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月末に日本に帰るよ。格安航空券で。

さて、母が心臓の手術をするので、急遽帰国の日程を立てました。
今日はその話をしていきたいと思います。
私のNi君とSe君が、お前どうせ旅行記書くんだろうからさっさとプロローグ上げとけよって言うんで、大人しく従うことにした次第です。

ノルウェーの首都オスロから実家のある福岡に帰るのに一番早くて楽なのはフィンエアーでフィンランドの首都ヘルシンキに飛び、そこから東京、そして国内線で福岡に飛ぶルートです。コロナの前はヘルシンキー福岡直通もあったのですが、なんか復活しないですね・・・

去年7月にこのルートで帰った時には、ロシアさんがいらんことなさっていらっしゃるので、大きく北極点の上を迂回することになり、北極点通過の証書とステッカーを飛行機の中で頂きました。あの戦争が始まる前はですね、ロシアの上空をずっと飛んで、北海道の上を通って本州に降りるルートだったんですよ。2時間くらい余計に時間がかかるようになりましたね。
離陸した後に突然情勢が変わって、ロシアのミサイルで飛行機落ちたらどうしよう、あいつらなんかヤリソウ。と思いながら14時間過ごしましたが、まだ、生存しております。

今回も普通にフィンエアーで帰ろうかな、と思ってたんですが、なんかピーンとワクワクが来まして、なんか、格安航空券で大回りして帰ろう、と思いました。こういう時はワクワクに従う、とバシャールが言ってる。

最初はウィーン経由だろ!と思いつきました。精神科医フロイトがロンドンに亡命する前使っていた診療所跡が小さな博物館になっていて、トランジット滞在中に行けそうな距離だったので、それがちょっと見たかった。
しかし、チケットはあるのに何度チャレンジしても購入画面にたどり着けない。飛行機会社に電話してみたが、何故かつながらない、飛行機会社のホームページからは同じ格安航空券は買えない・・・むむむ。

仕方ないなあ(ENFJは仕方ないなあ、が口癖である。最初に頭に浮かんだ考えを諦めるのがめちゃ早い。その後、環境にカメレオンする)
じゃ、台湾にするか。と同じくらいの値段で買えそうな別プランをクリック。これは、購入手続き中に売り切れたのか、途中でエラーになり、画面を戻すと金額が跳ね上がっている。
うそん。

結局買えたのは、ロンドン経由ベトナムはホーチミン経由、福岡行きである。帰りはベトナムはハノイ、フランス経由でオスロに帰ってくる。
往復路両方、ベトナムで10時間のトランジット滞在することになる。
ベトナムかあ。
ここらへんで、やっとワクワクの原因に糸がつながり出して、心に恐れと不安の雲が浮かんでくる。

大学受験で使ったのは日本史なので、世界史はほぼ捨てていた。
そんな私でもベトナムがマジで悲壮な歴史があるのは薄々知っている。

もし宇宙人が来て、人類とはどんな生き物ですか、と聞いてきたら
とりあえず、善い面を伝えるために私はモーツアルトを聴かせると思う。
そして、悪い面を説明するために、ベトナム史を語ると思う。
それだけベトナム史には人間の醜い面が凝縮されていると思う。

曖昧な記憶を更新すべく、色々な人の動画で勉強したが、この方のが一番わかりやすかった。

一端、長々とベトナム史をまとめましたが、あまりに冗長なのでカットしました。大事なポイントだけお伝えして、興味のある方は動画をごらんになってください。

ベトナム史の最も悲惨な部分は、人間が他を認められないという残念な習性を持ったために、その渦の中で一生踏んだり蹴ったりされてしまった、というポイントです。

まず一つは、フランスの領土拡大したい、自分の思想と同じ国を広げたい、というちっぽけな欲望のために、気の遠くなるような長い期間、痛めつけられ、個性を全く持てない状態で生きなければならなかったこと。

第二次世界大戦によって戦況が変わり、フランスが一時引いたため、一端ベトナム史は好転するかに見えたが、そのあとベトナムを諦めきれない資本主義のフランスが再び攻め入ったことによって、資本主義と社会主義の対立の代理戦争を自国を二つに分断して行わなければならなかったこと。

南ベトナムは資本主義アメリカに支援され、北ベトナムは社会主義のソ連に支援されていたが、それは実際ベトナム人同士の戦争であったこと。

北ベトナムの勢力は、軍服を持たず、民間人となんら変わらない格好であったため、恐怖に支配されたアメリカ軍に多くの罪のない民間人が大量虐殺されたこと。

北ベトナム勢力は、ジャングルに潜み、トンネルを掘って応戦したため、業を煮やしたアメリカ軍はジャングルを一掃するため、人体に多大な影響を及ぼす枯葉剤を散布、ベトナムを死の土地に変えた。
その他にも、特殊な化学油によって水では決して消化できない火炎爆弾も大量に導入されたため、多くの民間人が巻き添えで死んでしまった。

枯葉剤は土地を長く毒し、そこから出来た食物を食べた妊婦は8割の確率で目をそむけたくなるような奇形児を生んでしまう。それは戦争が終結しても何十年も続いた。

全ては、人間が、自分とは少し毛色の違った考えをする人間を、同じ種だと思えなかった、それだけの理由である。
全部自分で構成されれば世界はきっと良いものになる。
そのエゴだけで人間は全ての生物を廃絶して自分の色に染めようとする

世界史は詳しくないから、ソ連がロシアになって何が変わったんかは実際よう知らん。
ただ、ロシア人がベトナム戦争からなにも学ばなかったのか、とはプーチンに名指しで問いたい。
よそ見してんじゃねーぞ、アメリカ。お前もいい人面して戦争を長引かせて、ウクライナを第二のベトナムにしてんじゃねーよ、見えてんだぞ、お前のその欲望も魂胆も。
武器を与えるのが支援じゃねえ。戦争を止めろって言ってんだ。ウクライナには無理でも、お前くらいデカけりゃなんとかなるだろ、火に油注いで善人面で世界平和キャンペーンやってんじゃねえ。
誰も彼も自分の利益しか見てねえ。なんなんだ、この世界は。

過去の記事に何度も書いていて、
もう一度これを打ちながら本当にやるせない気持ちになるのだが

私たちは、何故、奪うのか。
何故、目の前にあるものと分け合おうとしないのだ。
何故、理解しようと努めないのだ。
何故、欲しがるのだ。
何がお前をそこまで欲に燃やすのだ。
その炎がお前を燃やして、
そのせいでお前自身が苦しんでいるのが
本当にお前には見えていないのか。
どうしたら伝わるんだ
どうしたらわかってくれるんだ
お前を苦しめているのは、お前の前にいるものじゃない
お前の中の炎だ
のどが裂けるまで叫んでも
何の言葉も届かない
お前の耳まで炎に焼かれて 燃え落ちたのか


ベトナム、ホーチミン。
そこには世界10大博物館に数えられる、ベトナム戦争博物館がある。

私を引き寄せたのは十中八九そこだろう。
HSS型HSPでエンパス気質なので、ぶっちゃけ反動が怖くて足がすくむ。
でも、呼ばれたんだから行くしかないだろう。
おそらく、それが私の人生にとって必要な体験なのだ。
痛みは全て光につながっていく。
私は負けない。
私が倒れても、
多分平和を目指す人たちがまた引き上げてくれるだろうから。
だから、多分、大丈夫だ。

月末、また旅行記を上げようと思う。







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