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オリジナリティ -小倉にて

今日は、学会で小倉へ。新幹線で通ったことはありましたが、降り立つのは初めてでした。大学院副専攻の同期と僕の研究室の1期生の故郷であるなぁ、と思いながら訪れました。

ちょっと異分野の学会

昨晩準備していた発表スライドをひっさげて、鹿児島中央駅から新幹線に乗りました。結局、普通の出勤みたいな時間に駅に "出社" みたいな感じになりました。しかも、あと30分は新幹線が来ない時間帯。小倉に着くのは結構遅くなりそう。それでも、1h40minで着きます。車中でプログラム集を見ながら、午前のセッションに出るのは諦めました。午後の自分が出るセッションの後やランチョンセミナーも出ないことにしました。自分の発表と、同じセッションの先生方の発表を拝聴することに集中するのが良いな、と感じたからです。プログラムの要旨を見ながら、この学会の人たちの関心を少なからず読み取り、些か自分のスライドも微調整。同じデータでも、オーディエンスの興味につながるように、多少の話題のフックをしかけました(たぶん)。

ゆとりさんから、小倉のオススメを聞いていたので、ランチをそこで買うことにしました。小倉のソウルフードらしいです。感想は、インスタをどうぞ。非常に美味しかったです。

ソウルフルなサンドイッチを持って、会場へ。45分前に到着しました。受付をしました。非学会員で、ご招待頂いたので、諸手続きをしました。今回は、休日だし、謝金はなかったので、大学への申請は楽でした(交通費は頂きました)。平日で謝金有りだったりすると、短期兼業扱いで年休を取らないといけないなど規則があり、さらに、謝金が旅費に満たないと、研究費は支出できないし(兼業なので)、自腹で赤字になったり、複雑になります。そんななか、今回は非常に楽で助かります。

その後、発表資料チェックへ。スライドの再生不具合がないか、確認されました。僕が経験した中では、割と手の込んだチェック。MacBookの設定も変えられました。Macの場合は、大抵はMac側がプロジェクタに合わせて最適な解像度で吐き出すので、面倒だなぁと思いました。プロジェクタ側の設定をfixしてあるせいで、念のためやってるのだと思います。小規模すぎる学会だと、この辺はラフで、数百名規模だとむしろうるさく、1000人を超える学会だと、むしろ運営システムが合わせてくれる印象。過去に、映写のトラブルがあったのは、日本心理学会での発表だけでした。

まぁ、それは良いとして、お昼に先ほどのサンドイッチを頂くことに。

僕を学会に呼んでくださった先生がいらして、同じテーブルで休憩させていただきました。今回の座長は、この先生(僕と同年代)と、その所属ラボの教授の先生です。鹿児島大学医学部の先生方で、僕が着任した頃からお世話になっています。

生理学者は、やっぱり強いと思った

今回のセッションは、僕以外はみなさん自律神経をダイレクトに研究の題材にしている方々でした。皆さん生理学者と言って良いと思います。自律神経を研究テーマにしていらっしゃる、生理学者です。生理学とは、身体の正常な機能のを解析する学問、その機能が維持される仕組みを知る学問と言えると思っています。逆に、その生理機能の破綻が疾患なので、病気の研究にも繋がります。手法とセットで説明するとしたら、神経の電気生理、筋電位、心拍、脈拍、体温の測定を得意とする方々です。解剖学にも強い。

これら学問は、僕が大学院生だった頃には、よく言えば正統派のクラシカルな学問、悪く言えば古風、古い昔っぽい学問と思われがちだったように思います。2000年代(ゼロ年代)は、分子生物学の全盛期と言って良いと思います。しかし、分子生物学(要するに遺伝子をいじる)が発展すると、その技術で様々なtoolが発展し、「遺伝子を改変することである細胞でのみ、ある物質を作らせる」みたいなことが可能になったので、ある細胞だけ殺す、ある細胞だけ活性化する、ある細胞だけ蛍光で光らせる、ある細胞が活動すると光る、など、いろいろ出来るようになりました。さらに、そのtoolは、分子生物学者だけが作れた時代から、分子生物学者がシェアする時代になり、さまざまな分野の生物学者に行き渡りました。

