見出し画像

錯覚のあいと救済のあい

こんにちは。
2022年ノーベル物理学賞に「量子もつれ」の研究者3人が選ばれました。

2022年のノーベル物理学賞の受賞者に、物質を構成する原子や電子のふるまいについて説明する理論、「量子力学」の分野で、「量子もつれ」という特殊な現象が起きることを理論や実験を通して示し、量子情報科学という新しい分野の開拓につながる大きな貢献をした、フランスの大学の研究者など、3人が選ばれました。
スウェーデンのストックホルムにあるノーベル賞の選考委員会は、日本時間の10月4日午後7時前、2022年のノーベル物理学賞の受賞者を発表しました。

受賞が決まったのは、▼フランスのパリ・サクレー大学のアラン・アスペ教授、▼アメリカのクラウザー研究所のジョン・クラウザー博士、そして▼オーストリアのウィーン大学のアントン・ツァイリンガー教授の3人です。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize/2022/physics/article_12.html
 

粒子が 粒子性 と 波動性 の 二重の性質を持つという。

連想ゲームの発想が関の山な専門外野の一般人の妄想、広がる広がる。
「量子のもつれ」「観測問題」「コンピュータ01の配列から01の重なりベースな量子コンピュータへ」←量子力学の原理を計算に応用したコンピュータ。
この物理の法則の進化は、生活に大いに関わって来る。それだけではなく、私の妄想ワールドにおいては哲学、宗教、言葉の使い方、過去情報の紐解きなどなど文化系分野の視野も深まるのだろうとワクワクが止まらない。

たとえば仏教哲学ともいえる中観思想、八正道、空、二即一、これらの思想哲学とマッチング出来そうな気がする。妄想マイワールド、全開。
縁あって、仏教を学問として学んだのはもう遠いむかし。元はと言えば女子高生時、一冊の本との邂逅がきっかけだ。今思えば、量子力学に惹かれる伏線もこの時から始まっていたのだろう。禅寺の和尚が執筆したその本のタイトルは「死んで生きよ」だった。
シュレーディンガーの猫の事はその頃知る縁はなかったが、私は箱の中で放射能を恐れず、死ぬ覚悟を以て生きるとは何なのかを求める猫となっていた。ユーミンの「ひこうき雲」や「悲しいほどお天気」がバックミュージックに流れることはなかった。オシャレとは程遠い禅ガールの幕開け。

量子力学には観測問題が関わっている。

量子力学において波動関数(量子状態)はシュレディンガー方程式に従って決定論的に時間発展し、異なる状態の重ね合わせとして表現される。しかし測定を行うと、そのうちの1つの状態にあることが分かる。測定は、量子系に対してシュレディンガー方程式で表されない「何か」をしていることを示唆する。観測問題とは、その「何か」が何であるかを記述することであり、また重ね合わせ状態がどのように単一の測定値になるかを記述することである。

言い換えると[2][3]、シュレディンガー方程式はその後の任意の時間の波動関数を決定する。もし観測者と測定装置が、それ自身も決定論的な波動関数で記述されるなら、なぜ我々は測定結果を正確に予言できず、確率しか予言できないのか。一般的な問い:量子的現実と古典的現実との対応をどのようにして確立することができるのか[4]。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E6%B8%AC%E5%95%8F%E9%A1%8C

さらに「量子もつれ」と呼ばれる現象、光の粒などの量子が、お互いにどんなに遠く離れていても、片方の量子の状態が変わるともう片方の状態も瞬時に変化するという。なんて遊びごたえのあるなぞなぞなんだろう。謎だらけで迷子になってしまいそうだ。

ここから、脱線。ノーベル賞授与式開催の地ストックホルムから銀河鉄道へ乗り換え。
「観測」という観点は私の関心事のひとつ。人生においては何に重点を置くかでものの見方は決まり、視点は千差万別だ。
量子力学とは関係ないが、「みる」鍛錬としては日本の文芸代表格「俳句」がその役割を担ってきたのではないだろうか。小説も然りではあるが、俳句はわずか十七文字の中に季語を用いるという条件付きで心象風景を歌うのだ。美的センスが磨かれる。微視と巨視の二方向から、将又方位は様々という靄の中、季語を片手にフォーカスを絞り己を整える文芸。

純粋に子供みたいな疑問も忘れない。物質的には僅か24ミリ程の眼球にその大きさ以上のものが映る不思議さ。お金で買えないかけがえのない身体といのち。情報化社会と言われ久しい社会。情報は私たちの脳が選ぶ脳の食べ物と喩えることも出来そうだ。コンピュータは01の配列から01の重なり合いへと進化している。けれども、肝心の人間の思考、ものの見方が0か1かではお話にならないのではなかろうか。ここらで「0か1か」のトリックから脱出しないと!

