魔法と呪いの言葉と人生の再定義
この記事はだいぶ前に書いていたが、投稿するのをためらってしまっていた。
でも一歩踏み出して、変わらなくてはいけないと思うから、実践したいからやっぱり投稿しようと思う。
以前放送されていたクローズアップ現代
「親を捨ててもいいですか」
なんともセンセーショナルなテーマである。
そして以前深夜に再放送していた「透明なゆりかご」。その中の第7回「小さな手帳」
この2つを時を隔てずに観てしまった。観て"しまった"というのは、ちょっと心が重くなってしまったから。
どちらも、母との幼少期の関係を思い起こさせるものであったから。
私の母は高卒で就職をし、その後結婚して専業主婦となった。当時はそういう女性が多かった時代である。
しかし当の母親は、もっと勉強して大学にも行きたかったとのこと。次女である母は長女である伯母が大学に行かせて貰い教師となったことをひがんでいた。姉ばっかり、と。
そして、その自分の果たせなかった願望を、私達子供に託した。
いや…「託した」では無い。「押し付けた」
その自分の学歴コンプレックスがこじれて大きく広がり、更に"周りの目を気にする"というエッセンスまで加わってしまった。そのエッセンスも、もちろん子供の私達にふりかけられる。
結果、私達への教育方針は「人様に恥ずかしく無い学校に進学する」「優等生でいる」「みっとも無いことをしない」となった。
当時はそれが当たり前だと思ってた。世間の一般常識だと。これがおかしいとわかったのはだいぶ大人になってからだ。20歳半ばまで母の考えや言うことは絶対的に正しいと思い込んでいた。
魔法がかけられていた。
その魔法が解けたのが30歳近くになって転職をした時ぐらいだったと思う。そこから私のこれまでの人生の答え合わせが始まってしまった。
高校受験の時、母が望むT高校に受かる自信がなかったので1つランクを下げたH高校を受験したいと言った。母はそこじゃダメ、もっと勉強してT高校に行きなさいと言った。そこから私は猛勉強して、母の望むT高校へ願書を出すことにした。
そう決めた後、母は、近所に住む私の同級生のKちゃんが私が受験する高校より4ランクぐらい下の学校を受験することを知った。そして私にこう言った。
「Kちゃんがあの学校受けるんなら、あなたはH高校でも良かったわね」
母の中の私の進路の判断基準は世間体だった。
中学の三者面談の際、私の成績が悪い時は母は必ず不機嫌になっていた。おかげで三者面談の記憶は母が不機嫌だったこと以外は覚えていない。怒っていた理由は、先生の前で母が恥をかかせられたから。そんなことを面談が終わって部屋を出た後に言われた記憶がある。
ちなみに、成績が悪いと言っても中学時代は上位40%には常に入っていたし、ある時の期末試験では学年2位をとったこともある(ちなみにこの時は母からは「どうしてあとひとつ取れなかったか」と言うようなことを言われ、大してホメられなかった。ただ、この時の三者面談は機嫌が良かったことだけは何となく覚えている)。件の高校も県内でNo.2の進学校であり、一般的に見れば私は決して成績は悪い方ではない。とにかく母が求めるレベルが高かった。
母が怒る時にかなりの確率で放たれる言葉があった。
「みっともない」
この「みっともない」が魔法をかける時の呪いの言葉であったことに気づいたのがここ数年である。
小さい頃から"みっともないの呪い"にかけられていた私は、みっともなくならないように、ずっと正しくあり続けることを自分に課し、世間で「こうあるべき」と言われることを実践し続けて、外の価値観で生き続けてきた。
"みっともないの呪い"がかけられていたことがわかった時、嫌悪感と同時になんとなくスッとした。"嫌悪感"はこれまでに対して。"スッとした"のはこれからに対してなのかな、呪いがかかっていたことに気付けたこと。
「全ては呪いのせいだった」と思うことで救われた。
母のせいではなく呪いのせいにする。
さて、呪いの魔法が解けた今、私がやらなくてはいけないことは「人生を再定義する」こと。以下の記事で発見。
他人の都合で考えられた外の価値観で生きるのではなく、自分が幸せになるような自分の価値観に基づいて生きる。自分の価値観とは何か?を考えて人生を再定義していく。
冒頭で出したクローズアップ現代で、臨床心理士の信田さよ子さんがこう言っていた。
親のことを許すかどうかっていうことと、親が何をしたかっていうの別の問題ですから。自分の記憶の中にある親からされたことっていうのは、なかなか消えないんです。ですから、親となんとかうまくやっていくっていうことと、親からされたことの記憶が全然自分の中で整理できないっていうのは、両立してしまうんです。
(親のこと)許さなくてもいいんです。何か表面上、うまくやってればいいだけの話ですから。
そうか、いいんだ。
過去のことで母と上手くいかず、そんな自分は人としてどうなんだと自己嫌悪に陥り、でも自分を改められなくて、母に対して頭と心と行動がバラバラで。おかしくなりそうだった。いや、なっていた。
そんな時にこの信田さよ子さんの言葉は私にとっての救いだった。人生の再定義だった。
母に優しくなれない、そしてそんな自分に嫌悪感を感じて、結果母も私も不幸であるのは他人の価値観で生きようとしているから。信田さよ子さんの言っている価値観で私の人生を再定義した方が、私も母も幸せになれるんじゃないかと思った。
自分も相手も幸せになる自分の価値観で人生を再定義していきたい。
日々そこら中に転がっている他人の価値観。小さな頃からなんの疑いもなく拾って自分のポケットに入れてきた。
今そのポケットを開けてみたら、もう今40代の私には合わないものだった。それはどんぐりのようなものだった。小さい頃はよくわかんないけどどんぐり見つけると拾ってポケットにいれていた。別にどんぐり好きなわけじゃないのに、どんぐりは見つけたら拾うものだった。
つい数年前までどんぐり拾い続けてポケットをいっぱいにして自分を満たしていた。いや、満たしていたと思いこんでいたけど、実は満たされていなかった。
ポケットのどんぐり一回全部空っぽにして、自分が欲しいと思ったものを見つけて、ポケットに詰めていこう。自分が欲しいものは木ノ実かもしれないし、石かもしれない。
自分を満たせるものは何かを調べながら。
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