見出し画像

伝える

なかなかリンクが
noteに貼れない・・・。
そんな時もあります。

やっと貼れて安心したところで・・・
この書籍は
「ゲーテとエッカーマンの対話」という本から
著書齋藤孝先生が自分のナイスポイントを
ピックアップした本です。
若きエッカーマンが晩年のゲーテに
教わるいわゆる「上達論」の内容の話となります。

この「ゲーテとの対話」での
最大のポイントは
独学は非するもの」と言うことです。

何故ゲーテは「独学」を
嫌ったのでしょうか?

これにはある側面がありまして
ゲーテは「教養」とは古くからの言葉(知識)
を引き継ぐものである。(温故知新のようなもの)と言う考えがあります。

古典を蔑(ないがし)ろにして
現代風の文化を吸収する風潮に
ゲーテは嫌気がさしていたのでした。


何の基礎的(古典的)学問のないままで
0→1へと作り出すことは
ありえません。
全ては先人達の述べた知識の組み合わせが
新しいものを作る。
そんな考え方です。

モーツァルトにしろ
ピカソにしろ
はたまた漫画家の手塚治虫氏にしろ
天才と呼ばれるクリエイターは
小さい頃に必ずと言うほどの
恐ろしい量の学習量がありました。

つまり、文化や教養を「伝える」と言う作業は
思いつきやひらめきなどでは継承できない。
世代間で共有しあって文化が
継承されてゆくこと。
それで文化が進化してゆくことを
ゲーテは見越していたようです。

単を発せば
論語の孔子にも
このような言葉が残されています。
「自分の伝えていること(仁・義・礼・信)は
単に周の時代(全王朝;孔子の理想)の
しきたりを伝えているだけである。
決して私が考えたことではない」
と言うみたいなことを述べています。


最近、古典はオワコン(古いコンテンツ)と言う風潮があります。
読んでも役に立たない。
何をいっているのかわからない。
読むコスパが悪い。などなど・・・。

それに伴い
学生の自主的な読書量も
落ちています。

いつの時代も
文化は言葉で伝えられました。
もっと古ければ
口伝です。(長い文章の暗記です)
それは古くからの言い伝えを
次の世代に「伝えて」ゆく、
行為そのものです。

人生とは、人が生きるということは
もちろん子孫を残すことが
第一に大切なことです。
それでも人だけが「言葉」を使用し
いろんな考えを編み出してきました。

今や人間は地球を何度も破壊できるほどの
力を手にできました。
地球自体の環境も変えようとしています。

人の手で行ったことを止められるのは
人だけです。
都合よく最後の審判として
全てを神様が裁いてくれるのでしょうか?

それには
今までの歴史や人間の成り立ちなど
興味のある範囲からでも
本などで知識をつけること・・・。
そういう力をつけることが
これ以上暮らしを向上させる前に
必要かと思うこの頃です。

最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

コメントなどのメッセージで
励ましのお言葉いただき
本当にありがとうございました。
励みになります。

では また
おわり

m_miyamoto529さん
素敵なフォトありがとうございます。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?