仏教哲学が参考になる。中観思想。それは禅宗においては「空」思想に展開。

中観派の教理は、般若経の影響を受けたものであり、その根幹は、「縁起」「無自性(空)」である。
この世のすべての事象・概念は、「陰と陽」「冷と温」「遅と速」「短と長」「軽と重」「止と動」「無と有」「従と主」「因と果」「客体と主体」「機能・性質と実体・本体」のごとく、互いに対・差異となる事象・概念に依存し、相互に限定し合う格好で相対的・差異的に成り立っており、どちらか一方が欠けると、もう一方も成り立たなくなる。このように、あらゆる事象・概念は、それ自体として自立的・実体的・固定的に存在・成立しているわけではなく、全ては「無自性」(無我・空)であり、「仮名(けみょう)」「仮説・仮設(けせつ)」に過ぎない。こうした事象的・概念的な「相互依存性(相依性)・相互限定性・相対性」に焦点を当てた発想が、ナーガールジュナに始まる中観派が専ら主張するところの「縁起」である。
こうした理解によって初めて、『中論』の冒頭で掲げられる「八不」(不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去)の意味も、難解とされる『中論』の内容も (そしてまた、それを継承しつつ成立した『善勇猛般若経』のような後期般若経典や、大乗仏教全体に広まった「無分別」の概念なども)、適切に理解できるようになる。
上記したように、二項対立する現象・概念は、相互に依存・限定し合うことで、支え合うことで、相対的に成立しているだけの、「幻影」のごときものに過ぎず、自立的なものではないので、そのどちらか一方を信じ込み、それに執着・傾斜してしまうと、必ず誤謬に陥ってしまうことになる。
そのことを示しつつ、上記の「八不」のごとき、(常見・断見のような)両極の偏った見解(二辺)のいずれか一方に陥らず、「中」(中道)の立場を獲得・護持することを賞揚するのが、『中論』及び中観派の本義である。

この「無自性(空)」の教えは、これ以後大乗仏教の中心的課題となり、禅宗やチベット仏教などにも大きな影響を与えた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE

情報化社会において「0か1か」は蔓延している。そして罠は巧妙だ。0の利益の為に1に賛同したフリで内部侵入し1を崩壊し利用するパターンもあるだろう。否、むしろ此方の策士が蔓延しているのかもしれない。人間世界は利益の為に嘘をつく、残念ながら。

私の行動のお手本はペンネームにしているカナダガン。リスペクトの意でお借りしている。以下、参照。

渡り鳥が見せた真実の愛 病院に保護されたパートナーを見つけ出し寄り添う

https://news.infoseek.co.jp/article/japantechinsight_796962/

0とか1の視点ではなく、おそらく0と1を統べるところ(本能)から出ている行動をお手本にしたく憧れている鳥さんだ。
人間のお手本は、たとえば宮沢賢治。

人間の本能としての長所を描いたと感じた「雨ニモマケズ」
(一部抜粋)
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

https://ja.m.wikisource.org/wiki/%E9%9B%A8%E3%83%8B%E3%83%A2%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%82%BA

鳥みたいに大空は飛べないが、宮沢賢治が銀河鉄道で、雨ニモマケズで私の本能を洗練昇華させてくれる。
右でも左でもなく前へ進もうと、力を貸して下さいと、誘った人が居たっけ。物理学の進化に置いてけぼりにされないで。右でも左でもないなら、前がどちらかわからないなら、一から出直せばいい。そんな事も言ってなかった?気のせいかなあ。

栞さん、登場。
今日は語りますね!カナダガンさん。
ところで、表題の「錯覚のあいと救済のあい」って?
栞の勘、言っていいかしら?はっきり言っちゃうよ。
☠️マスコミの扇動操作=錯覚「illusion」の i
🤗マスコミが必死に隠ぺいしている=コロナとコロ枠副作用への特効薬    「ivermectin」の i
ちなみに表題フォトはi じゃなくてよ。鯉!
英語だとあいもこいもいっしょの単語。でもね、違いは「こい」は自分主体で「
あい」は相手主体なんだって。んー、脱線してる。銀河鉄道で脱線したら放射線にやられちゃうよ!だって、NASAも初めてじゃない筈の月探索ロケットにマネキン数体を積載し、将来の有人飛行に役立つ貴重なデータを収集するそう。おかしいなあ。将来の有人飛行って?アポロの事忘れたの?月の石、誰が拾った?

ああ、コロナの対応、世界と日本は雲泥の差。
よーく見てみましょう。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?