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美術5の自分がコスメ沼に落ちたら大変なことになった話

 美術の成績とメイクの技術にはある程度相関がある気がする。なぜならメイクとは、なにもしていない状態の自分の顔をキャンバスとした美術だと思うからだ。

 わたしは大学2年まで化粧品に触ったことがなかった。それにはいろんな理由があって、例えば高校生時代に周りの子が誰もメイクをしていなかった(今思うと少ししていた子もいたのかもしれないけど.…)し、それどころかメイクをしていると「あの子高校生のうちから勉強とか部活しないでメイクなんかしてる」といいう目で見られるような風潮があったから、というのがある。

 あとは大学2年まで自分のことをブスだと思っていたからである。これについては他の文章でも触れたいのだが、なんとなく「ブスが自分の身を飾ることは恥ずかしいこと」だと思い込んでいた(し、わたしは垢抜けていなかっただけで決してブスじゃなかったし、とにかく周りに心無い人が多かった)。大学2年の秋、ダンスサークルに所属していたわたしは、学祭のために髪の毛を黒髪から金髪にした。そうしたらそれが思いのほかかなり、いや大変似合って、周りの人の態度が一気に変わった(これも今思うと最低だけど)。

 それで、金髪なのに眉毛が黒いのはなんか変だと気付いて、初めてインテグレートのアイブロウペンシルとヘビーローテーションの眉マスカラを買った。母親に教えてもらって(母と姉がほとんどメイクに関心がないのもわたしがメイクを始めるのが遅かった要因かもしれない)生まれて初めて眉毛を整えた。

 眉毛を髪色に合わせて茶色くして、左右対称になるように鉛筆で形を整えるだけでこんなに自然に見えるんだと驚いた。というか、眉毛って描けるのか!体毛を描くという発想なんて今までなかったぞ!

 小学校3年生の頃の担任の鈴木先生が好きだった。鈴木先生は肝っ玉母ちゃんという感じの、若干もさっとした母親くらいの年齢の女性の先生で、授業の面白さも普通だったし、特に怖くはなかったけど特別優しかった記憶もないし、遊んでもらった記憶もない。
 ただ、鈴木先生の図工の授業は本当に面白かった。先生はとにかく絵が上手かった。手のデッサンから始まり、彫刻刀で版画を作るときの微妙な質感の変え方、水彩画で風景を描く時のコツまでなんでも教えてくれた。彼女がいたからわたしは絵が大好きになった。

 隣の席の人の絵を描きましょう、という授業で、わたしは隣の子の顔を忠実にスケッチした。教えてもらったとおりにいろんな絵の具を混ぜて、その子の少し日焼けした肌の色を再現して、目の白目と黒目の境目に特に気を配った。
 意気揚々として先生に見せたら、先生はわたしの前にその子を立たせて、わたしにその子の眉毛を見るように言った。
「眉毛って一直線じゃないでしょ。たくさんの毛が集まってできてんの。だからこうやってピッて書いちゃ駄目。めんどくさくても一本一本丁寧に描くの」

 それで目からウロコが落ちて以来、人物画を描く時は普通に気をつけていたけどそういえばそうだったな。
 試しに眉毛を一本一本描き足すように描いてみた。一気に眉毛が立体的になって、なんとなくのっぺりしていた目元がはっきりした。


 当時インスタのコミックエッセイにはまっていた。わたしはメイクの情報をインスタで集めることを覚えた。眉毛の下のラインはしっかり、濃い目に描くといいと知った。なぜか目がぱっちりして見えた。
 もっと目をぱっちりさせるには、まつ毛を根元からグイっと上げるとかなり変わるらしい。わたしはアイプチのビューラーを買った。なるほど、かなり印象は変わる。が、すぐにカールが取れる。キャンメイクのマスカラ下地とニトリのホットビューラーを買った。あと母親に借りたマスカラだと目がかゆくなったから「塗るつけまつげ」を買った。

 そうやって試していくうちに、わたしは冒頭の結論に達したのである。メイクって美術だ。自分の顔にお絵かきをしたり、細かい道具で形を微調整したりしている。わたしは自分の顔というキャンバスに理想の「美しい顔」を描いているんだ。メイクって本当に楽しい!

