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「No.14」「兵どもが夢の跡」アングルの《オシアンの夢》

こんにちは!かずさです!

一昨日、昨日とギリシア神話がテーマの話を取り上げて、自分の中で神話ブームが再燃しています。神話はやっぱり面白いですよね!

今日も神話がテーマのものにしようかなと思っていたのですが、どうせならちょっと変わったものが良いと思い、「神話っぽい(&いわくつきの)」作品を選んでみました。

作品紹介

今回の作品は、ドミニク・アングルの《オシアンの夢》です。

油彩画 1813年-1835年 H348cm×W275cm フランス、アングル美術館蔵

ごつごつとした岩場で1人の老人オシアンがハープにもたれかかりながら眠っています。彼の上には、父親のフィンガルや鎧姿の兵士、裸体の女性たちが白く浮かび上がっています。この光景は、眠っている老人の夢の中の景色のようにも、彼を見守る人々の様子にも見えます。

これは、18世紀後半から19世紀前半くらいにかけて大ブームを巻き起こしたした『オシアン』という物語がテーマになっている作品です。一応(?)、ケルト神話が元になっている話です。

ケルト神話といえば最近はFGOなどで有名ですが、大流行した割にはオシアンについてはあまり聞きませんよね。色々理由は考えられるのですが、あまり有名ではない一番の理由は、この『オシアン』が嘘の話だったということが大きいのではないでしょうか。

『オシアン』ブーム

このブームは、1761年にスコットランド人のジェイムズ・マクファーソンが「スコットランドで古代の吟遊詩人オシアンが作った大英雄フィンガルの叙事詩を発見した!」と言ったところから始まります。

この物語をざっくり説明すると、3世紀頃のスコットランドの王フィンガルと彼に率いられた兵士たちの栄光と悲劇をフィンガルの息子であるオシアンが語るという感じです。

語り手であるオシアンは凄く長寿なのですが、彼もまた悲劇的で、戦いの中息子のオスカルを亡くしてしまいます。

この物語は、当時の人々の心をがっちりつかみ、この物語をテーマにした作品がいくつも生まれました。ゲーテが『若きウェルテルの悩み』の中に『オシアン』を引用したり、メンデルスゾーンが作曲した「フィンガルの洞窟」などがあります。

アングルの《オシアンの夢》以外にも『オシアン』をテーマにした絵画はあります。

ジロデ・トリオゾン《ナポレオンの指揮官を迎えるオシアン》1801年 油彩画 H192㎝×W182㎝ フランス マルメゾン宮国立美術館蔵

さらに、作品では飽き足らずなんと子どもの名前にもオシアン風の名前を付けることが流行しました。有名な人では劇作家のオスカー・ワイルドです。

彼のミドルネームはフィンガルなので親はめちゃくちゃ入れ込んでいたものと思われます。今でも物語の登場するキャラクターにあやかって名付ける親はいますが、19世紀にもいたんですね。

そんなこんなで大フィーバーな『オシアン』だったのですが、実はマクファーソンの発表直後からある疑惑がありました。

「この話って伝承じゃなくて、マクファーソンのでっち上げじゃないの?」

つまり、『オシアン』は古代の吟遊詩人によるものではなく、マクファーソンの創作では?ということです。

「3世紀の写本が発見されるのとかおかしい。その頃は普通口伝ではないのか。」という意見が出たのです。この言い分はもっともで、状況が似ているお隣の国アイルランドでも神話は最初は口伝で、写本として書かれたのはキリスト教化した後でした。

例えば、FGOでお馴染みクー・フーリンが登場する『クーリーの牛争い』は8世紀頃に初めて文字として書かれ(これは現在残っていません)、11世紀に『赤牛の書』として改めて書き写されました。

このような例から「おかしい」ということになったわけです。結局は、マクファーソンのでっち上げで、物語も彼によるものでした。

しかし、物語が全てでたらめだったかと言うとそうでもないのです。登場人物たちには元ネタがありました。

例えば、主人公フィンガルはアイルランドの神話に登場するフィアナ騎士団の「フィン・マクール」。彼の息子の名前はオシーンで、オシーンは長命でアイルランドにキリスト教を伝えた聖パトリックにケルトの英雄譚を伝えたという伝説があります。

こういった「ケルトっぽい」要素とポンペイ遺跡の発掘などで盛り上がった古典主義的な世の中の雰囲気、さらにスコットランド人の文化的アイデンティティを持ちたい気持ちなどが合わさって、多くの人が騙されたという結果になったのです。

日本でも1970年代に「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)などで盛り上がったりしているので、「こんな物語があったらいいな」という気持ちが嘘を信じ込ませるのかもしれません。

ナポレオンとオシアン

今回の作品《オシアンの夢》は、テーマとなった物語もいわくつきですが、作品自体の来歴もいわくつきです。

その前に作者のアングルについてもちょっと紹介します。

ドミニク・アングル(1780-1867) 
19世紀前半のフランス絵画最大の権威者となった画家です。いくつかの作品は発表当時批判の的になったものの、歴史画や官能的な裸婦像はとても高い評価を得ています。師ダヴィッドの亡命により新古典主義の後継者とされたアングルですが、作品にはロマン主義的な要素も見出すことが出来ます。

19世紀初頭、権力者だったナポレオン(1769-1821)は新古典主義の画家ダヴィッド(1748-1825)を首席画家として優遇し、ダヴィッドの弟子も注文を受けたりしていました。

そのため、アングルもナポレオンから注文をこなしたり、肖像画を制作したりしています。下の肖像画はよくナポレオンの紹介でも出てくる作品です。

アングル《王座のナポレオン》1806年 油彩画 H259cm×W162cm フランス 軍事博物館蔵

《オシアンの夢》もナポレオンから注文されたものでした。というのも、ナポレオンは『オシアン』を愛読していたからです。しかし、完成する前にナポレオンは失脚し、注文主を失うという事態に陥ります。

アングルの作品ではたまにあることなのですが、《オシアンの夢》はその後時間をかけて制作され1835年に完成しました。

ところで、上で紹介したトリオゾンのオシアンでは、戦争で亡くなったフランス軍の指揮官たちがオシアンに英雄として迎えられるという構図になっています。

『オシアン』を愛読していたナポレオンのことですから、自分が死んだあとはこの英雄譚のように語られることを望んだかもしれません。亡くなる時にオシアンに迎えられる自分を夢想したのかどうか…、思いをはせてみるのも面白いですね。

今回は、いわくつき(?)な物語をテーマにした作品を選んでみましたが、いかがでしたでしょうか?『オシアン』自体はでっち上げなのかもしれませんが、たくさんの作品でテーマとなっていたり、セリフが引用されているところを見ると、魅力的な物語なんだなあと思います。

また、この物語がきっかけの1つとなって19世紀末からのケルトの文芸復興に繋がっていったりもするので、結果的に噓も方便なのかもしれません。

次回は、日本のアートを紹介します(o^―^o)!

画像はパブリック・ドメインのものを使用しています。

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今回参考にした本、おすすめの本を紹介します。ぜひ、おうち時間に読んでみてください!

また下にケルティック・ウーマンの「teir abhaile riu」のリンクを貼りました。今回の作品の雰囲気に凄く合うのでぜひ一緒に聴いてくださいね!

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