キャンプに行かない vol.3(1月下旬)

階段をのぼって二階に上がると、ダイニングでは新田さんがひとりテーブルに座っていた。

「もうね、ほとんどできてるから」

僕の姿を確認するなり、新田さんはそうつぶやいて静かに席を立つ。

「もうできてるからって、まさか……」

新田さんと入れ替わるようにテーブルに着く。鞄を下ろし、着ていた上着を椅子にかけて居住まいを正したところで、小皿に盛られた料理が目の前に運ばれてきた。

「とりあえず、なめろう。今日は鯵じゃなくて鰯ね」

「やっぱり……」

他にも数品仕込んでいるのだろう。新田さんは再びキッチンへと戻っていった。


最近Campの事務所に来ると、毎回新田さんが料理を作ってくれる。もともとお酒や酒場が好きな人なので、自分でお酒のアテを作るうちにどうやら料理自体が楽しくなってきてしまったらしい。実際に並ぶ品も、お酒に合いそうなものが多い。

キッチンでは引き続き調理をする新田さん。テーブルにはなめろうと僕。Campの他のメンバーはおそらく三階で仕事中。完全に謎の時間である。


「最近よく家で肉豆腐つくってるんですよ」

人の事務所でひとりなめろうをつまんでいる状況にいたたまれなくなって口を開くと、新田さんは「肉豆腐!」と即座に反応してキッチンからこちらを振り返った。それも、満面の笑みである。

「いいもの作ってるねえ!煮込みじゃなくて、でしょう」

「そうなんです。煮込みじゃなくて、肉豆腐」

うんうん、と新田さんはうっとりとしたような表情で頷いた。好みの酒肴カテゴリにはまったのか、予想以上の反応である。「肉豆腐つくってるんです」と言ってこんなに食い付く人は滅多にいない。

「そういえば、晋也食堂はいつ開催するんですか?」

新田さんが再びテーブルに戻って来たので尋ねてみた。晋也食堂というのは(説明するのも野暮だけど)、名作漫画に新田さんの下の名前を掛けた自主企画だそうだ。主に新田さんが料理を作って提供するらしい。

「来月からやろうと思ってて。月一ぐらいで」

「じゃあ告知も必要ですね、終わったら報告も。その月に出したメニュー知りたいです」

「ゲスト料理人も呼びたいから、その紹介もしたい」

「この事務所で開催するんですよね」

「そうそう。自由な憩いの場になってほしい」

そう言って新田さんは目を細めた。本業がまずもって忙しいはずなのに、新田さんは一体どこに向かおうというのだろう。



そういえば、大さんに「僕らのことを書いて欲しい」と頼まれて、その話を詳しく聞きに来た当初から、新田さんは食堂をやりたいと言っていた。


「『僕らのことを書いて欲しい』っていう話、改めて聞かせてもらってもいいですか」

僕が質問すると、まずは大さんが答えてくれた。

「うん、僕らはね、『自分たちのことを情報発信していく』っていうのがあんまり好きじゃないんです。そんなことしてるくらいなら、応援したい人たくさんいるからね」


テーブルを挟んで、僕の前に大さんが、そして大さんの横には新田さんが座っている。大さんに話を振られた新田さんはテーブルの上に開いたPCの画面をじっと見ながら、うん、と小さく頷いた。それを見て大さんが続ける。

「Campを立ち上げて、メディアとかイベントとか、そういったことをやっているわけだけど、インフルエンサーになりたいとも、誰かにインフルエンスしてもらいたいともあまり思っていない」

今度は僕が頷く。その感覚はわかるような気がした。

「でも、考えていることはあるし、状況もどんどん変わっていく。それを書き起こしておけるといいな、そういうのをやってくれる人がいたらいいな、って思っていて」

大さんの話を聞きながら新田さんの反応にも気を配っていたのだが、先ほど小さく頷いてからは一言も話さず、ただただPCの画面を見つめているだけで感情が読み取れなかった。大さんに視線を戻す。


「だからそもそも、書き起こしたとしても、たくさん広めていくつもりはなくて。道端に落ちてるエロ本っていうか、誰かが不意に興味を示して読みたくなったら勝手に読んでっていうぐらいの、そういうものがいいと思ってる」

