殴ってくれてありがとう

酔った父親は酷い

記憶にある8割は酔っていた

そんな父親に殴られまいと次第に自分の暴力性が開花

小さな女の子ながらに2リットルのペットボトルを水でいっぱいにしてダンベル代わりにした

クラスの男の子を投げ飛ばし

家に帰れば父親と取っ組み合い

常に母親と論争していたせいか喋りが上手かったため面白い子として人気だった

自分をいじめるような子はいなかったし、友達がいじめられていれば、いじめっこをゴミ捨て場に閉じ込めたりなど、酷いガキ大将だった

友人の親とも仲が良かったためよくお喋りしていたのだが、そんなとき私の母が職場で(母は友人数人の親と同じ職場で働いていた)宗教の話を出しそれが原因で仕事を辞めていたことを聞いた

その時初めて私の母親は、外からも私の人生をめちゃくちゃにする可能性があるのだと感じたのだ

親は変えられない、自分の立ち回りで全てが決まる

弱者でいては生き残れない

子供ながらに感じたのだろう

兄が猛烈に親に反発していたせいか、親の言っていることが正しいと思ったことは1度もなかった

布団に入って寝るまでの間よく母が神様の話をしていた、素直に聞いていたが疑問に思うことが多くあり、聞き返すことも多かった

母と対話する中で自分の宗教観が少しずつ確立していく

そして母にとって、私より神様の方が大きい存在であると痛感し、小学生の私は時折ひとりで泣いていたのだ

また神様神様って…そんなことを口にしようものなら
母は血相を変えて怒鳴り散らす

いい事があって報告しても神様のおかけ、怪我をしても祈れば治る、うんざりだった
まるで私が存在しないかのよう
私のことを見て欲しかった

当時の親友に相談したとき、第三者から見た私の母は気の弱そうなおばあちゃんといった見た目と話口調だったため、驚かれた

私が産まれた時には、母は40代、父は50代と、周りと比べるとかなり高齢な両親

そのお陰もあって中学生になる頃にはわたしは父より力が強くなっており、暴力に怯えることはなくなった

こんなことを書いているが、もちろん悪いことばかりの親では無い

夏になれば父に小学校のプールへ連れてかれて一緒に泳いだり、小さい頃は家族でキャンプへ行ったり、母も料理が上手で母のご飯が大好きだった

そんな思い出だけが残っていればいいのに

普通の家族

宗教は必要だったのか

父親が酒に酔って暴力を振るうなんでいうのはざらにある、加えて父の世代なら当たり前なのだろう

しかしあの頃受けた宗教による苦痛の日々はどう考えようと浄化できない

兄は高校を卒業してすぐ家を出た、今では親と絶縁状態

別の投稿にも書いたが、私の夢は幸せになることだ

幸せとは、普通であること

その幸せの中には、両親とも仲が良く、自分が家を出てもたまに一緒に食事に行ったりする仲、というのも入っている

私の幸せを叶えるには親と仲良くなる必要があるのだ

親は自分より先に居なくなるし、自分のために生きているのだからそんな必要は無い、という考えもあると思うが

これは自分の為に必要なもので、けして親が幸せになるためのものではない


昨年私の子供が産まれた3ヶ月後に父は死んだ

長年患っていたガンに追い打ちをかけたコロナが原因のようだ

父にしては長く生きた方だと思う

糖尿病でありながら母の協力も無視して好きなだけ飲み食いし、肺がんであるにも関わらず私にタバコをせびり

私は母がいない時好きなだけ父にたばこを吸わせた

私が父なら治ってもう何年か生きるよりも今たばこを吸いたいと思うからだ

父はそういう人間なのを誰よりも分かっている

似ているから

そんな私も今年で23歳になる

母ももう66ぐらいだったか

母が亡くなった時、もっと親孝行しておくんだった、と辛い気持ちになるのは悔しいので親孝行っぽいことはしている

親のためではなく、あくまで自分が理不尽に辛い気持ちにならないために

どんな親でも死ぬ時はきっと泣いてしまうだろうと思っていた

父が死んだ時、涙のひとつも出なかった

父親としては最低だったが、人としては面白い人間だった今の歳になって話したいことが沢山出てくるものだ

母は宗教脳すぎて会話にならないが、父はその点まだまともだ、一緒に酒を飲みながら話している時は楽しかった


私の夢のために、そんな小さな幸せな記憶をかき集めるのだ


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