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最後に何を思えるだろう?

母の最後

母は自宅で亡くなったのですが、おそらく望んでた形に近いのではないかと思います。ゆっくりと最後の身体の過程を迎えていくことができました。身体に見える症状としては、呼吸が早くなってきたり、意識が薄れてきたり、発熱が見られたり、指先などの末端が血行不良で紫になってきたり、いろいろありますが、自然の流れなのです。そして、なんとなくですが、落ち着いた最後を迎えれたなという感覚があります。

喧嘩した時の一言

母といつの日か口喧嘩したことがあります。売り言葉に買い言葉で、母は、「さちえ(私のこと)のために、やりたいことも我慢してやってきた」と言っていました。そういう事実もあったでしょう。自由な時間がないときあったと思います。いろいろ家庭内のゴタゴタした時期もあって、その時は辛い思いをしていたのも知っています。でも、本心でそこまで言うつもりはなかったのもわかっていました。それでも、私としては、結構その言葉は重くひっかかっています。ずっと釣り針みたいに、引っ掛かっています。今でも、その喧嘩を思い出すと、心のひっかかりを感じます。でも、そういう思い、「やりたいことをやれなかった」という思いを引き継ぎつつ、私でその思いを解消したい、そう思います。

私の使命

私は40代ですが、そのぐらいの年代のご両親って70〜80代の方が多いと思います。この年代の方々って戦後の何もない頃からの復興時代を支えた人達が大半だと思います。一生懸命必死に前を向いて生きてこられた人たちなんですよね。やりたいことを横において、やりたいことが何なのかを思うことも少なかったかもしれません。
そして仕事を終え、人生の余暇の時間を過ごそうと思っていた時に癌が発覚した、とても辛いことです。母も「なんで私が?」と言っていました。
私は子供として感謝を伝え、本音で話しにくい部分も話すようにしました。例えば、最後の時間を病院で過ごすか、家で過ごすか、ちゃんと話し合いました。これを話すということは、人生の最後が近いということがわかって話し合っています。しかし、きちんと話しておかないと後悔に繋がるので、ここは話しをしました。

死は必ず誰にでも訪れるもの、ゆっくりと、大切な方が安心して過ごせる場所を作れれば、死へ向かう時期を受けれることができれば、死に抵抗することなく、死を受け入れることができるでしょう。それは在宅でも施設でも病院でも同じことでしょう。

自分の死

今思う自分の使命ができれば、私が死ぬ時、「まぁ、やれることはやったかな、こういう人生でよかったんちゃうかな」って思えたらよし、と思います。死んだことないから、わからないんですけど。

母の死を通して、自分の人生の生き方を教わっている、そんなふうに思います。

といっても親を看取る時、不安がまったくない人っていないと思います。
私でもぐらぐら心がゆらぎましたから

いろんな意見や不安や思いを出し合えたらいいな〜と思い
「親の看取り意見交換会」を親を看取った看護師3人で行います。
2022年11月3日(土)14:00〜16:00
ZOOM
で予定しております。

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私自身はがんの親の介護、看護師の経験などをメルマガでゆっくりとお伝えしていっています。


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