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愚ー米津玄師は、なかなか失望させてくれない―

有名人にしろ、自分の身近な人にしろ、人を偶像化したり、神格化したりすることの愚は重々承知している。

けれど、10年前に現れた音楽家は、なかなか私を失望させてくれない。

米津玄師のことだ。

米津さんを好きになったのは“Lemon”の頃からで、古参のファンというわけではない。

けれど、米津さんを好きになってから、それまで私が持っていた色んな「好き」ー歌舞伎や狂言、日本史、絵画、文学ーといったものが色褪せた。それらのものも「好き」に変わりはないのだけれど、「好き」の濃度が薄くなり、その分米津さんに心を奪われるようになった。

出す楽曲、出す楽曲、どこかに米津さんの匂いを残しながら新しく、ライブに行けば、デビュー当時「ライブは、あんまりやりたくない」と言っていたことが嘘のような完璧なステージを観せる。そしてMVでは、ベンツに飛び乗ったり、宙に浮いたり(“感電”)、ワルツの様なダンスをしたり(“Pale Blue”)とまさか米津さんがそんなことをするなんてという姿を観せてくれる。

そして、コロナ禍の今、音楽家にとって重要なライブを開催するのが難しい状況となってしまった。感染対策を行って実施されたライブ、配信ライブを選択したミュージシャンもいる。そんな中、彼の個人事務所が始めたのは予想だにしないものだった。

インテリアグッズを展開する「REISSUE FURNITURE」の立ち上げ。

今回の立ち上げの理由について米津さんは事務所の公式HPでこう綴っている。

非日常が日常へと変化しそうになっているこの頃、自宅で過ごす時間の重要性を見直さなければならないと感じています。ライブツアーがおいそれと組めなくなって以来、何か新しい軸を一つ作りたいと思い、今回REISSUE FURNITUREを始めることにしました。                  部屋は自分の精神とシンメトリーな部分があると思います。部屋がほんの少し豊かになることで、健やかに日々を生きる一助になることを願います。Kenshi Yonezu ー米津玄師オフィシャルサイト「REISSUE RECORDS」ー


その第一弾は「香」。

米津さんは「香」には強い拘りがあるような気がする。

菅田将暉さんのレコーディングのときにはアロマキャンドルを焚いていた(菅田さんは少し苦手なようだが)というし、昨年、米津さんがパーソナリティを務めた「Monthly Artist File-THE VOICE」でもゲストのFoolinに「いいにおーい」と言われていた。そして、楽曲の中にも「香」を印象的に使っている。

題名が「雨の匂い」という意味で、歌詞に「香」が出てこないが楽曲全体にあの雨が降った時の独特の香が漂うような“ペトリコール”

「あんたが部屋に残してったチェリーボンボンのいい香り」“TOXIC BOY”

「甘い香り残し陰り恋焦がし 深く深く迷い込んだ」〝春雷”

「ああ 香り立つ おしまいのフレグランス」〝死神”

そして、

「胸に残り離れない 苦いレモンの匂い」“Lemon”

今回発売されるのは、米津さんの楽曲“Lemon”、“Flamingo”、“海の幽霊”、〝馬と鹿”、“Pale Blue”をイメージしたルームパヒュームだ。

この中の“Lemon”は私が初めて米津さんのライブに行った「米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃」で“Lemon”歌唱時に会場に漂った香だという。

五感のなかで、唯一嗅覚からの情報だけが本能的な行動や感情を司る場所である海馬体へと直接伝達されるという。

私も香を聴くと、記憶の前にその時持った感情―愛しさや嬉しさ、悲しさ、悔しさーがまず蘇ってきて、その後に記憶がついてくる。

“Lemon”の香で、米津さんのライブの時の心の澱が洗い流されて、自分が浄められた時の感情が蘇り、コロナ禍のささくれだった世の中をやり過ごすことができそうだ。そして、いつ行けるともしれなくなってしまった米津さんのライブを偲ぶことになるのだろう。

香りで記憶がよみがえることをプルースト効果と呼ぶという。

これは、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』で主人公が紅茶にマドレーヌを浸して口に含んだ瞬間にまずある感情とその後、幼い頃の記憶を思い出すことに由来している。