こうなると、最新の手法で、身体全体の機能を詳しく解析できるようになり、返って、古風と思われていた伝統的な生理機能の、さらなる解析が可能になりました。そして、この間、おそらく伝統的な生理学は、医学部生理学教室などが伝統を維持してきたので、相対的にその分野を専門とする大学院生などの人口が少なくなったのではないかと(人手が分子生物学に流れたため)、僕は推察しています。そうなると、逆に今ちゃんと生理指標を測れる人というのは、貴重だし、強みとなる時代になったと思います。生理指標ほど、きちんと測るのが難しいのです。修行が必要です。脳波や心拍を測って人や動物の気持ちがわかるかのような安価な非研究用のデバイスがスタートアップなどから出回ってるみたいですが、僕はあまり本気にしていません。マジで安価で使えるなら、研究者の間でも流行るでしょう。とはいえ、そのうち本当に出てくると思いますし、様々な試みがないと精度向上と低価格化も実現しないので、そのようなプロダクトの流通をどれくらい許容するべきか、難しいところです。

さて、そんな生理学者の皆さんの御発表は、素晴らしいものでした。圧倒されます。技術レベルが非常に高くて、これから僕が導入したい手法など(機材だけ清水の舞台から飛び降りて買った状態)、みなさんすでになんなくこなされて、データを出しまくっています。クラシカルな学問ですから、その正統派な測定法で、綺麗な波形データがとれていないと、信用してもらえません。

自分の神経メカニズムのデータの少なさに、お恥ずかしくなります。まぁ、発表者のお一人は、10年くらい前から知ってる先輩で「こりゃ、かなわんな」と思い続けている方なので、今更落ち込みもしないのですが...

ところで、みさなん世界レベルの素晴らしい技術なのですが、世界的に素晴らしい方々は、皆さん世界的に素晴らしい技術を使っているという点で、共通しているので、その競争で勝ち抜いているのは素晴らしいのですが、オリジナリティって、どこに宿るものかな?とも考えたりします。世界的なレベルの技術をみんなが目指すという、ハイレベルのコモディティ化。瀧本哲史さんのインタビューを思い出したりしました。

生理学者が生理指標を詳しく見ている分、僕も行動を詳しく見ているのだから、それでいいのかな?でも、僕のやってる音声の研究も、日本で超専門にしている人は少ないけど、世界では最近増えてるしなぁ、とか。とかとか考えるわけです。

ちなみに、僕の発表自体は、聞いてる方々の表情などからは、まずまずのウケかしらん?と思っていたものの、質問があまり出なかったので、半滑りくらいかな?と思って、終了しました。僕のマイクの扱いも良くなくて、反省しています。その後、演者と座長の先生方と喋って、解散しました。

同年代の座長の先生とは、お土産を買いがてら、小倉の街を少し歩きました。歩きながら、研究のお話をしました。

噂の豚まん屋さんにお連れして、

その後、パン屋へ。その先生は、クリームがお好きと言うことで、僕がいきたかったパン屋さんも喜んでくれました。

駅のコインロッカーへ荷物を入れて、小倉城の近くの北九州市立美術館にも行きました。その先生も、城も美術館もお好きということで、お時間が合って本当によかったです(僕もそれらが好き、という意味)。

その後、僕は、急遽、博多で人に会うことになったので、途中まで新幹線をご一緒しました。新幹線に乗る前に、シンポジウムに参加されていたある医大の先生とその学生さんに遭遇しました。演者と座長の集合写真を撮ってくれた学生さんでした。僕の経験的な社会認知機能に間違えがなければ、嘘ではなく「発表が面白かった」と言ってもらいました。素直に喜ぶことにしました(ということにしなくても喜んでいた)。

