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日記|20240308〜0315

3月8日

元パートナーの夢を見て目が覚めた。
面白いことに、夢の中の彼もきちんと歳を重ねている。別れてからしばらく経つので、彼が今どんな姿をしているのか知らない。
あまりいい別れ方ではなかった。
別れた直後の夢に出て来た彼は最悪で、恨みつらみをたくさん告げて、満足そうに去っていった。そんな夢を見て、泣きながら目を覚ます。そんな日々が一年くらい続いた。
嫌いで別れたわけではないし、間違いなく人生で一番好きになった人だったから、夢の中の彼には随分泣かされた。まあ現実の彼にも泣かされたし、泣かせてしまったわけなんだが。
最近、彼がまた夢の中に出てくるようになった。一年前とは違い、えらく優しいのだ。実際とっても優しい人だったので、どちらかというと現実に近づいて来た感がある。そんなに優しくされるとまた好きになってしまうよ、と超馬鹿げたことを考える。
それにしても、どうして頻繁に夢に出てくるのだろうか。Googleで、「元パートナー 夢に出てくる」と調べる。「彼に未練がある」とか「過去の恋愛を忘れられない」とか出てきて、少しむかつく。確かに未練はあるのかもしれない。その未練は、またよりを戻したいとかそういった類のものではなくて、今の私だったらきちんと彼と向き合えたかもしれない、という当時の己の立ち振る舞いや行動に対する未練、後悔なんだと思う。
今出会えたら、なんて言葉をかけるだろう。もしかしたら泣いてしまうかもしれない。
ただ言えることは、人は過去を美化する都合の良い動物である。ということだけだ。

3月9日

今日は夢を見なかった。
身内ではないが、当たり前の存在だと思っていた人の訃報が飛び込んだ。
どこかの誰かの死ではなく、第二人称、私たちの死に近い。
悲しいニュースを目にすると、無意識に心が沈んでゆく気がするから、そういう日は一人にならないようにする。物理的な意味で。
賑やかな飲食店に行ってみたり、公共施設へ足を運んでみる。そうやって自分の存在を確かめる。
ところで、SNSで高評価のうどん屋さん。2回くらい足を運んで、いまいちその美味しさを実感することができなかったので、本日3回目の再訪。
ようやく美味しさがわかった!
というか、自分の中にある美味しさのカテゴリーにようやくはまった感覚。
たぶん、食感や喉越しだけで美味しさを感じるのが苦手なんだと思う。お餅とか調味料ありきで食べてるし、カレーライスもライス抜きで全然良いと思ってた。
悲しくても食いしん坊だから助かる。悲しみに溺れないように美味しいもの食べて過ごすぞ。

3月10日

私はカレーが好きだ。
カレー好きということがアイディンティティの一つにもなっている。
最近気付いたのだが、カレーが好きというか、単純にカレー以外の食べ物を避けて来ただけのように思う。
そもそもカレー好きになったきっかけについて振り返る。
当時好きだった人がカレー好きだった。ただそれだけである。
なので、もし当時の彼が餃子好きだったら餃子好きになっていただろうし、うどん好きだったらうどん好きになっていたという可能性は多分にある。
この話を昔のバイト先の先輩にしたら、「めちゃだせえな」と言われた。
めちゃだせえのだろうか。
確かに、人からの影響を受けやすいというのは、流されやすい性質を持っているため、自分の意見が弱く、主体性に欠けているので、ダサいかもしれない。
でも、生きてて人からの影響を受けないことってなくないですか??
別にだせえって言われてむかついてるわけじゃなく、みんな何かしら他者からの影響を受け、自分の一部にしているというのはごくごく自然なことなんじゃないですか??
って、顔見て先輩に言えばよかったな。
全然むかついてないです。

3月11日

京都から帰宅。
バスと電車を駆使して、自宅までの道のりは約5時間ほど。こんなことを月に一回はしている。一言で言うと苦行。疲れるし、荷物があるので何かと不自由だ。なるべく通勤ラッシュを避けるようにしているが人混みを避け切ることはできない。乗り物酔いするので、ただ座って耐え凌ぐしかないなど、なかなかにストレスである。
できるだけ自宅から出たくない人間で、ましてや往来のストレスを抱えながらもなぜ京都へ行くのか。不思議でならない。マゾなんですか?
一方で、この無意味な苦痛を伴う京都への往来に助けられている節がある。元来引きこもり体質の私が、半ば強制的に外へ出られる機会になるので、少しの運動とリハビリになる。あとやっぱり京都の食や街は楽しいんだよな。これだけはVRゴーグルでは体験できない醍醐味であろう。
話は変わるが、私は人と会うとめちゃくちゃ緊張するタイプである。人に会う予定が入っただけで、動悸がする。(嫌なわけでない)
予定の前日には、「何を話すか」「どんな自分でいるか」を頭の中で整理し、話す内容等を頭の中の台本にまとめる。
そのくらい外的要因に対して敏感な人間が、月に一回の京都ルーティンを続けられているのだから、誰かに褒めてほしい。
因みに、母親に「頭の中で台本を作る」という話をしたら本気で心配された。
私はこういう人間です。

3月12日

推しについて考えていた。
トムクルーズかな。上司にしたい。

3月13日

あまり得意ではない単語、「成長」。今日20回くらい言ってしまったな。
「熟成」とか「発酵」の方が趣があっていいよな。

3月14日

原研哉氏をリスペクトしている。
武蔵野美術大学紹介パンフレットの専任教員紹介のメッセージにはかなり救われた。

「早く何者かになろうとしないでください。
デザインは、深くゆっくり学びながら、身につける技であり、方法であり、思想です。みなさんは、一人一人、全く異なる才能を秘めています。それを信じて、ゆっくり時間をかけて自分を育ててください。やがて、デザインは分けられない大きな知の水脈であることがわかってきます。そこからです。」

武蔵野美術大学|造形学部|基礎デザイン学科

私という人間は、ゆっくりと時間をかけて、急がず、行雲流水のように生きていくのが性に合ってるのかもしれない。
最近思うけど、自分のご機嫌取りが上手いことより、自分の苦手なことからきちんと距離を置けることの方が、大人な気がする。
ダメなことを受け入れて、前向きに妥協する。闇雲に繋がりすぎないことも重要だったりするんじゃないだろうか。

3月15日

なんか喫茶店のマスターとかになりたい。
ふっわふわのオムレツサンドと、深煎りのコーヒーが売りでさ。それ目当てに朝からひっきりなしにお客さんが来て、世間話して、あー疲れるけどなんかいいなぁ、って感じのゆるい生活をしたい。とか言いながら、実態は値上げ値上げにインボイス対応、確定申告に仕込みのオンパレードでめちゃくちゃ大変なんだろうけどさ。
私ってやっぱ食が好きなんだろうなあ。長続きしてることは料理だけかもしれない。長続きしている=得意というわけではないが、それなりの素質は持ってるのかもしれない。
でも接客が苦手なんだよな。にこにこして、相手の顔色伺って、迷惑かけてないかなぁ。とか無意味な疑心暗鬼に陥るのが嫌。
あ、占い師とかどうだろう。2年前から、占い師のキャリアもアリかも?とか思案していたり。でもそれってやっぱ接客だしなぁ。当たらなかったら怒られるんでしょ?知らないけど。
パン屋さんとかもありかなぁかって思ったけど、こだわり強過ぎるから、「こだわり強過ぎて無理」ってGoogleのレビューに書かれそうで怖い。
そしたら私って何に向いてるわけ…?出家でもしようか。

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