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昔自転車に乗っていたオヤジがツール・ド・フランスを見るとこうなる

 毎年恒例のグランツールの季節がやってきた。
 サイクルロードレースを見ると、無性に漕ぎたくなる。チャンバラを見たあとに刀を振り回したくなるのと同じだ。

 十五時少し前、昼過ぎから降っていた雨が上がり、太陽がまだ隠れている今、この季節には少ないチャリンコ模様だ。
 ロードレース用の正装ではなく、メッシュのTシャツとチャンピオンのハーフパンツで普段使いのクロスバイクに飛び乗った。
 雨は完全にあがってはいなかった。時折顔と腕に小さな雨粒を感じる。住宅街を抜け、商業高校の裏に回ると、河川敷にでる。川の両側には犬の散歩に最適な遊歩道があり、まずはそこを目指すことにした。

 ついさっきまで、ツール・ド・フランスの第八ステージの途中まで見ていたので、メイン集団よろしく85から90位のケイデンスを保つようにギアを軽くして、人気の少ない街を駆け抜けた。
 線路をくぐるアンダーパスでは、敢えて下りの勢いは使わず、ギアを落として擬似山岳気分を味わう。自転車を初めて買ってもらった子供でもこんなにはしゃがない。と自分で恥ずかしくなるくらい頭の中で遊んだ。

 幹線道路を左に折れると、河川敷に向かって下る。緩やかなS字の坂は、両サイドに自転車通行レーンのペイントがある。
 数年前、自転車による人身事故が多発していた際に、〈自転車は車道〉と警察庁が強く発表してから、行政も道路に自転車レーンのペイントを急いだ。しかし、道路自体は昨日までと何ら変わらないのに、ペイントだけ施してお茶を濁したため、かえって自転車にも車にも危険な道が全国に発生した。自転車が老人や子供を轢くのは勿論防がないといけないが、だからといって、自転車を生贄にするとは。
 でもしかたがない面もある。日本では昔から自転車が生活の一部になっていて、法的には車両でありながらも実態は徒歩の延長線の意識が強い。それ故長らく自転車が通る道を意識して来なかった。私が小さかった頃は、歩道を走るのが常識だったと思う。

 ロードレースが盛んなヨーロッパでは、自転車専用道路が発達している。郊外には車道とは別に並走するかたちで自転車道があることがよく知られているが、仕事でイタリアのミラノに行ったときに、街の中心部に車も歩行者も通れないように五十センチ位の高さのある縁石で囲った自転車専用道路があって驚いた。
 これだけ聞くと、ヨーロッパは自転車に理解があると思いがちだが、実態は少しニュアンスが違う。
 ヨーロッパでは自転車はスポーツだそうだ。競技はもちろんトレーニングやエクササイズという目的もあるが、あくまでも運動やスポーツという考え方が基本らしい。Jスポの中継で聞いた話ではあるが、向こうにはママチャリはないらしい。(探せば輸入品があるかもしれないが)自転車といえば競技用バイクのため、お値段もそこそこする。誰もが乗るものでははく、あくまでも自転車という「乗り物」だそうだ。
 グランツールを良く見ていると分かるが、自転車専用道があることと合わせて、郊外のほとんどの道に歩道がないことが分かる。日本とは違い、郊外では徒歩があまり想定されていないことが見て取れる。

 このやっつけ仕事のペイントの上を走ると、決まってこの話を頭で繰り返してしまう。道路の端は水捌けのために外側に傾斜している。偶に排水溝があったりもする。こんなところを小学生や高齢者に自転車で走らせるのはいいんだ。なんて思ったりする。

 川に突き当たると遊歩道の入り口がある。今回は手前の道には入らず、川を渡った公園側に向かう。橋の袂から右に折れて遊歩道に入ると未舗装区間だ。普通なら走りにくい砂利道も一昨日見た石畳コースをイメージすると、ゲーム感覚で面白い。ガタガタと振動を感じながらわざと雑草を避けるようにクネクネ走るのは、昔のゲームウォッチでボタンが二つしかない初期のゲームを思い出す。

 河川敷から公園の周回道路に入る。ここまで二kmほどだが、まだ息は上がっていない。心拍数は百二十くらいだろうか。何の装備も持たずスマホをポケットに入れただけなので、回転数も心拍数も大体だ。
 雨上がり後ということもあって、平日でも人がいる公園には殆ど人影がなく、貸切のように快適に走れる。偶にあるアップダウンではわざとギアを入れ替えてレース気分で一定の速度を保つ。