新田さんの反応の無さが気になりながらも、僕はひとまず持っていたメモ帳に「エロ本」と書き込んで丸をつけた。

「……まあそんなところかな。本当はテキストでも音声でも映像でもなんでもいいんだけど、テキストがいいのかなって思う。というかもっと正直に言うと、純粋にいっしーの書く文章が読みたくて、それが僕らのことだったらなおうれしいって感じかな。ニッシンはどう?」

新田さんは依然として表情を固くしたままである。大さんは「僕たち二人からの依頼」という体で僕に話をしてくれたけど、もしかすると新田さんは、この件にそもそもそこまで賛成していないのかもしれない。

「俺は……」

新田さんはいま何を考えているのだろう。僕は次の言葉を待った。

「俺は、俺はいっしーと食堂をしたいと思ってる」

「ん?」

「食堂ですか?」

まったく予想していない返答に、大さんも僕も思わず聞き返す。

「ああ、ええっと……俺は、ここでたまに食堂をやろうと思ってて。たまにそこにいっしーが入って、一緒にちょっとした料理を作ってくれたらうれしいっていうか」

新田さんの食堂のプランを聞く。このCampの事務所を、ただの仕事場というだけでなく、たまに友人や知人がやってきて自由に話をしたり、疲れている人に料理を振る舞って元気づけたり、偶然居合わせた人たちが仲良くなったりするような、そんな場にしたいとのことだった。


「それに俺は、『いっしーにこれをこう頼む』とか決め事ができて、仕事みたいになるのはおもしろくないと思ってる。もちろん、いっしーが書いた文章を読みたいのは、それはその通りなんだけど」

新田さんはそう付け足して締めくくった。少し言い淀む感じではあったけれど、この発言に新田さんの真意がありそうな気がした。

「まあ、食堂はやってほしいけど……それはこの件とは別でやりなよ」

食い違う二人からの提案をどう消化するべきか迷っていたが、最終的には大さんがそう発言し、新田さんも同意をしたのでいちおう合意が取れたという形で落ち着いた。


後日、改めて「ではどんなテーマで書いていきましょうね」という話をした際に、

「あんまり難しいことは言わずに、『Campの人たち僕とのハートフルな交流を描く』ってことでどうでしょう。遊びにきた時の話が自然に書かれればそれでいいんじゃないかなって」

と僕から提案すると、新田さんが大さんよりも早く「それ、いい!そうしよう!」と反応した。「ハートフルな」のあたりはわざと冗談めかして言ったつもりだったけれど、それも含めて賛同してくれているようだった。


よくよく聞いてみると、やはり新田さんは、僕に文章を依頼をするというこの話が「企画」の体をなして、わざとらしい付き合いになったり、畏まった書かれ方をされたりすることを、会社としても個人としても懸念していたのだという。

おそらく、その代わりとして、新田さんが思う「企画の体を成さない自然さ」を突き詰めた先が「一緒に食堂をやろう」だったのだと思う。

新田さんが発表したプランしかり、ひょっとするとこの「食堂」には、新田さんの望む人付き合いのあり方が詰め込まれているのかもしれない。


食堂を一緒にする話は結局流れてしまったけれど、僕のその日のノートには「エロ本」の項目とともに「食堂」に丸が付いていて、それを見るたびに僕は新田さんと一緒に食堂を開く光景を思い浮かべて笑いそうになる。



そんなことを思い出している間に、テーブルにはなめろうに続いて二品の料理が追加されていた。

「最近、イケてるものが多くないですか。俺はイケてないものがいいと思ってて」

食堂の話題が落ち着いたタイミングで新田さんがそんなふうに切り出した。僕に向かって話しながら、社会への宣言でもあるような語り口だった。

「なるほど。『イナタい』というか」

「イナタい?」

「なんていうんだろう、野暮ったいとか、垢抜けてないみたいな意味です」

新田さんの言わんとしていることがわかるような気がしたので、いくつか言葉を並べてより相応しい表現を探す。


「Campでやってる渋谷デザイナーズマーケットなんかは、その辺けっこうバランスがいいんだよね」

「傍目にはイケてるイベントに見えますけど」

「確かにそれはそうかもしれないんだけど、あのイベントは始まり方がそもそもカオスに近い状態だったぶん、出店者のラインナップにもそれが表れてるし、そのカオスすらも包む全体のゆるい雰囲気が良くて」

