カレーになりたい

天然酵母を育てたり、カレーを作ったり食べたりすることが好き。 カレーのように、すべての…

カレーになりたい

天然酵母を育てたり、カレーを作ったり食べたりすることが好き。 カレーのように、すべての素材を美味しく包み込める寛容な存在に憧れる。 Spice Curry Sourdough Sennorikyu Levin Movie Music Art Design

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日記|20240401〜0408

4月1日 私でもわかる。春が来た! 4月2日〜5日 やってしまった。日記の存在を忘れていた。相変わらず、頭の中の独り言はうるさくて、音楽を聴いたり、読書をして無理やり黙らせている。 散歩しながら考えていることは、だいたいネガティブなことである。ときたま、訪れる自然の美しさによって余儀なく思案は中断され、「あぁ、自分は今自分の頭の中に生きていたな。」と反省する。 世界は広いようでいて狭いのではないか。 というのが、今の私の持論である。概念的にも、物理的にも。 例えば、何か考え

    • 日記|20240324〜0331

      3月24日 メインストリートより、小路に惹かれる。大衆に受けるものより、エッジが効いたニッチなものに惹かれる。無意識的に群衆の中で競うことは鼻から諦め、マイナーな領域で自分らしさを確立していく生き方を選択してきた気がする。これが正解なのかと問われたらその答えは定かではないが、不器用な人間の生存戦略ともいえよう。 不器用な皆さん、明日も頑張って生活をしていきましょう。 3月25日 同感すぎるコメント発見。 最近怖いのは、あまりにも自分のニーズを先読みしているSNS達。 3月

      • 日記|20240316〜0323

        3月16日 実家で餃子を振る舞うつもりが、いきなりモチベーション低下し、肉と皮の生地を持ち帰って帰宅。その後、餃子にする元気もなく、ハンバーグにして食す。何かに全身のやる気持っていかれたな。 お風呂でYouTube視聴。堀江貴文氏と木村拓哉氏の声って似てる気がする。 次回は美味しい餃子作れるといいな。 3月17日 友人と能鑑賞へ。 約4時間の長丁場。能という芸能を、あえて静と動の二項対立で表すならば、圧倒的「静」。世の中の「静」を、凝縮して詰めたような時間だった。室町時代の

        • 日記|20240308〜0315

          3月8日 元パートナーの夢を見て目が覚めた。 面白いことに、夢の中の彼もきちんと歳を重ねている。別れてからしばらく経つので、彼が今どんな姿をしているのか知らない。 あまりいい別れ方ではなかった。 別れた直後の夢に出て来た彼は最悪で、恨みつらみをたくさん告げて、満足そうに去っていった。そんな夢を見て、泣きながら目を覚ます。そんな日々が一年くらい続いた。 嫌いで別れたわけではないし、間違いなく人生で一番好きになった人だったから、夢の中の彼には随分泣かされた。まあ現実の彼にも泣か

        日記|20240401〜0408

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          やっぱり京都が好きだ|うどん編

          誰になんと言われても、私は京都が好きだ。 世の中嘘ばかりだけど、これだけは真実と言える。それくらい京都が好きである。しかし、どうしてこんなに京都が好きなんだろう?と、鴨川を歩きながら考えてみた。 まず、歩いていて楽しい。ちょっと歩けば、気になる面構えの建物があったり、ふと神聖な気持ちになるような大木、味のある古本屋に出会えたりする。京都民の憩いの場、鴨川があるのもポイント。視覚的に飽きがなく、かといって情報過多な訳でもない。(繁華街を除く)歩くものを飽きさせない街である。 次

          やっぱり京都が好きだ|うどん編

          堂々と手を抜く

          年が明けた。 正確には年が明けてから二ヶ月弱経とうとしている。毎年、年が明けて抱く感想は、「新年側も毎年、新年を繰り返していてすごいな」である。一年くらい、新年さぼりたくならないんだろうか。こと私に関しては、何もかも中途半端、継続していることは呼吸と毎朝の歯磨きくらいの人間である。新年の爪の垢を煎じて飲ませていただきたいくらいだ。 今年は辰年の2024年らしい。自宅リビングのカレンダーは2023年11月のまま、書斎のカレンダーは2022年9月のままである。私の家だけ新年の供給

          頑張ることをやめた

          こんにちは。頑張っていますか? 突然ですが、私は最近頑張ることをやめました。理由はシンプルで、疲れたからです。血気盛んな6年前の私は、「何者かになりたいぞ」という粗野な志をもって、「何者」かになるため齷齪頑張っていたのですが、最近は、「何者でもないこと」に安心感を覚えるようになりました。あえて、自分を何者化するのであれば「何者でもないことを受け入れた者」です。社会にはたくさんの何者かがいます。彼らが何かしらして、頑張ってくださってるので、自分は力むことはなく、流れに沿って生活

          頑張ることをやめた

          不可能に挑み続ける人間

          ※一部、映画の演出に関する言及があります。 映画『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』ようやく観て参りました。本当は、公開初日に足を運びたがったのだが、7月中旬の自分は、ノンフィクションよりフィクションの世界に目を凝らしていたのよモードだった故、2ヶ月ちょっとの月日を経た今日、やっと劇場でトムにお会いすることができました。 もう、「素晴らしい」の一言。心の中でスタンディング・オベーションして、妄想でトムと握手してまいりました。トム映画の醍醐味といえ

