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考える、そして考える。

個人的に考えていることをつらつらと。
なので、オチはない。
生きづらさへの引っかかりが解消されることを願って。

「努力」の意味

最近とても引っかかっているテーマのひとつである。
何かできないことがあったとして、克服するために勉強し、
スキルをつける。
例えば小さい子の、「歩けるようになる」とか
「足し算ができる」も"努力"の一環だと思う。

ただ、「頑張って」「できるようになった」場合、
それは「できて当然のもの」に成り下がる。
大人になって「足し算できるよ!」なんて言っても
「…はぁ。」である。

まあできて便利なものではある。
時々つかう。1+1は2になる。おしまい。

…で?

出来て、褒められたころはそれでよかったけど、
当然、になると誰も褒めちゃくれない。
「足し算ができるようになる」ことが目的ではあったが
うーん、なんだかな。

例を変えてみる

足し算で考えるからよくない。

例えば毎月45時間近くの残業の繰り返し。
有名大学出身者と繰り広げられる
これでもかと頭を使う論理的舌戦。
任された仕事に対して出来高を求められる
プレッシャーと責任。

出来て当然、に成り下がっているし、
そう思うからこそできていない自分を責めてしまうわけだが

…こりゃ一体、「できて当然」なのだろうか?
毎日毎日責任感とプレッシャーに駆られて
なんとかなんとかこなしているものの。

なーーーんの評価もなきゃ
なーーーーんの見返りもない。
給料はあるが、「ある」だけである。
費やした時間も体力も、ガリガリ削った心も、
ーーー何も返しちゃくれない。

他者に評価(+慰め)を求める、と。

で、まあ「こんなに頑張ってるのに褒めてくれない」
になってしまってだな、
例えばTwitterだのインスタだので
残業自慢や寝てない自慢をしたり
成果物を見せびらかしたり。
イイネ、は稼げても

いやいやいや、それでいいんだっけ?

なんかずれている気がする。
それも大幅に。
私は他人からイイネもらうために働いてたんだっけ?

…違うよな。違う、違うはずだ。

確かにイイネたくさんもらって
楽しそうにしてる人は目につくし、気になるけど
待て待て待て待て。

私、そのために頑張ってたんだっけ?

立ち返れ。そして洗い出せ。

ーーー違う、よな。

仕事を頑張っているのは、
確かに生きるためではあるけど、
ITを使ってもっと世の中を便利にしたり、
困っている人を助けることができたり、
少しでも「暮らしやすい」環境を作るためだった。

マーケティングや経営戦略を学んでいるのは、
社内施策がもっとよりよく、効果があり、
受け入れられるものにするためで、
「売る」「広める」ことで
「よいもの」が埋もれないようにするためで。

英語やイタリア語を学んでいるのは、
作品の背景やニュアンス、日本語ではできない表現を学び、
そして広い範囲の人とコミュニケーションを取って
自分の考えや知見を広めるためで。

本を読んでいるのは、自分の楽しみのためと、
違う考えを得るためで。
楽器をやっているのも、自分が"楽しい"からで。

ーーー褒めてもらうために、やっているんじゃない。
誰かに称賛してもらうために、やっているんじゃない。

これを、忘れていたんだ。

立ち返る、努力の意味

自分が頑張るのは、スキルをつけるのは、
「自分を幸せにするため」だ。

ITやマーケティングなど、仕事に直結するスキルだと
他者のためになりやすいが、何よりまず
知識をつけて、技術をつけて、
自分ができること、「できて当然」のことを増やして、
仕事を通してどこかで誰かの役に立って、
生きる意味を、働く意味を見つけて、
ーーー自分を、幸せにするためだ。

映えたりバズったりすると、
まるで薬物のように
一過性のHappyと、すさまじい依存性があるけれど、
それを欲し続けてはいけない。

努力はなべて、自分のために。
自分ができることを増やし、
自分をちゃんと、安定した幸せに導けるようにするために。

きっと、私にならできる。
頑張ってくれた自分をちゃんとほめながら。
自分に対してありがとうを伝えながら。

きっと、自分を幸せにできる。
そう、信じて。

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