児童養護施設職員の離職率が高い理由

児童養護施設職員の離職率が高い理由


児童養護施設の職員は、離職率が高いと言われています。


私は2008年から児童養護施設で働いていますが、職員が潤沢にいた年度は1度もありません。


安定した組織であれば、数年後に組織運営に貢献できる人材の育成を行う体力もあるため、運営を担うプレイヤーの他に、社員教育を行う人材や現場で運営を担う前の研修生のような人材もいると思います。


しかし、児童養護施設職員は、新人として先輩と一緒に勤務できるのは概ね1ヶ月。その先は完全なるプレイヤーです。


もちろん、割り当てられる仕事は基本的なことばかりで、外部対応や書類作成などは少しずつ教えてもらうことになりますが、それでもひとりで子どもたちの対応をしなければならない状況に置かれます。


担当職員が勤務に入れるならまだいい方で、年度途中の離職が発生すると新たな人材確保もままならず、施設長や副施設長などの管理職が代理で勤務することもあります。


まさに、運営が成り立っていない状況です。


運営が成り立っていずとも、児童相談所からの施設入所依頼がなくなることはありません。行き場がなく数ヶ月間一時保護所で保護されている児童はたくさんいます。運営できていなくとも、入所は断れないのです。

児童養護施設は定員が決まっていますので、定員を下回る運営を続けることはできません。どんなに職員がいなくとも、入所は入所で受けざるを得ません。そして、現場の疲弊感は深刻化していきます。


令和に入り、少しずつ児童養護施設も変化を見せ、今まで3人チームで運営していたユニットを4名、5名で運営することができるようになってきました。

そういう社会情勢の変化に助けられ、今日の児童養護施設の職員がいます。大変ありがたいことです。


本来ひとりで行っていた業務を分担することができるようになり、現場の職員の負担感は格段に改善しつつあります。これは、今までオーバーワークだった職員にとっては、とても喜ばしいことなのです。


しかし、児童養護施設の職員の離職率は、単純な人員増加だけでは防げない問題を孕んでいます。


確かに、オーバーワークは改善され、少しずつ退勤時間も早くなってきているように感じますが、それで助かる職員は、おそらく勤務時間が長くても業務量が多くても、それなりに職員として働き続けられる人たちです。


オーバーワークで業務量が多いということが直接の原因で離職した人を、私はほとんど知りません。いないとは言いませんが、ほとんどは別の理由で児童養護施設を辞めていきます。


では、いったい何が、児童養護施設職員の離職の原因になるのでしょうか。

職員は、自らの全てを武器にして仕事をしている。


私が営業の仕事をしていた時、商品の指摘や私の説明不足の指摘はたくさん受けました。私は求人広告の営業を行っていましたが、「おたくに出しても人がこない。」「おたくと契約しない。」という、商品批判や会社批判はたくさんありました。


私のミスで取引先に謝罪する時ですら私は会社の名前に守られていましたし、取引先も会社とのやり取りを超えてくることはあまりありませんでした。


すなわち、私の人間性は否定されていなかったということです。


仕事の出来も同じで、私に仕事のスキルがないから売上が伸びないのであって、私の人間としての価値が低いわけではありません。


営業の仕事でいくら上司に罵られても、取引先に責められても、私は自分の価値を疑うことなどありませんでした。


「社会人としてはダメだが、人間としてダメなわけではない。」


これは多くのプロも同じことだと思います。営業社員が指摘されるのは技術面です。売れる技術を身につければいいのです。


これが、児童養護施設職員だとどうなるでしょうか。


児童養護施設職員に必要な技術は、話の聞き方や声の掛け方、表情の作り方や言葉の選び方になります。


それがまだ未熟なうちは、子どもたちから罵声が飛んできます。


その言葉の多くは、「ムカつく。」「こっちくんな。」など、人間存在を否定するものです。子どもたちは、「あなたの声かけでは動き気になれない。」とか、「今その言葉を言われても気持ちは変わらない。」とは言いません。職員が必死に対応しても、子どもたちは関係性の出来ていない職員に対して辛辣な言葉を言うことがあります。


