なぜ体験デザインなんてするのか
Xデザイン学校ベーシックコースの講義の中で少しテーマに上がったので考えてみます。テーマはこちら。
めちゃめちゃごもっとも、というかきちんと整理して説明できるようにしておきたいなと感じました。
この部分は半分ごもっとも、半分は再考の余地がありそうと感じました。なぜなら、サービスが成功した際に「このメソッドを使ってうまくいきました」と声高に言わないし、「こんな苦難を乗り越えました!」などと言わないからだと思います。あくまでも感想、というかそんな気がするけれど検証のしようがない部分なのかなぁと思います。
色々な会社とコンサルをしている友人に、ある時にこんな疑問を投げつけてみました。
新規事業開発に携わる経験をした時に、サービスが開発メンバーの原体験だとかコンプレックスに紐づく何かが必要なのかな?と疑問に思い、発問してみました。FacebookにせよZoomにせよ、The most personalな事情で作られたthe most creativeなものは世の中に溢れていますが、その一方で「ゲーム感覚でビジネスをする人」もいるのも事実。どうなんだろうと思いました。
それに対する回答が、
ということ。これは言い得て妙だなと思いました。最初にニーズを捉えきれなかったとしても、フィードバックを元に少しずつ軌道修正して行って、その中でファンとユーザがついていって、というのが彼の観測圏内の様子とのこと。その継続の原動力となるものが「原体験」だったり「コンプレックス」だったり「お金」だったりする、という事情のようです。面白い!
結局、サービスはどれだけゴネゴネ考えても、リリースして蓋を開けてみないとわからないことだらけ。「コロナが流行りました」みたいな社会情勢の煽りを全力で受けるかもしれないし、「リリース日が梅雨入りで外出する人が少ない日」みたいな小さい状況の影響を受けるかもしれません。この辺りは制御できないし、予測できないこと。
おそらくどんなサービスも結局は「リリースしてみて、とりあえずフィードバックもらって修正し続ける」に載るんだと思います。この時代、ユーザの趣向もすぐに変わる世界ですから、「少しの変化をし続ける」というのは避けられないように思います。
そこで議論の対象になるのが「どう修正するのか」ということ。修正は「As is」から「To be」に直す営みですから、「きっとこれが良い体験のはずだ」という仮説が必要になります。その仮説を作るために必要になるのが「体験デザイン」なのかな、と思いました。それをしなければ修正も適当になるし、仮説検証のしようがない。
また、「リリース後に修正すればいい」とはいえ、その修正の幅はなるべく小さいに越したことはありません。特に人間には「飽き」という面倒くさい性質があります。「体験デザインの価値は何か?」という問いに対する、私の解釈は「サービスが世の中に受け入れられる打率を上げるため」となります。
これもまだまだ仮の回答なので、今後いろいろ勉強する中で変わっていくかも。引き続き考えていこう。
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