 そうすると気付くのが「コンプレックス」である。
 キャンバスに理想とするものを描くうえで、どうしても邪魔な「汚れ」とか、どんなにいい道具を使っても再現できないものがあった。
 わたしは鼻根がもう少し高い方が好きなんだけど。肌が弱くてすぐニキビができるの、本当になんとかならないのかな。

 そこで研究の末身につけたのが「コンプレックスを隠す技術」だった。鼻根が低いならまぶたの目頭側のくぼみにシェーディングを入れればいい。シェーディングは黄みがかりすぎると浮くからグレイッシュなブラウンで。ニキビには資生堂のコンシーラーを綿棒で。でもやっぱり赤いのは目立つから、コットンパックとイニスフリーのシカバームに頼って、そもそもの土台を整えてみよう。

 しかし、それでも好きになれない部分があった。それは「まぶた」だった。メイクの全ての工程の中でアイメイクが一番好きだった。わたしはぱっちりした一重まぶたなので、まぶたというキャンバスがめちゃめちゃ広い。そこに好きな色を好きな場所に、好きな重ね方で乗せていくのが本当に楽しかった。

 でも理想の色を追求しようとする中で、わたしはキャンバスが不良品だったことに気付いた。
 わたしのまぶたは下半分、目のキワあたりが色素沈着してグレーっぽくなっている。丁寧に色を乗せようとするほどそれが気になって仕方なかった。どうもこの部分だけ色がくすんで見える。ここの部分も他の部分と同じ色だったら。

 その頃わたしはTwitterで美容の情報を収集することを覚えた。いわゆる「美容垢」と呼ばれる人たちのツイートを熟読したり、メイクアップアーティストさんのアカウントをフォローしてみたり。少なくともその頃は、インスタに比べてTwitterには「ガチ勢」が多くて、インスタよりも詳しくてニッチな情報が手に入った。

 そんな中で出会ったのがイガリシノブさんである。今もわたしはイガリさんのメイクが好きだし、彼女がプロデュースするブランド・フーミーの商品も大好きで複数個持っている(イチオシはアイブロウブラシと日焼け止めとカラーマスカラ)が、彼女のことを知ったのがこの頃だった。確か彼女の独特のワードセンスがかなりバズっていて、それがきっかけだったと思う。

 最初はこの人おもしろいな、というくらいの気持ちでイガリさんについて調べていた。でもわたしは彼女のある言葉と出会う。
 なんと彼女は目の色素沈着のことを「天然シャドウ」と呼んでいたのである。

 このグレーの、汚れたキャンバスがそんなおしゃれな名前だなんて!
 というか、これって汚れじゃなくて天然のアイシャドウだったのか!

 それがきっかけで、わたしは今もすごく大切にしていることに出会った。それは「コンプレックスを長所にするメイク」だった。

 汚れてる部分がアイシャドウだとするなら、この部分と相性の良さそうな色のアイシャドウを塗ればすごくこれが映えるんじゃないか?そこでハマったのがグレーとかシルバー系のアイシャドウである。最初に買ったのはアディクションの68番。指で何度か重ね付けすると、まぶたのグレーの部分とすごくきれいになじんで深みのある目元が完成したではないか。この気づきがきっかけでわたしはメイクの楽しさに、本当の意味で目覚めた。

 むしろこの部分に深み系の色を重ねれば、アイラインがなくても目がはっきり強めの印象になるんじゃないか。そうしてわたしはアイシャドウ集めの沼に落ちた。そうしたらアイラインは目の印象を強めるためのものじゃなくて、もっと遊べるものになったじゃないか。わたしはカラーアイライナーのおもしろさに目覚めた。

 そして、わたしはもう一度問い直す。わたしは顔というキャンバスに理想の「美しい顔」を描く。それはどんな顔?

 わたしが好きだったのは、ナチュラルなほわわんとした可愛い顔でも、ピンクやキラキラライナーをたくさん使った歌舞伎町にいるような量産系のカワイイでもなく(もちろんどっちも魅力的だし最高に可愛いと思う。ただわたしが目指すものではないというだけ)、はっきりとした意思を持った「強い女」だった(だから近年流行りつつあるチャイボーグメイクは最高だと思う、日々練習中です)。

 それがわかっているから、わたしはそれに近づくためにコスメを買い、メイクをする。誰のためでもなく、なりたいわたしになるために。自分でサイコーだと思える自分になるために。そしてその努力含め、サイコーだと思えるように。

 なんでもっと早くからこの楽しさに気付けなかったんだろう、とたまに思う。わたしは関わらなくていいような人の言うことを真に受けて傷ついたり、根拠も訳の分からないような呪いに縛られていたりした(ちなみにまだ自己肯定感は低い)。それから解放されて初めて行動することができて、こんなに楽しいものとめぐり会えたのである。

 そして、今メイクがこんなに楽しいのは「一度好きだと思ったもの」を大切にし続けられたからだったと思う。鈴木先生と出会って絵が好きになったわたしは、中学受験の頃も疲れたら参考書の隅に落書きをして、中高6年間もノートから落書きが消えることはなかった(一回テストの残り時間で描いた絵を消し忘れて回答用紙を提出してしまった。先生は何も言わなかったけど、絵の下にかわいいね、とだけ書いてくれた)。大学に入って絵からは少し離れていたけど、絵を描いていたとき感じたときめきとか、楽しさはメイク道具を手に取ったときそのまま蘇ってくれた。わたしは距離を取った(というかいそがしくて取らざるを得なかった)だけで、それを否定したり捨てたりはしなかった。それも良かったのかな、と今になって思う。

