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日記|20240501〜0521

5月14日
久しぶりの更新。
私生活が充実しているとスマホの中の世界と疎遠になりますね。
が、キラキラとした生活を送っていたわけではなく、免許合宿に行っていました。
もう一生車になんか乗らないぞ。ノーカーボンニュートラル!と思ってたのですが、いい加減車がないと生活が不自由になってきたのでやむを得ず。
乗ってみると、あれ案外楽しいぞ。
食わず嫌い、ならぬ乗らず嫌いでしたが、無事卒検も受かり本免へ。
他の人の5倍くらい時間をかけて社会生活に馴染んでゆくマイライフ。

5月15日
無事本免受かり、運転のライセンスを手に入れた。
ドライバーズハイなのか?三日間くらい遠出をしている。自分で何かを操縦していることが新鮮すぎて、アドレナリンドバドバ出ている。
慣れるまで、毎日しばらく乗ってみようかと。

5月21日
例えば誰かとトランプをしていて、どうでも良くなることってないですか。誰がババをもっているのか、自分の持ち札がどうとか、ルールとか、そもそも勝ち負けとか。いくらでも私にババをください、という気持ちになってしまう。
自分にとって人生もトランプゲームに似ていて。どうでもいいんですよね、人生。前向きな諦念感とでもいいましょうか。いわゆる世のこうであるべき答えとか、定量的な価値とか、ルールみたいな存在と距離をとって生活してきたので、社会不適合もいいところ。社会の側に自分を合わせた生活を試みたけれど、なんか違うかもって思う。
この違和感、そこそこ年齢を重ねればいなくなっていくのかしら、と思っていたんだけど、そうでもないんですね。むしろ増していく一方で、なんなら洗脳すらされていくし、「あ、世のルールに従っていた方が楽なのかも」と腑に落ちる瞬間もあったりする。
非現実的で、毎日が夏休みで、やるときはちゃんとやって、ごはんしっかり食べて、寝て、自然に暮らそうって思った。

5月23日
怒りという名のまったく無駄な感情について。久しぶりに、わなわなと怒り浸透に発する出来事があった。客観性がなくなり、怒りに忠実な犬と化して、「ワンワン」と吠える。この怒りのエネルギーで自己発電できないかな?ってくらい、心と体を消耗する。怒りが収まる頃には後悔が遅延して訪れる。客観性がひょっこり顔を出して、「あれやっぱり私が悪いよな」とか「いや相手だって」など逡巡を始める。愛情は時に鋭利な刃となり、刺さってくる。トロイの木馬のように、純情に見えるなにがしかの中には取り止めもない憎悪の感情で溢れていたり、それによって自分が攻撃されたり、逆も然り。人間関係の煩わしさと切なさに涙を流し、一方で安心感によって生かされている。
うーん。穏やかに過ごしていたいものだな。

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