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「コミュ力高いよね」と言われるのに、コミュニケーションが苦手な件について



休学を決意してから約一カ月。
先日休学通知が郵便受けに届いて、自分が休学生であることを実感している。今回の休学を機に、3年間続けたアルバイトも退職理由を尋ねられるのだが、いつも困ってしまっていた。

何を隠そう、留学や長期インターン等の明確な理由を持って休学をしたわけではないからだ。(詳細はこちらの記事からどうぞ!)

表面上の理由は「休学して京都の実家に帰省する」ということにしているが、なぜ休学したの?と聞かれるわけである。

「いろいろあって!」と適当に濁していた。実際、それ以上深ぼられることもない。また私も、所詮他人だし言わなくていいと思っていた。

でも濁した時の空気感が少し耐えられなくなって、本音がポロリとこぼれた。

「焦燥感に駆られながら不安いっぱいで就職活動をしてきたけど、このまま続けても自分にとって良い就活にならないと思って」

摂食障害に悩んでいた過去を伝えている先輩には、就活の最中に寛解してたはずの症状が戻ってきたことを伝えた。

自分の「隠したい部分」をさらけ出してみた感じである。

就活を途中でやめて休学を選択したことは納得しているけれど、どこか他人の意見を気にしている自分がずっといた。

”休学したら就活不利じゃない?”
”明確にやることを決めずに過ごす休学は意味ないんじゃない?”

そう言われるのが怖くて本音を伝えることを避けていた。否定されたら自分の意思が揺らぐ気がしていたから、本音は自分の中で留めてきた。でもそんな考えは杞憂で、私の意思決定をとても褒めてくれたのである。

”周りと違う選択をすることは勇気がいるよね。きっと良い選択になるよ!”
”社会人になったらに将来だけを考える時間は取れないから、たっぷり自分のために使いな!”

先輩の経験も交えながら、背中を押してくれた。次は外で会おうね!(飲みに行こうね)とここで終わりの関係じゃないことを感じて、心がほっこりした。ちょっと過言だけど、私の中でコミュニケーション変革が起こった気がしたのである。


「コミュ力あるよね」って言われるのに、自分はそう思えないという”矛盾”

私は昔からコミュ力に自信がないわけではない。というのも体育祭の度にクラス責だったし、団長として優勝に導いたこともある。「体育祭に気乗りしない友人も楽しめる日にするにはどうすればいいか?」といつも考えていたし、いろんな友人と積極的に関わっていた。そんな自分はコミュニケーションが得意な人間だと思い込んでいた。でもいつの間にかコミュニケーションが得意ではない側の人間になっていた。

初対面の人と話すのが大嫌いなわけではないし、人当たり良く接することは出来るのである。仲いい友人やインターンで出会う学生にも「コミュ力あるよね」なんて言われることもある。それでもコミュニケーションが苦手なのである。だから営業職じゃなくてSE職志望に変更して就活を進めていた。(今思えばとても軽率なのだけれど…)

周囲の人間には「コミュ力」がある(と言われるのに)自分では「コミュ力」がないと思ってしまうという”矛盾”が結構しんどかった。

でも”「コミュ力」の定義が曖昧だったから矛盾が生まれていたのだと気が付いた。


学生の「コミュ力」と社会人の「コミュ力」

私が今まで考えていた「コミュ力」とは、学生の間に重視されがちな「コミュ力」だったのだと思う。

緊張なく誰とでも話せるとか、友達を作るのが苦手ではないとかそういう感じ。そして私は結構これが得意な部類の人間である。だから「コミュ力」がある人として認識されがちだ。

しかし前述した通り、自分では「コミュ力」がないと思ってしまうのだ。

考えてみると「等身大の自分を出すことが求められる場面」という特定のコミュニケーションが苦手であることに気が付いた。

就活の面接もそう。恋愛でもよく表れていた。TOEICが高得点でもスピーキングが苦手なのはこれが原因だろう。

不完全な自分を出すのが恥ずかしくて避けるし、失敗するのである。

社会人として必要な「コミュ力」は後者なんだろうなあ、と就活を辞めた今やっと気が付いた。今なら私が営業職を避けていたのも短絡的過ぎたなと思えるし、休学の1年を通して等身大の自分を表現する練習をしていきたい。

「コミュ力」を再定義する

コミュニケーション能力について、今の私が定義するならば

「コミュ力=自分の弱さをさらけ出せる能力」である。

今までの私にはこれが足りなかった。別に弱さを出さなくともコミュニケーションは成り立つ。しかし自分の弱さをさらけ出すことが、相手の心の扉を開く鍵な気がしている。

弱さをさらけ出すことってとても難しい。たくさん筋トレしても摘まめてしまう脂肪を好きな人に見られるのと同じくらいに恥ずかしい。それは完璧でない等身大の自分を見せなければいけないからである。

※他人に弱さを出すってことは、弱さを見せても見捨てられることはないっていう心の中の安全基地があって初めて出来ることだから、人によって差があるのは仕方がないと思うけれど。(心理学でいう愛着の話)

私の定義においては、本当の休学理由を先輩に伝えることを通じて、「コミュ力」を一段階上げることが出来たって言っていいんじゃないだろうか。

目に見える評価や成長ばかりをおいかけてきた私にとってこの気づきはとても大きな成長なのである。

これからも、弱さをさらけ出していけますように。弱さをさらけ出すことに恐怖を感じなくなるその日まで、私はあきらめないんだから!

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