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ペシニズムキング(悲観主義の王)の異名をとるエミール=シオランに学ぶ死の救済 

どうも主に姫路にいるhideです。
毎日好き勝手な事書いて、友達の仕事を手伝って、あんまり働かずにチンタラ頑張って生きてます。漫画とゲームと音楽好きです♬
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 それでは本編へGO


影響を受けるというかたどり着いてた哲学シリーズの二人目

前回は「世の中はクソ!」という前提でやっていこーぜっていう「アルベール・カミュ」の哲学でした。

2人目の今日はこちら!時間ある人は動画見てね!

虚無主義 悲観主義、反出生主義、、
生きる意味なんてないどころか、生まれてきた時点である意味負け、、という「生」よりも「死」をポジティブに捉えるなんともド暗い哲学を掲げる"エミール・シオラン"を紹介。

成功しようが失敗しようが
勝とうが負けようが
何の意味もない 全てが無駄

この入り口までは案外辿り着けると思うのですが、、だからこそ明るく楽しく生きようぜ!!
と切り替えるのがポジティブシンキング!おススメです。

が、、

それすれも意味ねぇよ。
というところまで落ちてしまうw

ネガティヴ思考のトップランナーの一つに悲観主義が挙げられるのではないでしょうか。
読んで字の如く。特に説明はもういらないと思います。このようなネガティヴ属性の人にこそ「死」はむしろ暖かい救済になりえる。

僕は「いざとなったら死んだらいい」という考えを10代中頃には身につけていました。
当時話題となった「完全自殺マニュアル」の著者の狙いが「この本は自殺をうながす意図ではなく、いざとなったら死んじゃえばいい!と風通しを良くする事でむしろ生きやすくすることが本質的な狙いなんだ。」と書いているのを見てバチコーン!!と刺さったのです。

僕は決して「死のう」と本を買ったわけではなかったので納得感も抜群でした。この本ではいつでも死ねる薬「エンジェルダスト」をお守りとして首から下げて生きる昔のどこかの国の人の逸話を紹介していて、そのことから僕はこの、いつでも死ねるから生きよう!という理論をエンジェルダスト理論と呼んでます。

 

ネガティヴな人は様々なアンチテーゼも持ちがち。正しいとされるもの、強いとされるものに疑問を持つ。強者批判の精神というか、、なので生前にわかりやすい成功を得る哲学者は少なかったりもします。

僕も自分でかなり重度の悲観主義だなぁと思うし、いわゆる富や名声といった成功を正解とするならばこの悲観主義が足を引っ張っていると思います。でと僕はそれを求めているので問題ありません^^

話をシオランに戻すと、、

教師として挫折
本を書いても売れず
働きたくない!

wwwww

さらにユダヤ人の友達が捕まってしまい、助けようと尽力するも殺されてしまう。そら悲観主義にもなるわな、、


美しきネガティヴに溺れず、汚れたポジティブで泥臭く生きるには?

いきなり話が飛躍しますが、これは実際その通り、だけども人社会はそれでは形成できない。

頑張らない役立たずはクズでしかない。
この理想(哲学)と現実の問答が
この動画のシリーズは面白すぎます。

しかし、良きものが良きものとは限らず、常識や良識ですら一方的な幻想で作られているものなので一見誰が見ても正しそうな事にも確かな歪みが存在する。

歪みから邪悪が生まれる。
邪悪に加担しないためには何も疑わずに勤勉であってはならない。

欲望がなくては社会は成長しないが
欲望があるから社会は混沌とする

思いっきりやらないと結果は出ないが
思いっきりやるとブレーキが効かないので副作用的に事故が起きる。それが避けられない犠牲だ。

現代の世の中のほとんどの問題は、足りないから起きてるのではなく、やりすぎてるから起きており、過剰を正解としているから起きている。

優秀な人員だけを求めた結果、誰も労働をしなくなり、華やかな外見の人や小手先のノウハウばかり賞賛した結果、人間性、精神性がゴミクズのようなハリボテが我が物顔でドヤり、結果失墜したりを繰り返しています。

つまり、努力と成長を賞賛しきるのであれば僕は戦争も賞賛せねばならないと考えてる。もちろん殺戮や侵略の戦争など論外だが、努力と成長を促す限り争いをなくすことはできない。

正しい戦争のやり方を教育する必要がある。

これは陰謀論に過ぎないが(僕は陰謀論は信じてません)そうなってくると、細菌兵器や気象兵器などで人類をわかりやすい戦争ではなく間引いたり滅ぼしたりするというのは理屈にかなってしまっている。

もっと人道的な答えをだしたいところだけど、現状突き詰めるとゴニョゴニョとテキトーな根性論や希望論で誤魔化すしか人には手段はない。


死こそが救済

人は永遠に争いながら生きるしかない、、

テキトーに綺麗事で誤魔化しながら結局は争いあい生きていくしかないくだらない世界、、どないせぇっちゅーねん!!

ダルなったら死んだらええねん!

いざとなったら死ねばいい!!
死ねば世界を終わらせられる。
と考えることで、ぱっかーん!と気持ちが晴れ晴れする。

電車に飛び込むなよ!伝統の迷惑芸!
飛び降りもやめろよ!危ないやろ!
一人暮らしで首吊るなよ!腐った死体とかエグぅ!やろ!

死に方がないから安楽死できるようにしてくれよ!!

このように漠然と多少なりとも死を望むことを"希死念慮(きしねんりょ)"と言ったりします。僕も最近知った言葉です。

決して前のめりに死にたい!というわけではないけど、どこかで少しばかりは死を望んでる。願望ほどの強さはなくほんのりと、されどもしっかりとある価値観といったところでしょうか。

ここまで読んだ人の中にはネガティヴ過ぎてイライラモヤモヤする😖人もおられるかもしれません。イライラモヤモしながら読んでくれてありがとうございます。

わかり合おうとしてはいけない!!

正直、僕からすると逆に、前向きさでゴリゴリパワープレイすることを良しとする強めの発信を見ると一瞬イラッとします。

この動画のように「なーんもわかってねーな!」とw

だからこそ成功があるんだよ!と強者はマヌケな事を言ってきますが、いや、成功に意味がねぇ!ってんだろ!?となって平行線をたどります。

ただ向こうからしたらネガティヴの権化のような僕たちを見てどこか存在価値も生産性もないゴミカスだとも思ってることでしょう(言い過ぎやぞ!被害妄想すぎやぞ!でも合ってるぞw)

なのでテキトーに合わせる(配慮する)事もとても大切なのです。わかり合おうとしてはいけない。認め合う。許す。違う存在にこそ寛容に。

そろそろまとめていくと、、

生きる意味がないから死ぬ意味もなく
生きていける。生きる意味があるほうがその意味に依存し過ぎてもっと死にたくなる。


人類の究極

人によってはとてつもなくしんどくなったりイラついたりする悲観主義。生まれる事をネガティヴに捉えるなんて本当に鬱陶しいですよねw

しかし悲観主義者と楽観主義者は根本的にかなり似ています。

どうだっていい。
どうにでもなる。

こうした感覚はどちらの人も辿り着く場所です。

「死は生であり、生は死だ」

おそらく人はネガティヴとポジティブという混ざり合えない人たちが本当の意味で融合できた時に悟りを開く!だとかニュータイプ!だかの存在になりえるのでしょう。

そんな人達が増えればとてつもないステージに行けるのかもしれませんが、、ちょっとまだまだ見えないですねw

それができそうなところに僕は賭けてみたいなと思います。


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