新幹線では、偶然ですが、一緒に新幹線に乗った先生と一緒に座長をされていた教授とも同じ車両でした。この教授の先生は、医学部教授でお忙しいでしょうに、いまだに自ら実験をなさるそうです。感服します。同世代の先生とは、小倉から博多までの短い間も、研究のお話をしました。キャンパスは違いますが、同じ大学にこういう先生がおられて、本当によかったです。

未熟者ではありますが

博多での用事は、鹿大の僕がいる学科のOGの方との再会のため。着任初期から知り合いの学生さんでした。インスタを見て、ふと「いま、どうしているかな」と思い、行きの新幹線でDMをしました。タイミングよく、会うことになりました。いまは、福岡の大学の先生からご指導を受け、新たな学問を学びつつ、次のキャリアも決まっているということで、なんだか安心。ご指導されている先生も、ちょっと知り合いで「あぁ、やはり良い先生なのだな」と思うなど。僕自身、まだまだ出来るようになりたいことがある現状ですが、一応、教員なので「より一層、日々、学生さんの学びの一助にならねばならんな」と思うかんのなのであった(吉宗風)。

お茶をしながら話をしていたら、鹿児島におられる知人のインでペンデントキュレータのH田さんが喫茶店の外におられ、目が合いました。超偶然。美術イベントのフライヤーを頂きました。

OGさんと別れたのち、タイミングよく新幹線に乗り、喫煙ルームにいって、人生を思い、夜景を眺めながら、タバコを1本。その後、席に座り、睡眠不足なれど眠れず、いろいろ思いを巡らせました。このOGさんが鹿児島を去るときはあまり話せなかったので、今日ふとDMをしてみて良かった。そう、思いました。


(実家が仙台の人)

鹿児島中央駅に降りると、街には今日行われていたおはら祭り余韻が漂っていました。地下道を通って大通りを渡ろうとしたら、王子(通称)と出会いました。おはら祭りではなく、楽一楽座という演劇の帰りとのこと。王子は、僕の授業のTAもしてくれていた、元鹿大の院生です(僕とは別の研究科)。

オリジナルじゃなくてもオリジナルぽさはある

小倉の街を思い出していました。良い街だったな。鹿児島のこちらのパン屋さんを訪れた時も思ったことではあるが、

どんな街にも、美味しいパン屋さんは必要だな。そう思うのです。肉まん屋さんも、あったら嬉しい。

今日行ったサンドイッチ屋さんが使ってる食パンは、僕が訪れたパン屋さんから仕入れているそうです。同じ街の中でのコラボですね(昔は個人商店は地産地消してたでしょうから、当然かもしれないが)。

仕事から帰ってきたゆとりさんが(今日行った3件は、どれも彼女のオススメ)、ソファで眠りにつきそうになりながら「(つべこべ言わずに)シロヤのサニーパンを今ここで食べてリアクションを見せよ」との趣旨の発言をなさいました。暴君に言われるがまま、晩ご飯を目前に、サニーパンを食べました。

衝撃でした。ただでさえ、しっとりとしているパンの中に、コンデンスミルクのようなものが詰め込まれ、塗りたくられ、凝縮されている(コンデンスミルクの時点で凝縮されているんでしょうが)。味わったことのない食感。斜め上の設計思想。パンも、コンデンスミルクも、それ自体はオリジナルなものではないのに、総体としてオリジナル。

「研究もそういうことで良いのかもな」とそのとき思いました。

世界で1チームしか使えない技術を持っているなどという状況は、現代では刹那的な状態なので(公表すればすぐに広がり、周りが追いつき、競争するため)、そういう形のナンバーワン、もしくはオンリーワンは、そうそうない。長くも続かない。

世界的に見れば、それなりに一般的な技術であったとしても、僕の研究分野で確実に使える人というのが、僕であれば良いのだな、と。

街というものは、味わい深い。自分の住む街を、自分で住み良いところにしましょう。

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