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精神の病と闘った1年間④共に「痛い」と思えるように

はじめに


 気づけば、精神の不調から1年の月日が経とうとしていた。

 現在もたまに薬を服用し、たまに叫びそうになる時やストレスで胃が痛くなる時もある。だが、一年前の精神状態とは段違いだ。

 確実に、自分の精神状況が改善していることを実感していた。

一年後

 高校卒業時から不調を利かして一年。

 布団から出れない状況や、急に涙が出てしまうこと、突発的に叫んでしまうこと、そしてすぐに死んでしまいたいと思う日々が続いた時間が少しずつ消えていった。

 当時の状況をうまく言い表すことができないが…なんとなく、心の中にあるあのドロドロしたものが少しずつ消えていった。

 そして気づけば、少しずつ自力で布団から出られるようになり、急に涙が出ることが少なくなっていった。(相変わらず途中で叫ぶ量はあまり変わらずにいた)。

学んだこと

 一年経つと、物事に対して落ち着いて視野を広く持つことができるようになってきた。そして、自分の抱えているものは、視点を変えることで重荷ではなくなることを実感した。

 私は人から嫌われることにたいして過剰に気にする性格で、周りから人が離れていくことがとても嫌だった。精神的にきつかったこの時も、叫んでしまうことやネガティブな自分を、周りの人はどう思っているか、陰口を言われていないかなど、とにかく気になって仕方がなかった。

 最も、そこまで自分の反対の位置にいる人はあまり多くない。だからそもそもこんなことをいちいち気にする必要がない。

 そして、全員が私の周りにずっと好きな状態でいてくれることは難しい。このことに気がつくと、

「もし今いる人全員に嫌われても、おじいちゃんになるまで一緒いてくれる数人がいればいい」
「もし陰口を言われていたとしても、そもそも聞こえないし気にしすぎてもいいことがない」

 といった、「もし~(最悪の事態が来たとしても)」からの解釈を自分で考えるようになった。

 これ以降、自分の生き方に対する価値観が少しずつまとまっていった。

将来が不安→その選択や努力が正しかったか否かを決めるのは数年後の自分だ!

恋人がいなくて辛い→今の時間は未来の恋人を幸せにするための修行期間だ!

自分に価値はあるのか?→未来に大きなことをするための積み重ねをしているんだ!

などなど。

 ネガティブな視点から見つかる問題に対して、キリのない思考作業に終止符を打ちつつ、未来志向かつポジティブに物事を捉えることができるようになった。

友達

 幸い、私の周りには常に味方でいてくれる友人がいる。精神状態がおかしい時でも、辛い時は夕飯に誘ってくれたりライン電話をしたりして話を聞いてくれた。

 その時彼らは、決まって私の馬鹿げた話を笑わすに最後まで聞いてくれたのであった。自分の貴重な時間を割いてくれ、何度も聞いたことのある病みそうになる話を聞いていると鬱陶しく感じることもあったに違いない。

 それでも彼らは粘り強く私に寄り添ってくれたのであった。今は、感謝してもしきれない。

 その恩返しの方法は私には思いつかない。それ相応の恩を返すことができるのかもわからない。ただその恩返しについて日々考えながら生きていできることである。そのことが、今の私に唯一できることである。

おわりに

 被害者意識が強いかもしれないが、私はこの一年で誰にも負けないほど辛い経験をした。もうこの辛さは一生味わいたくない。

 一方、私はこれに近い痛みを抱えている人のことがわかるかもしれない。その人たちにとって一生味わいたくない経験をした私は彼らの力になれるのではないか。この経験を生かすことができるのではいだろうか。

 この経験以降、私は人の話を細部まで聞き取ること、辛さをなるべく心から理解することの2つを心掛けている。おこがましいが、つらい時期に助けてもらった恩を、後々に、別の時に別の場所で返そうと思う。

 そして

 共感にとどまらず、一緒にその痛みを背負い、一緒に泣けるようなやさしい人に、私はなりたい。


みなさんの人生がより良いものになりますように。

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