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感動強姦 私の野口氏の行方

昨日、某都市の○○町駅前の広場で、大道芸人がパフォーマンスをしていた。高さ2mほどで積み上げられた台の上に、面が地に向いた円筒を置き、板を上に重ね、その上に乗るという芸だ。芸人は、日に焼かれていない色の男性で、全体的に筋肉質であったが声が高くお顔はやや中性的であった。なにやら遠くの方で、パフォーマンスの人だかりのあるのを発見した私は、気分に任せて近くでみようと思い、近寄ってみた。彼の用意した舞台から2,3m程前に赤いロープが地面に垂らしてあり、それが観客との境界だった。私はその赤線から2,3歩引いたところで彼のパフォーマンスを見守っていた。彼はそのパフォーマンスを恐がっていたし、緊張していた。パフォーマンスが失敗し、台の上から落ちたら、もしかしたら怪我をするかもしれない。バランスを崩して落ちるのは、普通に落ちるよりも痛そうで危ない感じもする。彼は、自分で「恐いです。」だとか、「緊張しますね」だとか、よく言っていた。板の上に、乗ろうとするのだが、何度も調子を合わせながらも、なかなか乗れない。その度に、弱音を吐露していた。私は、危険性を伴う自作自演をやっているのだから恐くて当然だろうと思った。ただ、大道芸特有の危なっかしさと、彼が気持ちのままにいう弱音は、みている観客にも緊張感を味あわせていた。なかなか乗れない彼、自作自演、弱音の拍子で、私は笑いと、緊張感が交差するような、むず痒い感覚を味わっていた。勿論、一所懸命にパフォーマンスをしている彼の姿を見て笑いを誘発させられていることに対しては、何だか申し訳ない気もした。時間がいくらか経ち、心の準備ができた彼は、自分で「3,2,1」とカウントダウンを始め、1で台の上に乗ることに成功した。板の上にバランスを保って乗りながら、彼は輪っかを彼の右足から入れ、胴体、肩、上半身を通り、左足までくぐらせるというパフォーマンスも見せてくれた。そして、成功した暁に、本来は大きな大会の場でやるはずの芸を披露してくれると観客に約束していたので、それも見せてくれた。先ほどの板の上に、もうワンセット同じもの(円筒と板)を重ね、その上に乗るというものだった。
彼は独特の空気を醸し出し、演出していた。この度この雑記を書こうと思ったのは、その空気について感じることがあったからだ。
演技の際中には、流行歌手らしいしっとりしたやや感傷的な音楽が大音量で流れていた。そして、彼は、自身が遠いところから、演技をしにきていて、駅の場所代も支払っていて、要するに赤字なんだということをパフォーマンス中にアピールして言っていた。「この演技が終わったら、帽子を置きますので、お札を置いてくれると助かります。」「一枚と言わずに二枚、三枚を置いてくれたら助かります」というような内容のことを彼は最後の芸の前に言った。彼は明らかに、音楽の作り出す効果に引きづられていて、自身の感傷のままにそのようなことを言っていたのだ。私は進行する彼の演技を見つつ、独特の違和感をそこに感じていたのだ。私は緊張感を誘発されていて、ドキドキしていたのでその違和感を言語化するのを後回しにし、彼の演技に集中していた。彼はさらに、「僕は遠くで見ている人と、赤線前まできて見ている人を同じように扱うことはできません」というようなことをしっとりと言い放った。私は赤線から2,3歩離れていた。一所懸命に、(例え自作自演だとはいえ)困難なことに挑戦している男性に対して応援の気持ちが芽生え、親近感も生まれていた私はその芸人と何度か長く目が合っていたということもあり、応援の気持ちを表明するためにその赤いロープに近づくしかなかった。
帰宅し、彼の一連の言動を振り返って私はこう思った。そもそも、誰かに頼まれてパフォーマンスを彼はしていない。彼は自身の意思ではるばる駅前までやってきてパフォーマンスをしている。「注文多かったな。」
空気は作り出されていて、演出されていたものだ。GReeeeNの楽曲が使われていた気がする。自分で高いところに登って、なんかやっておきながら、一枚だけじゃなくて、お札を二枚でも三枚でも置いてくれると助かりますと言っていたのだ。それをただ決まり文句的な口調で言い放っていたのなら違和感は弱かったかもしれないのだが、彼は「俺はすげぇもの見せてる。やってんだぞ!」とちょっとばかし酔ってしまっていたのだ。仮に、音楽がGReeeeNの感動ソングじゃなくて、幼児向けのアニメのBGMだったらあのような空気にはなっていなかったかもしれない。
そして、お札(1000円以上)を払うことを暗に彼は限定していたのだ。クローズドトークはやめていただきたかった。そうそう、あとまだ違和の様子を思い出した。彼は、ここで拍手してくださいと指示したのだ。大きな拍手をしてくださいと言ったのだ。彼が目の前で失敗するのは嫌だったので、私は緊張感を保っていたのだが、同時に「それ自分で言うのか?」という違和感が通奏低音で流れていた。