そして、今日になって、また新しい発表があった。

それは米津玄師のジェラートショップ「Pale Blue Melt」が通販と期間限定ショップで展開されるというものだった。

期間限定ショップというのが、意外だった。人が動くことになってしまうのになぜ米津さんがその選択をしたのか。だが場所を見て得心がいった。

2021年8月28日(土)~30日(月)東京都 ラフォーレ原宿
2021年9月3日(金)~5日(日)宮城県 蔦屋書店 多賀城市立図書館
2021年9月10日(金)~12日(日)愛知県 名古屋みなと 蔦屋書店
2021年9月13日(月)~15日(水)東京都 渋谷PARCO
2021年9月18日(土)~20日(月・祝)大阪府 枚方 T-SITE
2021年9月24日(金)~26日(日)福岡県 TSUTAYA BOOK GARAGE 福岡志免
2021年10月1日(金)~3日(日)北海道 江別 蔦屋書店

東京と名古屋は「米津玄師 2020 TOUR / HYPE」ライブがはなから予定されていなかった所、宮城、大阪、福岡、北海道は中止となってしまった所だ。「HYPEの埋め合わせ」ということなのだろう。そして7会場のうち4会場は書店である。読書家の米津さんが「ステイホーム中、読書をどうぞ」と勧めてくれている気がする。

「ステイホーム」とただただ唱えるだけの人達とは違い、米津さんは家に居たくなるような、そして家に居る訳にはいかない人たちには帰ってきた時に癒されるようなたくらみをしてみせた。

そして、「嗅覚」と「味覚」というインターネットからは届かない感覚を届けてくれるのだ。

実際に会うことは叶わないけれど「ステイホーム」しながら、同じ香を聴き、同じ味を味わうことができるのだ。ライブで同じ空間、同じ時間を共有することは叶わないけれど。

ルームパヒュームもジェラートも大人気の米津玄師の名を冠しているうえにセンスが良い。大きな売り上げを記録しステイホームのまま経済を回すことに成功することだろう。

米津さんを芸術家として見ていた私には意外な心持になるが、30歳の理知的な男性、それも商業音楽に携わっている人が経済的なことを勘案するのは当たり前のことだろう。経済のことなんて知らずに芸術のことばかり米津さんには考えていてほしい私には少し淋しいけれど。

だが、米津さんは彼の個人事務所であるREISSUE RECORDSの「米津玄師 2020 TOUR / HYPE」ライブ中止の金銭的損害については、とうとう口にはしなかった。

それは、金銭的な話をするのは下品という気持ちと、コロナ禍でも創意工夫により収益を上げている企業はあるので、社会人として自分を甘やかさないという覚悟のためではなかろうか。

いざという時に、人の本性は出るという。

コロナ禍の非常時にみせた彼の本性は、理知的で現実的なものだった。理想だけではやってはいけない。けれど現実を踏まえながら理想も忘れない。私の子どもの様な年齢の人ではあるが、芸術の才能に恵まれているだけではなく人間としても社会人としても理想的な人と思えてしまう。

こんなふうに、なかなか私を失望させてくれないから「米津玄師」としてのデビューアルバムの冒頭の曲“街”のイントロを聴けば、「米津玄師」がこの世に現れた福音のように聴こえるし、聖書から想を得たと思われる最新アルバム『STARY SHEEP』を聴けば、文字通り聖書のように受け止めてしまう。

どうしても、米津さんを偶像化、神格化してしまう。

特定の宗教を持たない私には、偶像化、神格化できる人なり、モノが欲しいのだ。

それ故、己の理想とする人間像を、米津さんの上に重ねあわせてしまっているような気もする。

自分の中で理想化した「米津玄師」に恋い焦がれているのかもしれない。

米津さんが天才で人間的には素晴らしい人であることには間違いないだろう。だが、私が思っていることは、独りよがりなただの妄想で米津さん本人からしたら1ミリも合っていないのかもしれない。

三島由紀夫の戯曲集『近代能楽集』のなかに「班女(はんじょ)」という作品がある。

恋人吉雄を愛し待ち続け、気が触れてしまった主人公花子。

その花子のもとへ、恋人吉雄が彼女を探し当てて会いにくる。

待ち続けた恋人が現れ喜ぶかと思いきや、花子は吉雄にこう告げる

花子 吉雄さん?                          吉雄 そうだよ。僕が吉雄だ。                    花子 (永き間。―頭をかすかに振る)ちがうわ。あなたはそうじゃない。 三島由紀夫『近代能楽集』「班女」

花子は現実にいる吉雄ではなく、自分の中に作り上げた理想の「吉雄」に恋をしていたのだろう。

もし、私が米津玄師にまみえる様な僥倖に恵まれたとしたも

「ちがうわ。あなたは米津玄師ではない。」

そう花子の様に口にするのかもしれない。

参考文献

『近代能楽集』三島由紀夫 新潮社

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