          不可能に挑み続ける人間

          4回やって気づいた、やっぱりサラリーマン向いてない。

          表題の通りです。もう、ようやくですか。と自分に声をかけたくなる。「あれほど向いていないって言ったじゃん!」と、過去の自分の声が聞こえてくるようだ。通算4回目のサラリーマン生活を謳歌していた私ですが、やっと不向きであることに気づきました。4回もやっているなら、2回目くらいで気付きそうじゃないですか?普通は。でも、実は始める前からわかってはいたんですよね。サラリーマン向いていなさそうだな、って。頭ではわかりつつ、いつもの好奇心と藁にもすがる思いで、えいやとトライしてみたら、やっぱ

          4回やって気づいた、やっぱりサラリーマン向いてない。

          自分の中で徳を積め

          最近は、耳触りの良いことばかりで、ことの本質がなおざりになっているんじゃないだろうか。そんなことを考えてむしゃくしゃしていた。空は青いのに、心は長谷川等伯の松林図屏風のように靄がかっている。 世の中には美しいものがたくさんあって、目を皿にして見ていないと見逃してしまう。言葉にして、自分に刻まないと流れてしまう。適度に手を入れてやらないと、枯れてしまう。世の中の美しさというものは、そういう儚さで成り立っているのだと思う。儚いものは、美しい。それゆえに、容易く壊れる。だからと言っ

          自分の中で徳を積め

          土井善晴になりたいという提言。

          こんにちは。いきなりですが、「土井善晴先生になりたいなぁ。」と思ったことはありませんか? 私は、あります。 なぜか。おそらく、「好き」「尊敬」「憧れ」とか、そういった言葉では形容し難い・あるいは、それらすべての感情を包括する表現として、その対象に「なりたくなる」のだと思う。これは、特別な話ではないと思っています。例えば、好きなアーティストの影響で髪色を真似てみたり、憧れの映画スターの言い回しを真似てみたり。「好き」だの、なんだの、そういった感情を凌駕してしまったとき、人は知ら

          土井善晴になりたいという提言。

          脳内転職のすゝめ

          こんにちは。 いきなりですが、「仕事したくないなあ。」と思ったことはありませんか? 私はあります。 サラリーマンのお仕事というものは、 ・技術を身につけられる。 ・生活の学びになる。 ・毎月お給料をいただける。 上記のように、非常に素晴らしい恩恵を享受できる一方で、 ・少しめんどくさい。 ・他にやりたいことがある。 ・マンネリ化してくる。 時間の経過と共に、こういったネガティブ面も目立ってくるわけです。 そこで、私が普段の生活で取り入れている、転職せずに気持ちを一新できるT

          脳内転職のすゝめ

          虫眼鏡で言葉を見る

          葉に「こと」を乗せて、言葉にする前に、いっそ、その「こと」を食べてしまいたい。 最近はそんなことを考えている。 大切なことは、自分の一部として身のもとに携えておきたい。空気のように軽いことほど、いとも容易く口元から抜け漏れ、泡沫の如く消えてゆく。私たちは(というか私は)言葉というものを、あくまでも意思疎通の媒体、道具として軽率に扱いすぎてはいないだろうか。 まるで、体の一部のように自由気ままに自動車を運転するかの如く。 高速に文章を打ち込むスマートフォンのフリック入力かの如く

          虫眼鏡で言葉を見る

          小さな地殻変動

          旅へ出た。それはあてのない旅ではなく、「芸術と建築を体感する」というテーマを携えた、計画的かつ少しのリフレッシュを目的とした旅だった。無粋にも結論からいってしまうと、自分という小さな惑星に地殻変動が起きたかのようで、これを書き認めている今も、その動きは収まることを知らない。 まず、本当に美しいものを目にすると、それらを表現するありとあらゆる言葉が儚くも砕け散る。その破片を集めて、どうにか言語化を試みようとしても、辿々しくそのものの輪郭をしっかり掴み取ることができない。自分が

          小さな地殻変動

          桜井和寿という哲学者について

          哲学というものは、生活が忙しくなると、その重要性を増す。 忙しなさと閑かさ、理性と本能の間、両方でもないどちらかを行き来しているとき、私は哲学をしている。 たとえば、「今日の夜ご飯何食べよう」から「どの順番でタスクを片付けよう」など、生活に根ざしたものから、仕事に関するものまで、絶えず考えが働くと思うんだけど、そのどちらにも属さない「なぜ生きているんだろう」という、即効性と答えのない問いかけの思考が哲学だと考える。 哲学というと、急に重みが増して、取っ付き難く感じてしまうのだ

          桜井和寿という哲学者について

          京都が好きだ

          京都が好きだ。私が今、自信を持って言えるのはこの六文字だけかもしれない。大袈裟かもしれないが、それほどまでに京都に魅了されてしまった。 好き、という想いの前に、まず「感謝」を伝えたくって筆を走らせている。(正確にはキーボードを叩いている。) ひとまず、京都ありがとう! とびきり美味しいご飯屋さんに、親切に迎え入れてくださった地元の皆さん。暖かいお部屋を提供してくださったお宿。毎日のように通った銭湯。そして、エネルギーに満ち溢れた神社仏閣自然の皆皆様。ありがとうございます。 私