【句集紹介】寺山修司全詩歌句を読んで
・紹介
俳句から始まった。
戦後、焼け野原になり、何もかもが不安定になった日本の中で、青森にいた在りし日の寺山修司は、表現方法として形ある何かに身を委ねることを希求した。それが俳句であった。
修司の人生の中で俳句に積極的に携わった時期は、高校時代と大学初期の短い間である。その後短歌や詩、舞台演劇へと活動の場を移していった修司ではあったが、他のジャンルにも俳句時代に培った言葉使いが生きている。
修司自身の言葉を借りて、彼の韻文への一貫した態度を表現すると「感動の公約数化」と「連続する世界の断絶化」である。感動の公約数化は普遍的に人類が感動するものを、連続する世界の断絶化とは、言い換えると生活の中絶、非日常化を意味する。たとえばお祭りとか、普段の人間生活からかけ離れた世界観を作ることが韻文には必要と考えていた。
特に俳句は私性の文学であることを喝破し、表現を神聖不可侵の「私」のものであるから尊び合い、いたわりあう、一部の結社や同人の集い・慣れ合いを憂慮していた。それは日記にでも書いておけばいい。表現として、詩として名乗るのであれば、私性がありながらも、上記のように人類の普遍性・そして非日常性を感じられなければならないと考えていた。
しかしながら晩年、いつかはまた俳句に戻りたいとも語っていた修司。表現者としての根底に俳句があることを修司も自覚していたのであろう。若々しい時代の、世界に飛び立たんとする荒鷲の姿を厳選十句から感じてもらえたらと思う。
この本は散文詩も短歌も載っていて、大変読みごたえがある。善き本である。
また、修司の俳句観について、大変勉強になる本がある。ご興味のある方は下記の「寺山修司の俳句入門」をご一読していただけたらと思う。
・厳選10句
目つむりいても吾を統ぶ五月の鷹
ラグビーの頬傷ほてる海見ては
父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し
流すべき流灯われの胸照らす
便所より青空見えて啄木忌
花売車どこへ押せども母貧し
わが夏帽どこまで転べども故郷
わが死後を書けばかならず春怒涛
されど銀河父にもなれず帰郷して
ねがふことみなきゆるてのひらの雪
・作者略歴
1935年、青森県弘前市生れ。県立青森高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮。早稲田大学教育学部に入学(後に中退)。1954(昭和29)年、「チエホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。以後、放送劇、映画作品、さらには評論、写真まで、活動分野は多岐にわたる。とりわけ演劇には情熱を傾け、演劇実験室「天井棧敷」を主宰。その成果は国際的にも大きな反響を呼んだ。1983没。現在でも寺山作品は上映され続け熱狂的ファンが多い。(2020年 『ぼくが戦争に行くとき』より転載)
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