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知的障害の子とかかわって思ったこと

教員になって5年目までは、通常のクラスを担当していたので、障害のある子と関わることはほとんどありませんでした。昨年、初めて知的学級を担当して今年も引き続き担当しています。

その中で、自閉症と知的障害を持った1年生のA君との出会いは大きかったです。A君は、会話が成立せず、単語で話をします。身の回りのことを自分でできなかったので、何をするにも手助けが必要でした。

4月当初は、大好きだった幼稚園に通えなくなったことや大好きだった先生に会えなくなったことにパニックになり、学校に来ることも難しい状態でした。
学校に来ても、初めての先生、初めての給食、初めての勉強、、、
環境の変化が苦手なA君は、パニックになり、泣き叫ぶことが毎日のように起こっていました。
そのような子と関わったことのない私は、どうしたらよいかわからず、一緒に泣きたくなる気持ちを抑えながら、なだめていたことを思い出します。

ただ、A君のように誰が見ても、「何か障害を持っている子だな。」とわかる子はみんな優しく接してくれます。
A君はまだ3歳ぐらいの発達段階なので、どの子も、「A君、かわいい。」とお世話をしたがります。誰からも愛されるので、その面では、すごく恵まれていると思います。

他にも私のクラスには、4年生のB君や5年生のCさんが在籍しているのですが、その子たちは見た目はみんなと同じ、会話もできる、パニックになることもないので、みんなからはそれほど注目を浴びることはありません。
しかし、その子たちの抱える困り感には、対人関係の取りにくさがあります。友達とうまくコミュニケーションが取れない、すぐにイライラしてしまう、空気が読めないなどです。A君のように愛らしさのようなポイントがないB君やCさんは、同級生からも強く当たられてしまうので、関係は上手に築けていけません。

私が小さいときにも、知的障害のクラスはありましたが、今ほど何でも「障害」と診断される時代ではありませんでした。
多少、学習なり、生活面なりで困り感がある子も通常学級に在籍していましたし、一見、みんなと同じように生活できていました。
しかし、その子たちは、「変わり者」としてのけ者にされたり、いじめのターゲットになってしまうようなこともありました。

今、私は知的障害のクラスをもって、知的障害を持っている子の「生きにくさ」を感じています。「障害があるから、何でも許される。」というわけではありませんが、周りからの理解は本当に必要不可欠です。
しかし、実際の教育現場では、周りの子どもたちの理解を促すことも簡単なことではありません。大人の世界でもそうだと思います。
少しでも、障害に対して理解のある人が増えてほしいと願います。


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