そんな時、あなたは、あなたの人間性を攻撃されているのです。


人は、本来傷つけられるべきではありません。基本的人権の尊重は国民の義務です。

しかし、児童養護施設に入所している子どもたちは、自分たちが人権を尊重されてこなかったので、他者の人権を尊重することを知りません。

自分の権利を守られなかったので、他者の権利も守りません。


そういう子どもたちに、最初のうちは容赦なく人権を侵害されます。身体を攻撃されたり、精神的苦痛を伴う言葉を言われたり、無視されたり物を隠されたり壊されたりします。


私も、10年以上の児童養護施設勤務の中で、眼鏡は2回壊され、殴られて歯がかけ、流血は数えられないほど経験しています。


それでも私たち職員は、耐えなければなりません。なぜなら、彼らに罪はないからです。

自分たち経験してきた中で学習したことをやっているだけなのです。


そういう子どもたちの言動に晒されることで、職員は皆が大きな影響を受けます。

職員が正常でいられなくなる


目の前で交通事故があったとします。目の前で知らない人が車にはねられた事故です。まったく同じ事故を、複数の人が見ていたとします。


ひとりは初めての事故を目撃し、衝撃を受けます。衝撃を受けますが、その場から去り、友人や家族に、自分が受けた衝撃を話すことで、少しずつ日常を取り戻すことができます。

ひとりは過去に子どもを交通事故で亡くしていた過去があります。目の前で起きた惨劇が引き金となり、過去に子どもを亡くした悲しみ、苦しみ、後悔が、その時に感じた通りに、再び心を支配します。その場にしゃがみ込み、起き上がることができません。心拍数が上がり、冷や汗が身体中からふき出し、自分がどこにいるのか、何をしようとしていたのかわからなくなります。


ふたりの違いは、過去の経験です。同じものを見ていても、その出来事からどのような反応が出るのかは、人それぞれ違います。


児童養護施設でも、同様のことが生じます。


過去に権利を侵害されて苦しい思いをした職員は、子どもから受ける攻撃と一緒に、過去に受けた攻撃も同時に味わいます。


もし、職員が過去にいじめを受けていたとします。

いじめの被害に遭った過去を引きずったまま大人になり、子ども同士のいじめを目撃した時、自分が受けたいじめの記憶が心を支配します。


もし、職員が過去に虐待を受けていたとします。

子どもから虐待の事実をカミングアウトされた時、自分の過去の記憶が蘇り、心を支配します。


上記の例はわかりやすい例ですが、現場で起きていることは更に複雑です。


自分は親に大切にされてこなかった、いつも自信が持てずに友人も多くはなかった、きょうだいと比べられていつも劣等感を抱いていた、異性にまったくモテなかった・・・そういった、過去の苦い経験が、しかも誰しもが少なからずあるような経験が、あなたを襲います。辛く苦しい過去の体験が、心の中にある嫌な記憶が、児童養護施設の勤務を通じて連日あなたを刺激してきます。


そして、冒頭の交通事故を目撃した人と同じように、あなたはその場にしゃがみ込み、起き上がることができなくなるのです。心拍数が上がり、冷や汗が身体中からふき出し、自分がどこにいるのか、何をしようとしていたのかわからなくなります。


そこまで症状が出なくとも、なんとなく気分が落ち込む、出勤するのが辛い、眠れない、疲れが取れない、そわそわする、などの症状が出ます。


どの職場でも起こり得ることですが、児童養護施設職員には多いです。


そもそも、対人援助職を希望する人の中に、過去の辛かった経験を志望理由に挙げる人が一定数います。


自分が辛かったから、辛い境遇にある人を支援したい、という気持ちです。


その気持ちが悪いとは思いませんが、すべての子どもたちが職員に感謝してくれません。罵ったり、暴力を振るったり、無視したりします。


誰かを助けたいと思っている人は、助けた人から感謝されると思い込んでいます。

しかし、それは思い込みです。施設に入所している子から、「いつもありがとう。」と感謝されることは稀です。もし、「いつもありがとう。」と言う子がいたら、それは安心して暮らしていない可能性を疑ってもいいぐらいです。自分が感謝しなければ、支援者は支援してくれなくなると思っている可能性もあるのです。


そういう、辛い経験を毎日のように追体験し、子どもから言われたことで過去の苦しみまで負い、それでも元気よく出勤できる人なんていません。


そして、心身ともに症状が出始めるのです。そうなると、もう職員として正常に機能することは難しいでしょう。

厄介な『無自覚職員』の存在


前述した内容は、多くの心身症状の原因になるのですが、施設職員には更に厄介な、無自覚職員がいます。


すなわち、自分の中に処理しきれていない問題を抱えているにもかかわらず、子どもや他の職員、施設の運営のせいにして、自分の不安や怒り、ストレスを自分以外の外部の責任にする職員です。