「『イケてるとされてるもの』が集められたわけじゃないってことかなあ。初めから一方向に統率しようという空気が生まれてないというか」

「そうそう、そうなんだよね。狙ってないし、無理してないし、『あえてやってる』感じでもない」


新田さんが言う「イケてるものが多すぎる」には、額面通りの意味よりもむしろ「イケてるとされているもの」の表層部だけを切り取って増える違和感や、「イケてるとされているものしか許されない風潮」への息苦しさが込められているような気がした。

「なるほどなあ。……なんていうか、のびのびやっていたいですよね」

自分の感覚を振り返つつ、その違和感や息苦しさに対抗するような言葉を探して発言すると、新田さんはハッと驚いたような顔をして、それから笑い出した。

「そう、そうなんだよ!『のびのび』だ。『のびのび』ってもしかして、誰も見つけてない新カルチャーなんじゃない?Campの三年目、目標は『のびのび』かもしれない……」

「小学生の習字じゃないんだから……」

興奮した新田さんが早口で言うのを適度に牽制しつつ聞いていると、三階からCamp一号社員の澤木ちゃんと、少しして二号社員の服部さんが降りてきたので、四人でそのまま話をした。大さんはまだ降りてくる気配がない。


「大さん、今日忙しそうですね」

「いまけっこう仕事でばたばたしてて、頭抱えてるというか、疲れてそうなんだよね」

新田さんが悩ましそうな表情で説明していると、ちょうど大さんが降りてきた。

大さんは確かに疲れている様子で、僕たちのテーブルに混ざってはくれたものの、話を振ってもどこか心ここにあらずというか、沈んだ雰囲気のままだった。

新田さんはあまり不自然にはならないように気をつけながら、そんな大さんを励まそうとしていた。


夜も更け、澤木ちゃんと服部さんが先に帰ったので、僕たちも片付けをして帰り支度をした。準備を整えて事務所の外に出ると、大さんから話しかけられた。

「今日はごめんね、元気なくて」

「そんな、ぜんぜん。元気なときも元気がないときもあるのが自然ですし」

大さんは「それは、たしかにそうだ」と少しだけ穏やかな表情になった。


「そういえば、新田さんも大さんが疲れてるのを気にしてる感じでした」

「うん、ありがたいよね」

大さんもそのことには当然気付いているようだった。けれど、その言葉とは裏腹に、大さんはその疲れの原因を人に頼らず解消するつもりだろうな、という気もした。どこか寂しく聞こえる「ありがたいよね」だった。


そうこうしている間に新田さんが降りてきたので、三人で三軒茶屋の駅まで歩く。その間も大さんの口数は少なかった。

「じゃあ、僕はここで」

駅に降りる階段に差し掛かったところで、大さんが小さく片手をあげて別れの意思を示した。乗る電車は一緒のはずである。「えっ」と言って僕と新田さんが顔を見合わせる。

「もしかして大くん」

「これからハードリカーですか…?」

大さんは「いや、うん、まあ……」と言葉を詰まらせていた。

「憂さ晴らしなら付き合うよ」

「そうですよ」

新田さんが間髪を入れず言い、僕もそれに従う。新田さんは気を使って言っているわけでも、かといってお気楽な感じで提案しているわけでもなく真剣な表情だった。

大さんはなにか言いたげだったけれど、そんな新田さんの様子を見て、「うん、じゃあ一軒行こう」と諦めたように笑った。

Campの事務所に来るたびに僕はこの二人の性格の違いと、その違いゆえにすれ違う場面、そして違うからこそ補い合う場面を目撃しているような気がする。


「元気出すならカラオケかなあ」

「カラオケもいいね」

「二人はほんとカラオケ好きですね……」

そう口々に言い合って、僕たちは駅を背にして歩き出した。


文・石崎嵩人

石崎嵩人(いしざき・たかひと)
株式会社Backpackers' Japan取締役。1985年栃木県生まれ。大学卒業後は出版取次会社に就職。その後、大学の同級生ら友人三人に誘われ、2010年にBackpackers' Japanを創業。Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE(蔵前)、CITAN(東日本橋)など、現在東京と京都で4軒のゲストハウスを運営している。 twitter: @takahito1101



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