 無意識のうちに自分を縛り付けているものから解放されて初めて行動できることもあるけど、結局いつもヒントになるのは「ある一時期夢中になったもの」なのかな、とも思う。

 最後に、コスメ沼に落ちたわたしがメイクって本当に楽しい!と思えるきっかけになったものとか、使う度にときめけるものとかを紹介して終わりたいと思います。

1.キャンメイク「パーフェクトスタイリストアイズ」

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 メイク楽しい~~!となれたきっかけのアイテムのひとつであり、今も愛用している。どんな重ね方をしても目元の色味がきれいにまとまるアイテム。付属のブラシは目のキワとか目尻とか細かいところも描けて便利。真ん中のラメは主張しすぎず、でもしっかりキラキラしてくれるので最初にベースとしてアイホールに広げるのが好き。何よりこの豊富なカラバリ。全色揃えたい。そして季節ごとの新色・限定色も毎回可愛い。キャンメイクのアイシャドウはマットな「パーフェクトマルチアイズ」も優秀。アイブロウに使うとおしゃれなニュアンス感が出る。

2.アディクション「ザ・アイシャドウ 68」

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  アイシャドウ沼に落ちるきっかけのアイテム。生まれて初めて自然に馴染んだ運命のブラウン。肌がピンクがかっているので、これくらい少しピンクみがあるグレイッシュなブラウンがすごくきれいに肌になじむ。これを使ってからブラウンのアイシャドウへの苦手意識がなくなり、ブラウンに何かを重ねたりブラウン同士の微妙なニュアンスを楽しんだりするようになり、あとはお察しの通りである。ADDICTIONは今年の夏のコレクションも最高に可愛い。アイシャドウ沼の人間の気持ちを知り尽くしたブランドだと思う。5色買った。

3.to/one「ペタルエッセンスグロス」

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 リップ沼に落ちたのはこれがきっかけである。わたしは超敏感肌であり、唇もとにかく荒れやすい(韓国ブランドを含めた外資系ブランドのリップ、本当にかわいいと思うが大体使えないのである)。そんなわたしでも使えたのがこちらのグロスで、グロスとは思えないほどきれいで程よくツヤも抑えられた発色なうえにとにかく荒れない。リップクリームを塗ったかと思うほどの保湿感。そしてこの洗練されたパケ、プレゼントにもぴったりなので女友だちのプレゼントにもよく贈る。そして口に入るとすこぶるまずい。荒れにくい、かつ色がきれいなリップだと他にもADDICTION、SUQQU、SHIRO、セルヴォークがおすすめ。

4.ZEESEA「ダイヤモンドシリーズマスカラ」

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 これに出会った時は衝撃だった。カラーマスカラが大好きで10本ほど所持しているが、まつ毛にラメを乗せるという発想!まばたきするたびにまつ毛が輝くということだろうか?前世がカラスかもしれないレベルでラメに目がないのでQoo10の公式ショップで買い、塗ってみたが本当にまつ毛に塗る宝石。思っていたよりラメが細かくて、薄くスッと塗るだけでもまつ毛にツヤを出してくれる。単体で塗るよりもマスカラ下地+黒マスカラの上に乗せる方がきれいに仕上がった。ZEESEAはピカソのアイシャドウパレットも購入を検討している。中国コスメの沼に片足を突っ込んでおり、ヴィーナスマーブルの9色パレットやパーフェクトダイヤリーのキラキラアイシャドウなども愛用中。はまってはいけない沼にはまってしまった感ある。

5.MiMC「ミネラルクリーミーファンデーション」

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 敏感肌だからこそもちろん、しっかりとスキンケアやベースメイクもオタクを極めている。極めたおかげで顔中にできていたニキビも今はほとんどないが、その助けとなったアイテムのひとつがこれ。ナチュラルコスメの沼にもはまっているので様々なお肌に優しいファンデーションを試してきたがこれが一番。ナチュラルコスメとは思えないほどしっかりカバーできて、多少のヨレは気になるものの汚く崩れない。なによりお肌をしっかり保湿してくれるせいか、落とした後ニキビができなかったどころかお肌の調子が良くなった感じまでした。敏感肌で合うファンデが見つからない人には是非試してみてほしい。


 長くなってしまったが、ここまで読んでくださった皆様が自分の「好き」を大切にしていられますように!わたしはこれからもコスメを語ります。

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