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表象のものが即真理ということにはならない【超訳】自省録19日目

・今日の超訳

起こったことは、事実としてのみ捉えよ。そこに自ら、余計な判断や情報を加えるな。表象のものが即真理ということにはならないのだから。

・引用原文(第8巻49章より)

「最初の知覚が報告するもの以上のことはいっさい自分にいってきかすな。だれそれが君のことをひどく悪くいっている、と人に告げられた。これはたしかに告げられた。しかし、君が損を受けた、とは告げられなかった。私は自分の子供が病んでいるのを見る。それは見る。しかし彼が危険に陥っているとは見ない。かように、つねに最初の知覚に留まり、自己の中から何ものをもこれに加えないようにすれば、君に何ごとも起こらないのである。あるいはそれよりもむしろ、宇宙の中に起こるありとあらゆることをわきまえている者として、自分の考えを加えるがよい」岩波文庫 神谷美恵子訳 自省録より

・ちょこっと解説

・マルクス・アウレリウスは生涯に14人の子供を得たが、その内成人できたのは、男1名、女4名である。それ以外の子は皆、早くに死んでしまった。そんなマルクスだから、世の不条理や、無慈悲を呪いそうななったこともあったであろう。しかし彼は、「私は自分の子供が病んでいるのを見る。それは見る。しかし彼が危険に陥っているとは見ない。」という。人の生き死は人の手を離れている。あるべくして起こるものだ。そこに感情や解釈は持ち込まれるべきものではない。

・銀河英雄伝説という名言だらけの傑作小説の中で、特に小生が気に入っている名言。「世の中に飛び交っている情報ってものには、必ずベクトルがかかっているんだ。つまり誘導しようとしていたり、願望が含まれていたり、その情報の発信者の利益をはかる方向性が付加されている。それを差し引いてみれば、より本当の事実関係に近いものが見えてくる」。マルクスの言葉と合わせてこう考えてはどうだろう。「何か起こったり、聞いたりした情報をそのまま鵜呑みにしてはならない。しかし、情報がもたらされたという事実は確かに存在する。何故その情報が、自分にもたらされたのか。得をするのは誰か、損をするのは誰か。改めて考えてみれば、その情報や表象の真に意図することが見えてくる

・表象の物が即ち真理ということにはならない。情報過多の世の中で、このことは常に肝に銘じておいたほうがよさそうだ。

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