 公園を半周してから、道路を挟んで向かいにある田圃と畑が広がるエリアに入ることにした。ここは舗装されているが、通り抜けできないため一般車両がいないので走りやすい。かなりの広さがあって、マス目状に道路があるので、周回することもできる。
 ここではギアを上げて少しスピードを出す。農業用道路にしては道幅も広く見通しがいいので、安心して速度を上げることができるからだ。
 一直線に向こう端まで行って、突き当たりを左に九十度コーナー。さらに数百メートルの直線をダッシュし、再び左に九十度コーナー。まるで四角いサーキットだ。
 ようやく汗がこめかみを伝ってきて、口で息をしているのに気づく。このまま数十分走れば、巷でよく言う有酸素運動としては最適だ。
 殆ど人がいないと言っても、犬の散歩をしている人や農作業をしている人は二、三見えるので、普段着で田圃をグルグル周回しているオッサンは、傍目にどう見えるくらいの想像はつくので、名残惜しいが一周で切り上げて、さっきとは反対むきに川沿いの遊歩道を走ることにした。

 丁度公園を境に、こちら側の遊歩道は舗装されていて、もはや歩道ではなく車道となっている。しかしこの道は近所の人くらいしか使わない抜け道的な道路のため車の通りが少なくていい。
 ここにきて、不摂生続きの体がギシギシいってきた。足より先に腰がやばい。二年ほど前にぎっくり腰をやってから、常に腰の状態がおもわしくない。時々日常生活もままならないくらい酷い時もある。心臓もボリュームを上げてきた。まだ歩いていけるくらいの場所なのに情けない。自転車より体の方が大分錆び付いている。ロードバイクのチェーンとスプロケットを洗浄する専用の洗剤は、綺麗に汚れを落としてくれるが、人間用のそれがあったら迷わず大人買いだ。四十リットル買って浴槽で浸かってやる。

 時間にしてまだ三十分くらいだろうか。これくらいではまだ自転車に乗りましたとは言えない。高校生の通学の方がまだ乗っている。
 それでもこのどうしようもない体は、もう数十キロ走ったかのようにヘタってきている。汗は顎に達し、腰と尻が悲鳴を上げ始めてきた。十年前まではバスケと自転車で鍛えていて三十後半でも健康優良児だったのだが、運動をしなくなって数年で完全なるオヤジになってしまった。何事も失われるのは一瞬だと思わざるを得ない。
 少しペースを落とそうとギアを下げようとしたが、いつの間にか最も軽いギアになっていた。意識が飛ぶほど疲れてはいなかったが、無意識とは怖い。
 逆にこのままではダメだと思い、遊歩道から住宅街へ上がる坂道を上がることにする。ここは水害対策でもあるのか、かなり高い位置に宅地が整備されているので、かなりの激坂だ。
 最初の数メートル、瞬殺でシッティングが封じられダンシング。それもハンドルが腰に着きそうなほど前傾しながら、全体重をペダルに押し込む。左右に揺れながら目と鼻の先の頂上を目指し悶える。あっという間に太腿はぱんぱん。心音が外に聞こえてくるくらいの音量になる。

 ロードレーサーを買ったのはいつだっただろう。多分ランス・アームストロングが全盛期の頃だったと言えば、通の人は分かってくれるだろう。
 その頃は、バスケの練習がない休日によく遠出もした。車に乗せて瀬戸内まで行ったこともある。荒川のサイクリングコースでは、ペース配分を間違えてハンガーノックになったこともあった。それから二十年くらい経っただろうか。
 一時期仕事しかしていなかった時は、完全に玄関の赤いオブジェと化したGIANT。二年ほど前にメンテナンスをして、自室にサイクルトレーナーを置いて何度か漕いだ後は、自室のインテリアとなった。装飾品としては多分家の中で一番高額品だ。

 帰りの住宅街はグルペット状態。ヘロヘロになりながらも何とか止まらずに進んでいる状態だ。タイム制限はないが、体力制限がそろそろ限界を迎えている。
 汗をかけたのはいいが、昔みたいな爽やかな汗とは違い、溜まった澱が流れ出ているようだ。いっそのこと悪いものが全部出てしまえばいいのに。
 スマホで時間を見るのも億劫で、なんとなく一時間ぐらいは走ったかと少し満足しかけたが、直ぐに、昔は三、四時間走っていたのに…… と落ち込む。

 自宅にたどり着き自転車を止めると、最後の罰ゲーム。自転車乗りなら分かると思うが、自転車は止まった直後に滝のように汗が噴き出す。走っていた時の風がなくなるからだ。リビングに行く頃には、水浴びでもしたのかよいうほどの全身汗、汗、汗。冷蔵庫から冷えた炭酸水を取り出し、ガブ飲みする。
 そのまま風呂場に直行しシャワーを浴びる。高々一時間で一ヶ月分の運動をしたかのような充足感を覚える体が、ある意味情けない。後は、クーラーの効いた部屋でステージの後半戦を観戦しよう。

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