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韓国に来てよかったこと。

考えてみれば沢山あるのですが、まず1つ目。
個人的で、きっと少数派な意見。
会話の中で、
「部活何してた?」
と聞かれないこと。

韓国の学生さんたちは、とにかく勉強、勉強、勉強。
放課後は塾に通っている子がほとんどで、
日本のように、放課後は毎日部活!という文化は一般的ではありません。

その為、韓国に来てからは「部活動」について聞かれたことが
一度もないわけです。



私の両親は学生時代、バスケットボール部に所属し
中学から高校を卒業するまでの6年間、厳しい指導を受けながらも
一生懸命に部活動に励んだと言います。

その両親から日々発せられる無言の期待。

私は小学4年生に上がる時、勇気を出して母親に伝えました。

「わたしバスケじゃなくて、バドミントンがいい。」

当時、よく妹と楽しんでいたバドミントン。
動きにも、少し自信がありました。
これだったらやれるかも。そう思っていたんです。

案の定、母はバドミントン部に入ることを勧めませんでした。
「あなたがバスケ部に入ったら、パパ喜ぶと思うけどなぁ。」

私は特別、両親が喜ぶことならしてあげたい!とか
両親の為に何かしたい!と思うような子どもではありませんでした。
ただ毎日「どうしたら母親に怒られないで済むか」という事だけを
考えていたような子どもだったんです。

しかし、その母親のひと言は、私に強い義務感を感じさせました。

パパが喜ぶなら。

私は、「バスケ部に入らなければならない」という
大きな試練にぶつかりました。




実際に部活動が始まると、同級生たちはすぐ部に馴染み
5、6年生の先輩たちと仲良くなっていきました。
元々極度の人見知りで、何をするにも自信が持てなかった私は
集団の中であっという間に孤立。

「やめたい。帰りたい。」
そんな事ばかりを考えていました。


孤立、と表現しましたが、実際には
そんな私を気遣ってくれる同級生も多く
「一緒に練習しようよ」「具合悪い?」
と声をかけ、私と一緒に居てくれる子もいました。

私はというと、そんな同級生にまで人見知りをしていたんですね。
今思い返してみても、恥ずかしいぐらいに甘々ちゃんです。

そしてそんな毎日が続き、私の気持ちは逃げ場を失いました。

学校が終わると、一度家に帰宅する。
母親が「たくさん食べないと、力が出ないよ!」と
おやつや軽い夕飯を用意してくれる。
大きな水筒にたっぷりの氷とポカリスエットを入れ
黒くて大きなキティちゃんのリュックに詰め込んでくれる。
「頑張っておいで!」と送り出される。



「限界だ」と思ったある日、母親に伝えました。
心の底から絞り出した、ギリギリの、私の気持ち。
「バスケやめたい」

当然、怒られました。ものすごく怒られました。
根性が無いから、根性が鍛えられていないからそんな事を言うんだ!
だからこそ、このままバスケを続ける必要がある!と。
それはそれは、大きな声で、こてんぱんに怒られました。

母親との会話だけで終わらせられると思っていた、幼い私の考え。
父親が帰って来て、話が伝えられました。
父親は、静かにショックを受けていました。

(ちがう、そうじゃない、私はただ、なんでこうなるの)


それから私は部活動に行かなくなりました。



校則や先生の言う事は絶対に守るタイプだった私。
サボる、なんていう概念はありません。
でも、部活は辞められない。

そこで私がとった行動は、
部活動に行ってくる、と家を出たあと
暗くなるまで公園をうろうろしたり、近所を歩き続ける
というものでした。

夜ひとりで帰ったら危ないから、と
学校までたった5分の道のりを
父親が毎日迎えに来てくれていたのですが
部活が終わる時間に合わせて来るので、
体育館の外で、バスケ部の人たちに気づかれないように、
上手い言い訳をしながら落ち合わないといけなかったんですね。

もちろんそれも長くは続かず、私の不自然な行動で
両親にも顧問の先生にもバレてしまい、
そのままバスケ部を辞めることになりました。



これがきっかけだったのかは分かりませんが
私は中学、高校ともに部活動はしませんでした。

知り合ったばかりの人に、よく聞かれるこの言葉。

「部活何してた?」

両親の優しさや気遣いが辛かった。
私の方こそ優しさだったんだよ、と言いたくなる4年生の私。

子どもだったなぁと感じる一方で、
未だに上手く処理することが出来ないこの記憶。

いつかこの話で笑えたらいいなぁと思います。


最後まで目を通してくださって、ありがとうございます。

明日もいい日になりますように。



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