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【句集紹介】こでまり抄 久保田万太郎句集を読んで

・紹介

「俳句は余技」と言って憚らなかった、久保田万太郎。しかし、彼が俳句界の残した影響は絶大である。彼がいなかったら、俳句界はもっと、伝統や格式やらを重んじる、一般人には敷居の高いものになっていたかもしれない。

正岡子規が亡くなった後、弟子の高浜虚子と河東碧梧桐が、まさに競合していた俳句界において、久保田万太郎は句作を開始した。作風については、虚子一派にも碧梧桐一派にも属さない、第三派ともいえる、境地を切り開くことになる。その理由は、先にも述べたように、万太郎にとって俳句は「本技」ではなく「余技(遊び)」であったから。また小説や劇作など他の表現方法を持っていたから。その点で万太郎は寺山修司等と似ているのかもしれない。

「俗」「江戸っ子」「粋」などの言葉が万太郎の句にはふさわしいと小生は考える。17音や季題、切字(簡単に言うと「や」、「かな」、「けり」などの言葉)の俳句のルールは守る。故に小生の厳選句には最後が「けり」で終わるものが多くなった。しかし、だからといって、万太郎の句が月並みになることはない。そして、厳選10句を読んでいただけたら分かるが、彼の読む句には人間への愛と、江戸東京への愛で満ちている。一目見たら、万太郎の句だとわかるほどのオリジナリティーに溢れている。そういった句を小生も詠めるようになりたい。

・厳選10句

神田川祭の中をながれけり

時計屋の時計春の夜どれがほんと

パンにバタたつぷりつけて春惜む

人情のほろびしおでん煮えにけり

身のほどを知る夏羽織着たりけり

煮大根を煮えかへす孤独地獄なれ

バナナの値月に競られてゐたりけり

震災忌向きあうて蕎麦啜りけり

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

東京の雁ゆく空となりにけり

・作者略歴

久保田万太郎。明治22年東京浅草生の小説家、劇作家、俳人。慶応義塾普通部を経て、同大学部文科に進む。文科一年のときに書いた小説「朝顔」が永井荷風に認められ新進作家として文壇に登場した。俳句は中学時代、大場白水郎らと秋聲会系統の句会を廻って覚え、大学時代、三田俳句会で籾山梓月・岡本癖三醉・上川井梨葉らの知遇を得、その後、松根東洋城のもとで厳しい研鑚を経た。小説家・劇作家として多忙になり、一時中断した時を除き、死の日まで句作を続けた。昭和38年5月6日、食餌誤嚥により窒息して死去。享年74歳。(「BOOK著者紹介情報」より転載)

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