どんなに子どもが可愛いとて、ひとり休まる時間が必要だ
子どもを見たり家事をしたり、仕事をしたり、忙しなくしていると「1人になれる時間」がなくなる。
子どもと平和に「はぁ。よきよき」と思って過ごしていても、自分時間が全くないとあとで取り返そうと本能がぐいぐい自分時間をつくりだしてしまった、という過去があった。
今は個の時代だから、「お母さんもひとりでリフレッシュしたほうがよい」と産後うつ防止のためにキャンペーンをしてくれる自治体も多く、育児介護とも仕事の有無に関わらず個人を家庭に縛り付けるのはよくない、そんな風潮にあるように思う。
それとは真反対で、女性が家とか家庭に鎖のように縛られていた昭和の、しかも田舎の専業主婦の典型だった私の母はひとり時間をどう確保していたのだろうか?本人に直接聞いてないけど、想像してみる。
母が1人で家の中にいる時の過ごし方といえば、テレビを見たり(韓国ドラマブームにバッチリ乗っていた)、本を読んだり、だろうか。割とコンテンツ好きである。好きなことをするのはいつの時代も心の健康に良さそうだ。あと、ずっと、散歩を日課にしているから、散歩も良質なひとり時間になっていそうに思う。
生理があったり、低気圧が過ぎ去ったり、「別に悪いことがあったわけでもないのに調子が出ないし、やる気が出ない」と思うことはときどきある。
そんなときでも、主婦はなかなか休めない。
子どもはいたずらするし喧嘩するし、食事や宿題はまともに終わらないし、家事も終わらないし。
普通に毎日を送るだけでもなんだか疲れてしまう、そんなことは普通に起こるものである。
いつもなら美味しいものを食べたり、ゆっくりお風呂に浸かったらムクムク元気が出てくるのに、それもない。
そんなときは、やはり、ひとり時間が命綱になる気がしている。
ぼけっとするもよし。
元気はありがたいなぁ、とぼやくもよし。
何も考えずに横になるだけでよし。
ラジオを聞いたりするのもいいけど、何にもしなくて良い気がする。
もし余裕があれば、元気になったら何を食べようかな、どこへ行こうかな、と考えてもいい。
昨日、下の子の3歳のお祝いで家族4人、七五三の衣装で神社で撮影をしてもらった。
そのときに撮影ポーズで下の子を抱っこしたりあちこち歩き回り筋肉痛になってしまった。帰宅後も貸衣装を返したりバタバタと慌ただしくご飯つくりも苦痛ながら乗り切った(なんとその前日に食洗機の排水が詰まり…疲れと災難は重なるものである)。
満身創痍だが、子どもたちの勢いは止まらない…ひとり、ひとり時間がほしい母。
今ひとり時間があれば、
七五三の撮影が無事に出来てよかった
たったひとり寂しく生きていたのに家族ができるって不思議だなあ
早く出来上がった写真が見たいなあ
上の子の3歳のときもかわいかったなあ
次の七五三は、人生最後の七五三のお祝いになるのかあ
こんなふうに、
他人が聞いたら
「…。あっそ」
なことを堂々と考えて過ごしたい。
毎日毎日同じようなことの繰り返し。
だからこそ、ひとり時間で、
時間に「。」をつけたいと思う。
「。」をつけてその時間を味わう。
疲れていても怒ってばかりでも、間違いなく今は過去の自分が待ち望んで努力して手に入れた今なのだから。
自分を労ったりヨシヨシしつつ、また次の「。」に向かって歩いていけば良いと思う。