はまぐりとルッキズム l エッセイ
街中で、はっとするほど美しい人とすれ違うことってありますよね。私はあります。
男性でも女性でも、あまりの美しさに一瞬目がそちらを向いてしまい、慌ててあかんあかんともとに戻す。私は経験がないけれど、色んな人にちらちら見られるのが好きじゃないかたも沢山いるだろうから気をつけないといけないのだけれど。
でもなぁ。私が、というより目という器官が「発見する」感覚なのだよなぁ。
世の中に美しさは色々とあるが、この場合は左右の顔のバランスが取れた平均顔ーー人が傾向的に「美しい」と感じやすいかたたちーーだ。
たまにすれ違うくらいならあまり迷惑をかけなくてすむのに、困るのは、職場にそれはそれは美しい人がいた場合だ。困るというか、困らせてしまう。
前職で先輩だったかたのパートナーが、まさしくそれはそれは美しい男の人だった。
その男の人が先輩にお弁当を届けに来たときに目がはっとし、職場の飲み会にそのかたが急遽参加したときにはっとし、エレベーターでばったり会ったときにはっとした。
私達ははっとしてはっとされる関係だった。というか、私が勝手にはっとしていた。
もういい加減はっとするのはやめよう、美しい彼とばったり会っても血が出るくらい唇を噛んで視界を鈍化させるのだ! と決心した日の夜に急遽職場でバーベキューをすることになりもちろん美しい彼も参加することがわかった。これはチャンスだ。私はもう「はっ」とはしない。
でも始まってから、私はやはりはっとしてしまった。唇を噛んでも無駄だった。はっとしたし、きゅんとしたし、うっとりした。しかも先輩が、飲み物とお皿で両手がふさがっている彼に、アスパラベーコン巻きをあーんとしたから「なんて仲の良い夫婦だ」と違った意味できゅんとした。
少し離れたところにいた後輩の女の子が、何か言いたそうな笑みを浮かべてこっちを見ている。
彼女のところに行き、どうしたの? みたいな顔をすると、逆に「どうしたんですか?」と聞かれた。
私ははっとしてきゅんとしてうっとりしてしまったこと。そしてさっき見た素敵な「あーん」と、それによってまたきゅんとしたことを正直に伝えた。
女の子か笑いながら言った。「私も見ていました。で、あおさんがはっとしてきゅんとしたのにも気づきました。きゅんとしましたか?」
「うん、きゅんとしたよ」
「すごく?」
「すごく」
「じゃあこれを見てきゅんを上書きしてください」
そう言って彼女は巨大なはまぐりを見せてくれた。私のきゅんは上書きされる。はまぐりにではなくて彼女に。
だって、はっとしてきゅんとしてうっとりの上書きの方法がはまぐりを見せることなんて謎すぎる。だめだ、私は見目麗しいかたには一瞬はっとしてしまうだけだけれど、変わった女の子には長期間きゅんとしてしまうのだ。
女の子の、はまぐりが焼けていくのを喜ぶ横顔を見つめながら、私はいまだ美醜に囚われている自分の価値観を実はこっそり反省していた。左右のバランスが取れた平均顔は、これからも人々を魅了し続けるだろう。それは感情より奥の遺伝子に訴えかけるものだからだ。
でもそろそろ、勝手にはっとしてきゅんとされるかたたちのことをおもんばかろう。
でもはまぐりは謎すぎる。そこにはっとしてきゅんとしてうっとりするのは、遺伝ではなくただの感情だ。
――私は美醜に支配されている価値観をゆるやかに移行していきたいと感じながら、後輩から差し出されたアツアツのはまぐりを受け取った。とてもきゅんとした。みなに幸あれ。
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