える
自分の意見を相手の都合のいいように変える気づかいはしないこと
自分の意見で相手が傷つかないように言い方に気を遣うこと

それだけで対人によるストレスはだいぶ減るのではないだろうか
今求められているのはこういった教え、救いだと私は感じている
私は大いに宗教を利用すればいいと思う

でもそれは誰かのためではなく自分の人生、生活のためだ

おばあちゃんが病気になって大変だから救いたい
たくさん病院や症例をネットで調べるなりすればいい
整骨院に通っても腰痛が治らない
大きい病院に行って精密検査をしてください
心の病で働けない
道場にいけるぐらいなら区役所に相談にいけばいい

まだまだやれることがあるうちは楽なものに頼るのではなくて人間らしく人間のやり方やればいいのだ

教えを学ぶことはまだしも手かざしに関してはまったくもって反対だ

最後の砦だとしても治してしまうのはズルではないのか

それとも神様が作った、知っている人専用チート制度なのか

キリストの時代なら医療が発達していないのだからみんなこぞって頼るのはわかるけど
趣味だとしてもきもすぎないか
それこそ調和する気がない
占い師ぐらいの物腰でいればいいのではないかと思うのだ

自分が異質なことをしている自覚を持って
私ならどうしても手かざししたい、してあげたい、しなくちゃいけない人がいたならただのおまじないだよ、と言ってすると思う

でなければ受けた人はその宗教を受け入れたような感じになって胸糞悪く感じる人もいるだろうし、どうしても結果発表が必要になる、自信満々な顔で手かざししているのだから

その点おまじないなら効果があろうがなかろうが受けた本人のなかで完結できる
やっぱり効果あっただろう、と自分が気持ちよくなりたいという欲望がないのならそうやればいい、できないなら自分が気持ち良くなりたいだけなのだから

本当に必要な人がいて、本当にその力が人の心を動かすまでのものなら広げようとする必要なんて無いのだ、そういう本物は人伝えに広がって届くのだから

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