自分が過去の経験から不安になっているにも関わらず、まるで自分はまったくの正常で、相手が異常なのだと言わんばかりの職員です。

そういう職員に限って、自分に自信が持てない傾向があります。


すべての怒りや悲しみや不安は、自分の中に何か引っかかっていることが、少なからずあるのです。すべての原因が先方にあるということは、あり得ません。


しかし、残念ながらそういう職員は、自分の中に原因があるかもしれないと考えるほどの勇気もないので、人のせいにします。そして、「そんなに怒る?」「そんなに不安になる?」とこちらが思ってしまうような言動を繰り返すのです。


自分の中に解決していない問題を抱えながら、そこに目を背けて勤務している職員のなんと多いことか。そういった勇気のない職員の、なんと理不尽なことか。


多くの健康な職員が、こういった自分の問題に無自覚な職員の言動に悩まされて潰されていくのを、私は何度も見てきました。介入もしました。しかし、無自覚職員の攻撃力は、私のHPを遥かに凌ぐ強力なものでした。なにせ自分の問題と向き合うのが怖い職員なので、自分の問題と向き合わないためにありとあらゆる手を尽くして他責を追い求めます。そうしないと自分が耐えられないからです。その攻撃に、多くの人は参ってしまいます。


自分の問題だけでも手一杯なのに、厄介な無自覚職員にも攻撃されます。あなたの責任だよ、あなたの問題だよ、あなたのミスだよ、と責め立てられます。


健康な人は、自分の足りなさも補足できます。「私もここは間違っていた。それは改善します。そして、あなたのここは改善して欲しい。」と言います。そもそもが、健康な人と話すと、自分が責められていると感じることは少ないはずです。健康な人の指摘は、「あなたの一部分。」に焦点が当たるのに対し、厄介な職員は、「あなたそのもの。」を指摘します。子どもたちの対応でも手一杯なのに、職員にも同様に追い立てられ、これで仕事が続けられるわけがありません。


厄介な職員は、人を辞めさせます。

そして、自分も辞めます。

職員として続けていくために


私もかつて、厄介な職員に苦しめられたひとりです。


子どもたちの言動にも傷つきましたが、それは子どもたちを理解していくことで解消されていきます。「子どもたちが本当に怒っているのは、私ではなく親や社会だ。」と気付くということで、子どもたちと信頼関係を構築していけるからです。それがわかると、自分に言っているわけではないので、ムカつくことはありますが、傷つくことは少なくなります。


ただ、厄介な職員は私が悪いと思わせる技術は超一流なので、私は私のために、外部のカウンセリングを受けました。


その初回面接で、「あなたは間違っていない。」と言われ、号泣したのを覚えています。

あのままカウンセリングを受けずに仕事を続けていたら、多分続けられなかったと思います。


児童養護施設職員を続けていく上で、辛いことはたくさんあります。宿直や超過勤務など、労働時間の多さで悩んでいるうちは、まだいいです。

子どもや職員の言動に苦しんだ時、まず最初に、自分の権利が侵害されていないのか確認してください。

権利が侵害されていると思ったら、毅然とした態度で、押し返してあげましょう。あなたが自分の権利を守ることを示すことで、子どもたちも自分の権利の守り方を学習するはずです。


そして、なぜその人が自分の権利を侵害するのか、考えてみましょう。


それが辛い過去の体験から影響を受けている場合は、あなたがケアできる範囲で、ケアできる方法で、ケアできる時間に限って、ケアしましょう。


そして、外部にきちんと頼りましょう。


次に、あなたがあなたの問題で苦しんでいる可能性を模索してみましょう。


思い当たることがある人は、きちんと自分の問題を向き合いましょう。


やり方は簡単です。信頼できる人に話してみましょう。


話す人は、安心できる人、口外しない人に限定しましょう。


もし身近にいなければ、外部のカウンセリングを受けましょう。


厄介な職員とは、距離を取りましょう。

結局私は、厄介な職員との関係悪化の原因を探るためにカウンセリングを受け、自分の父親との確執が今の自分を苦しめていることにたどり着きました。


父親と和解するために連絡を取り、少しずつ関係を修復していきました。2年かかりました。


そうやって自分の問題と向き合うことで、仕事でもかなり安定したパフォーマンスが出せるようになったと思っています。


人生をかけて向き合う仕事です。あなたも勇気を持って、自分と向き合い、仕事を続けてください。


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