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【25卒】大学4年生春、明確な目的はないが、休学することにした。

2024年4月、私は晴れて大学4年生になった。
そんな私は今春から休学するつもりだ
何度か休学フラグは立てていたが、
世間の就活の流れに身を任せたまま生きていた。
どこか腑に落ちない感情を抱えながら

なんとなく違和感を抱えながら

昨年の6月から少しずつ情報収集を開始。
サークル未所属の私はツテや相談相手も少ないなりに活動をしてきた。夏休みは暇があれば、SPI勉強、インターンに応募、秋からはOB訪問。
自己分析だけで100枚以上の紙は使用しただろう。
心配性な私らしい就活前半であった。

私は1月に志望業界の路線変更をしたため本選考に懸けていた。就活解禁の3月1日(ほぼ形骸化しているが)から1カ月。
私の身体は完全に就活を拒否していた。
寛解状態に近かった「アイツ」が戻ってきたのだ
※アイツ=摂食障害(過食・下剤乱用)後に記事にしたい。

「腑に落ちた状態」で就職活動を行う学生がどれほどいるのだろうか。
いや、そもそも恵まれすぎているがゆえの悩みか。
腑に落ちる、落ちないもないのかもしれない。生きるためだもの。


このタイミングで就活をやめることについて

就活生になってもうすぐ一年。
今辞めるなんて馬鹿なのか?!とのお叱りも聞こえてきそうだが。

受験のように、違和感をもたず、ただ突っ走っていれば6月くらいには就活が終わっているだろう。
でも私には、その未来は描けていなかった。
というか一旦「レールを外れてみたい」という欲求が勝てしまったというのが本音なのかもしれない。
「アイツ」が戻ってきたのも必然なんだ、
今ならそう思える。

終盤に近付いた就活を今更ストップすることに後悔がゼロなわけではない。もっとはやく休学決意すれば良かった、なんて思う。

だが就活を通して得た学びは、それまでの大学生活で得たものよりも濃いものであった。

就職活動を通して浮かび上がってきた「腑に落ちない感」は就職活動自体ではなく、私がずっと抱えていた問題のせいであった。

➀やりたいことが分からない自分への焦燥感
学部選択時、母の「英語が得意だし、潰しきくんじゃない?」の助言に従った。浪人を辞めたのも母に「十分じゃない?」と言われたのが大きい。
➁常に他人と比較して置いてきぼりになる自分の意思(意思すらブレてる)
→自身の成績推移よりも塾内の上位維持や学内の友人の合否をめちゃくちゃ気にしていた。(周りに優秀と思われたい欲)
③「就活生」的な行動に満足する自分
→OB訪問もインターンも、自分とのマッチ度を確認することが重要なのに、参加・訪問自体に満足していた。
④「自分」を演じることへの違和感
→完璧主義を発揮して「出来る就活生」としての自分を演じなければいけないと思っていた。

窮屈で窮屈で、死にそうだった。
今は分かる。
「私の、私による、私のための受験・就活」
ではなかったからしんどかったのだ。

しばらくは就活から離れて生活をしようかと思う。
まずはアイツを落ち着かせて、私の心に素直に生きてみようと思う。

就活を通して見えてきた、
私の身体をまとう絡まった鎖のような価値観。

でも少しずつ緩んできている。
だから焦らず、ゆっくりと解いていきたい。これが目的である。

世間でいう明確な休学の目的みたいなものは、ない。私の休学の目的はとても抽象的かもしれない。
だが「腑に落ちている」自分がいる。

私には必要な時間になるだろう、と。
常に母に決定権をゆだねていた私の
真の自立の時期なのかしら、と考えながら。


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