子どもの成長記録。ぽっちゃりふかふかなあんよにチューする日々は終わった。子離れへまた一歩近づいた。
ちっこいあんよを初めて見た時の衝撃は忘れられない。
産まれたての赤ちゃんのあんよは、
なんというか、少し怖かった。
小さすぎるし、皮膚がむけてごわついている。
爪も、長かったり欠けていたりガタガタしている。
しばらくして、肉付きも良くなってくるとぷっくりふっくりしたあんよになる。
指の長さが揃っていて、まあるいピンクの爪がまるで仲良し兄弟のようにのぞいている。
サイズは、すっぽり大人の掌に収まる。
足の裏は、柔らかでふかふか。
ほっぺにあててスリスリすると、なめらかで気持ちがいい。
だんだんと、見ているだけでは満足できなくなった私は、かわいいあんよを手に取っていろんな遊びを開発した。
電話のように耳に当てて話す電話ごっこ。
両手で持って顔の前で合わせて、いないいないばあ。
足の裏をこちょこちょするくすぐり遊び。
足の指をチョンチョンと触りながら歌を歌うリズム遊び。
上の子は、8ヶ月前に自らおっぱいを卒業してしまい、ねんねの前は子守唄がルーチンだった。そして、寝る前に、足の裏を撫でてチューするのが日課になっていた。ふざけて、あしをパクっと食べたふりをしたこともあった。
このあんよを愛でる習慣は恥ずかしながら結構長続きした。そのうち、本人もその気になり「足食べて」と足を差し出してくることもあり、やり過ぎたと反省したが、どさくさに紛れて続けてしまった。
けれど、どうにも、足がデカくなってしまった。くさいとかではないのだけど、足裏は少し硬くなったし、掌には全然収まっていないし、指の長さも揃っていなくなり小指が短い。
足にキスとかパクッとするのはもうやめようと思ったわけではないものの自然とやらなくなった決定打はたぶん、足の爪を大人と同じ「爪切り」で切るようになってからだと思う。
足の爪が硬くなって、親指のサイズが大きくなって、大人と同じ爪切りを使うようになる。そうすると、可愛いあんよとして愛でる対象ではなく、私の足についている足と同じものに思えてきたのだ。決して、可愛くないわけではない。だけど、それはもう、ただ、息子の足になったのだ。靴だって、特別な一足でなく、大人の靴の小さいバージョンってだけだ。
下の子のすべすべの足の裏を触りながら、そんなことを懐かしく思い出していた。あんよにチューする日々は終わったのだ。
下の子はなぜか、眠くなるとおっぱいを口に咥えたり触ったりしたくなるので、寝付く時は頭が近く足が遠くにある。そのため、物理的に難しいので、寝る前に私があんよにチューするという習慣が根付いていない。
子どもの個性とともに、愛(め)でポイントや方法が異なっていくのはおもしろい。
少子化対策のニュースを聞くたびに、この世の中での子育てがいかにハードルが高いか、若い世代が子育てに希望を持てないでいるかを考えて、自分も不安が募る。楽しい、嬉しい、幸せ、それだけでは済まされないことが多い。
でも、だからこそ、こうして、子どもの与えてくれるものの豊かさとその輝きの眩しさを記録しておきたいと思う。
あんよにチューのどこが輝きと眩しさなのか疑問に思う方もいるかもしれない。きっと、パーソナルな思い出とはそんなものだ。
声を大にして言いたい。
あんよにチューの日々は私の人生の喜び、幸せそのものだった!!
子どもたちの生きる未来は、生き抜くには簡単ではないのだろう。
だけど、子どもはただそこにいるだけで、その足の裏や先っちょだけで人をこんなにも幸せにできる偉大な力があるし、そんな力を有り余るほど持っているんだよって教えてあげたい。
それにしても、赤ちゃんの頃が過ぎ去ってしまい、更に、その余韻すらなくなくなっていくことにさみしさを感じずにはいられない。
こうして、着実に子離れの準備をさせられているのかと思う、春の日であった。
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