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ポートフォリオと純度

昨晩も寝落ちです。でも、おかげで昼夜逆転気味の休日から復活しました。しかし、今日はいろいろ回らなばなりません。大学のお仕事をする予定はないですが、研究のお仕事に取り掛かれるのは夕方かなという予想。

昨日は、遅く起きて大学へ。一昨日も書いた、僕の研究分野のコミュニティサイトづくりをどうしようか考えていましたが、一気に作ってしまいました。

どうも、最近、アーカイブしたい欲求が高まっているようです。昨日できたことはこれくらい。あとは、研究がらみの連絡をいくつかしました。そういえば、大学のお仕事などでは、いくつかの方針変更に対応しないといけないな、と思っていたものの、思っただけで何もしてません。僕一人で考えてもどうにもならないことも多いからです。最近の自分を、大学組織というものに対する個人としての積極性がなくなったと見るべきか、大学というものを理解して現実的に対応していると見るべきかは、不明。

いずれにしても、研究に関して何かをまとめたいという欲求が高まって、それに割ける時間を確保できる傾向にあることは、良いことです。研究室HPももう少し充実させたいし、上記HPにも研究の手法などについてまとめていきたいのですが、そのためにも、今抱えているデータをいくつかの論文に早くまとめたいところです。最近は、研究関係でいくつか締め切りがあることもあって、家事が疎かになっているのは、改善したい。半年以内に、だいたいの仕事を計画的に前もって進める体制ができれば、大丈夫でしょう。それを著しく乱す案件は、きっと、お断りしていくようになると思いますが...

美大などの「良いな」と思うところ

学部生時代に、雑誌の編集社でアルバイトをしていました。そこで知り合ったバイト仲間に美大生やその後アート関係の仕事に就く人がいた関係で、いまでもアートやデザイン関係の仕事をしている友人が何人かいて、何人かの美術家の知人ができるきっかけになりました。見える世界が広がったなと思います。

そんな友人たちからの伝聞でしかありませんが、美大というところは、各学生がポートフォリオを作ります。各学年の課題で作った制作物をまとめて、自分がどんなものを作ってきて、これからどんなことをしたいかがカタチになるし、自分自身も成長をモニタして変遷を辿ることができ、卒業とその後に向けての目的意識がハッキリすると思われます。さぼっていれば、そのポートフォリオの出来栄えから周りと比較して自分が寂しくなるでしょうから、切磋琢磨もすることになるでしょう。1つの課題の良し悪しだけでなく、総体としてのメッセージ性などが立ち昇るのも良いところだと思います。そのポートフォリオを持って就活をするというのも、また良い。大学で何をすべきかということを、常に考えることになるでしょう。普通の4年制大学でも、そのようなポートフォリオづくりをしてはどうかなと思うんですよね。「楽単だからこの科目をとりました」とか言っていたら恥ずかしいことになるでしょう。

人生もそんな感じ

大学での学修のみならず、人生自体、人に語ればポートフォリオみたいなものです。最近の僕の「まとめたい欲求」も、自分のポートフォリオの欠けてる部分を埋めたい、みたいな気持ちの現れだと思われます。人に見せたいからつくるというよりも、制作意欲みたいなものです。アートにせよ科学にせよ、公共性を帯びることで成立するようになった文化というものは、他者からの評価を避けては通れません。しかし、他者からの評価に依存しすぎると、純度が失われます。その純度の高さみたいなものが、そのポートフォリオの強さだと、僕は思っています。1つの「作品」だけを見れば、「他者や社会からどのような評価を受けたか」ということの影響力は大きいでしょう。しかし、その評価にいちいち左右されていると、ポートフォリオ全体を通して見たときに、そのメッセージ性はブレブレになっていると予想できます。

この純度というものを大切にすると、本来そのアウトプットの形式は、僕の場合、いわゆる科学だけに拘らなくても良い場合がありますが、そこから離れすぎると、やはり純度が失われます。これは一昨日書いた「人と会う喜び、会わない喜び」みたいなバランスかもしれない。

純度の高い人

昨日は、鹿児島のアミュプラザで行われているアートマというイベントに行ってきました。

ここで、去年も拝見した作品の出展者さんの展示があるということで、残念ながら期間中フル勤務シフトのゆとりさんに代わって、刺客として送りこまれたわけです。

出展者のダイクさんは、SNSもやってないので、日頃あまり接する機会がありませんが、普段のお仕事は、僕が日々使用している なごみ酢 に関わるお仕事です。主に、なごみ酢関係のお仕事の際に立ち話くらいしかできません。去年は、会場におられないときに作品を拝見しましたが、昨日は運良く会うことができ、なんと2hも立ち話をしてしまいました。彼の純度の高さは、何人かの知人にぶつけてみたいと強く思いました。アーティストとして生活をしているわけでもない人のこの純度の高さというものは、地方アートとか、アール・ブリュットみたいな文脈からも捉えることができるかなと思ったりもしましたし、この投稿自体が、ダイクさんとお話ししながら感じたことの一部なのでありました。話した内容を詳しく書いたら、たぶん3万字くらいの内容になりそう。作品に仕掛けられた人の思考を撹乱する装置に関しては、いつか個展をやって欲しいので、内緒です。

体調があまりよろしくないので、メンテしながら稼働をしたいと思います。しかし、ダイクさんのおかげで、今後の自分のまとめ方についても、ちょっと振り切れた感じがします。

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