演技が終わり、彼の失敗と無事の間の緊張感から解放された私は、財布に一枚だけあった野口の紙を引っ張り、彼に近寄り帽子の中に入れた。私はこの日、自宅から数駅またいだ都市銀行の支店にお金を預けるために出かけていて、その帰りに散歩がてら駅前を歩いていた。本日のご飯代の千円をお札で残していた私は千円と小銭しか持ち合わせていなかった。ただ、千円という金額は大事にしようとすれば大事なのだ。私は、彼に冷静な感覚で彼に払うとしたら120円ぐらいのものだろうという感覚だったし、払う義理の無いものにぽいっと出せるのは、私の金銭感覚からして100円から250円程度なのだ。それを私はお札という閉じた形式でお願いされたことにより、ご飯のために残しておいた野口氏の紙を彼に渡すしかできなかったのだ。何か抗えないものがあったのだ。しかも、彼は一枚とは言わず二枚、三枚ということを何回か強調していたので、私が銀行に紙を預けていなかったら二枚以上は犠牲になっていたのだ。
私が、彼に渡す前、目の前の若者(私もだが)は500円を彼に渡していた。キャッシュレスも進んでいる。目前の若者は、学生で、親を頼りにしているのかもしれない。だから500円なのだろうという連想が頭の中で通過していた。500円を受け取った芸人は、過度に嬉しそうでもなく、残念そうでもないというような、でもそんだけか…という様子で受け取った。わかりやすく表してはいなかったが私はそれを感じ取った。私はその様子に、対して羞恥心を誘発され、彼の演技中に若干、目もあっていたのでなんだか気まずくなり、彼の目も見ずに、軽くお辞儀だけをして帽子の中に野口氏の紙を入れた。帰宅途中、春の気配を感じつつしばらく気持ちよく散歩をしたが、モヤモヤの余韻は尾を引いていた。
野口一枚は私にとって大事な紙だった。いや、それもなんか違う。野口一枚にそこまでの貴重さを常に感じているわけではない。始めより、入場料があり、その気でお金を持っていき、払ったのであればモヤモヤしなかった。私はどうも、負けた気がしたのだ。それが嫌だったのだ。払ったのではなく、払わされた。仮に、パフォーマンス中の時間にタイムリープできたら、一度深く深呼吸をし、「100円で大丈夫、100円を払おう」と念じていたことだろう。何かこのことについて、教訓として学ぶ必要があるということを、私の潜在意識は私に訴えていた。
乗せられて払ったら情緒も感謝もなくなる。そう、感謝された気がしなかったのもむず痒かったのだ。「あ、1000円ですか,,」というような。私は別に感謝をされて喜ぶような感覚はないのだが、客観的な感覚として違和感があったのだ。私なら恥ずかしくてそのような注文ができないからだ。
注文の多い大道芸人?商売上手?
歩きながらそういう言葉で気持ちを整理しようとしたが、違うような気がした。場を演出しておきながら、自分が演出をしていることに気づかず、自分自身も根拠のない、薄い(だって依頼じゃないし、身体的な芸だし)感動に浸されてしまっていることに気づかず、緊張感で観客を統一し、その感動に対してお金を払わせる。そう私は気持ちを強姦された気がしたのだ。それが気持ち悪かったのだ。無意識の感動ファシズム、扇動。
ファシストに扇動された私こそ、彼をファシストにしてしまったのだろう。要は、私は違和感を感じながらも、形の上では彼をがっかりさせたくなくて彼の望むようなことをやったのだ。全部彼の仰せのままにだったのだ。
私も、彼に頼まれて見たわけではない。興味があって、近寄って自分の意思で見た。ということは、私も彼も、自分の意思というものを演出された空気感の奴隷にしてしまっていたのだ。近寄った際の私は、まさか野口氏の紙を払うとは思っていなかった。15分後、私の財布から彼はいなくなっていた。私の意思と一緒にかの医学者は誘拐されたのだった。そして、赤線の前に自分で近寄っておいて、言われた通りのお札を払わないというのは私も単純に恥ずかしかったのだ。正直。私の経済観念の甘さはこうして明るみにされた。空気感さえ用意されれば、堅物で冷笑的な私もお金を支払ってしまう。
お金を払うという行為は現代では寝る・起きる・食べるなどと同等かそれ以上に生に結びついた重大な行為であり、潜在意識にも契約という形で印象をはっきり残すため、注意しなければ多くの望まぬ事象が姿を表す可能性がある。私は自分では、120円の価値だと思っていたものに対して10倍ほどの値段を払ったのだ。仮に私がそっくりそのまま規模だけが違う状況にいて、上流階級の人間であれば、12万円の価値だと思っていたものに、100万円ぶんの大勢の福沢氏を送り込んでいたのかもしれない。そう考えると、大衆扇動というもの、いやそれだけじゃなく、自分の意思、価値基準の失念、忘却というのは恐ろしいものだと感じた。初対面の相手の醸し出した情念に惑わされず、自分の意思で、価値を決める。違和感を感じていたら、財布の中の人物を外に出さず、もう少し整理してみる。
昨日の出来事は印象に残った。最後に、私のみた大道芸人は、世界大会にも出場しているその道の実力者ということは最後に強調しておく。失礼があったら申し訳ない。以上


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